第5話 友達
「えっと……。浜松さんだよね? おはよう」
隣にいた石井さんも、気を遣い、挨拶をしてくれた。
「おはよう」
今度は声が震えることはなかった。
石井さんは狐につままれたようだった。腕組みをして、私をじっと見つめている。
当然だ。
親友が地味なクラスメートに、気さくに声をかけているんだから。
私は居た堪れなくなって、すぐに自分の席に向かった。
どすんとカバンを机の上に置いたら、少しだけ気持ちが落ち着いた。
朝からクラスメートと話すなんて、久しぶりだった。
一つだけわかっていたのは、谷田貝さんが声をかけたのは、紛れもなく昨日のゲーセンでの出来事が関わっていることだった。
まばたきをしたら、一つ大きなあくびが出た。
昨日も夜遅くまで、クレーンゲームの動画を見ていた。
最近お気に入りなのは、"トレタヨ"さんの動画だ。
クレーンゲームを撮るカメラが高い位置にあって、景品の取り方にも迷いがなく、勉強になる。
たとえすぐ取れなくても、ナレーターでツッコミが入って、編集も面白くまとめている。
お金がない時は、こうやって"座学"で学ぶに限る。バイト代が入るのはもう少し先だった。
私はカバンを机の横にかけることなく、そのまま枕のように突っ伏した。せめて朝のHRが始まるまで、このままでいよう。
この時の私は、後ろから谷田貝さんにじっと見られていたことに気づかなかった。
◇
二限目が終わった後の休み時間。
私は教室から少し離れた場所にあるトイレの個室にこもっていた。お腹が痛いわけじゃない。
ただ、一人になりたかっただけだ。
このトイレは、上級生はもちろん、同級生も使わない。
一度、用務員さんが使っているのを見たことがあるから、来客向けなのかもしれない。
教室の喧騒に疲れてしまうと、私はここに来ていた。リフレッシュ目的でもある。
そろそろ出ようとドアを開けると、トイレの鏡に自分の姿が映っていた。
おかっぱ頭で、目だけが鋭い。制服もきっちり着こなし、これといった特徴もない。まさにモブの中のモブだ。
思わず目をつぶり、歯を覗かせるように笑った。
教室で無表情でいると、たまにこんな羽目を外して、おかしな顔をしたくなる。
「イー」
ついに声にも出してみた。
音はトイレ内に反響して、なんだかいつもの自分の声じゃないみたいだ。
そのままぱちっと目を開けたら——なんと鏡越しの谷田貝さんと目が合った。
えっ。なんで。ここにいるの——。
「何してるの?」
ずざざざと退くと、トイレの壁に背中が当たった。痛い。
顔が赤くなる。目の前の鏡が、今の私をありのままに映していた。
谷田貝さんはくすくすと、意地悪そうに笑った。
「浜松が教室から出て、どっか行くからさー。追いかけてみたんだけど」
「なんで?」
乱れた髪を直す。
「うーん。単なる好奇心。でも面白いものが見れたから良かったっ」
私は見せ物じゃない。
「ねぇ。それ、なんかのおまじない? その歯を剥き出しにするやつ」
「……うん。そう」
テキトーに流した。
断じて、幸運をもたらすものではない。
「ふーん? そんなら、あたしもやっておこうかな」
谷田貝さんは馬鹿正直だった。
彼女は一歩前に出ると、鏡に向かってイーと歯を剥き出しにして笑った。
えくぼができた。思わずドキッとする。
谷田貝さんは、鏡の中の美少女とにらめっこをしていた。
そのニヒルな笑みは、きっとドMの人からしたら、たまらないだろう。
「……あのさ。谷田貝さんの好きなキャラクターって、とさかちゃんじゃないの?」
つい疑問に思ったことを口にしてしまっていた。
「ふぇ。んっ?」
不意をつかれた彼女は、鏡を見るのをやめて、こっちを見た。
「……そうだけど。昨日だって、浜松にぬいぐるみ取ってもらったんじゃんっ!」
「じゃあなんで、石井さんに白猫のピピーナが好きって言ったの?」
谷田貝さんは首をひねる。
「えー。あー……。もしかしてさっきの八宵との話、聞いてた?」
「耳に入ってきたの」
「ふふっ。どーだか」
彼女はツインテールをふぁさっと、なびかせた。
「……だってさ、言えるわけないじゃん! あそこは、黒猫のペアのピピーナを言うのが、すじってもんじゃん? 実際、浜松だってそーするでしょ!」
「いや私は、とさかちゃんが好きなら、普通にとさかちゃんが好きって言うけど」
「ええー。マジー!?」
谷田貝さんは呆れたように、口元を手で覆った。
「……でも、浜松にだったら、素直にとさかちゃんが好きって言えてたかもねー」
彼女はトイレの個室の扉に、とんと背中をつけた。
「とさかちゃんは万人受けしないからなぁ。昨日のぬいぐるみもさ、妹に見せたら怖いって言われちゃったー。ひひっ」
「妹さんって何歳?」
「6歳」
それなら怖がるのも無理はない。
とさかちゃんは目が大きく、無愛想だ。万人受けする可愛さではなく、玄人好みのデザインだ。子どもにはまだ早い。
谷田貝さんは伸びをする。
「昨日もさー、クラスメートがいなさそうなゲーセンにわざわざ行ったのに、浜松がいたからびっくりしたよー」
「近所なもんで」
「別に言いふらしたりしなさそうだから、全然良かったけどね」
「私に友達がいないから?」
「そうとも言うかな」
彼女は目を細めて笑った。屈託のない笑顔だったからか、不思議とムカつかなかった。
「でも浜松、今日からは違うねっ」
「何が?」
「あたしが友達になってあげるから!」
その時、トイレの窓から陽の光が差し込んだ。曇り空の切れ間からこぼれた光が一筋の線となり、谷田貝さんの顔を煌々と照らした。




