第34話 バスの中
◇
「——で、朝の6時しゅうごーってどういうわけ?」
「……ホテルロンリーヌは山奥にあるから、土日で一泊となると、こういう時間帯に動く必要がある」
「……もー。早すぎ!! 普通に寝坊するかと思った!!」
谷田貝さんと旅行に行く約束をしてからはや2週間。
まだ肌寒い早朝の駅前で、半袖姿の私たちは顔を見合わせていた。
谷田貝さんは先ほどからあくびを連発している。
私なんて昨日は一睡もできなかった。何度ベッドの中で寝返りを打ったことだろう。目はガンガンに冴えていた。
夜行バスから降りた乗客がゾロゾロと、こちらに向かってやって来た。
自分の知らないところで、日常がゆっくりと動いているのを垣間見た。
谷田貝さんはタンクトップに白い羽織りを合わせ、タイトなデニムを履いていた。
頭にはキャップを被っていてスポーティだ。右手にはピンク色のキャリーケースを引いている。
私はというと、Tシャツにジーンズ。ラフすぎる格好だ。
キャリーケースなんて、オシャレなものは家になかったから、大きめの黒色のカバンを持ってきた。
これもクレーンゲームで取った景品だ。
実はというと、昨日の晩、鏡の前でスカートを履いてみた。せっかくの旅行だから、いつもと違う格好をしてみたかったのだ。
合わせたものは、デニムのミニスカート。前に、お母さんが買ってきたものだ。
よく見ると脇に赤いリボンがたくさんついている。子どもっぽすぎるデザインで、気恥ずかしくなった。
……もしかしたら、小学生の時に買ってきたものだったかもしれない。
私は柄にもなくオシャレをしようとしていた。(やめたけど)
何故こんな風の吹き回しをしているのかというと、すべて谷田貝さんと旅行に出かけるためだった。
正直、私は浮かれていた。
「今から20分後のバスに乗る必要がある」
「えー。まだまだじゃん。もうちょい待ち合わせ時間、遅らせられなかったの?」
「……寝坊したらいけないと思って。念には念を入れた」
「はー。真面目すぎ!」
谷田貝さんは一つ伸びをした後、周りを見渡した。
「じゃあさ、コーヒーでも飲んで時間つぶそうよ」
彼女はカフェを指差す。早朝から開いているチェーン店だった。
カウンター席がここから見えるけど、人はまばらだった。
「でも……」
あともう少しなのに。
「良いじゃん。良いじゃん。あたしやっぱり抹茶オレ飲みたいかもー?」
あと20分だったら、そこのベンチに座って待っていたほうが効率がいい。
喉が渇いていたら、自販機で飲み物を買えば良い。これが私の価値観だった。
だけど谷田貝さんは違った。
隙間時間ができたら、カフェに行って、そこでのんびり待つ。
これも彼女と一緒に行動しないと、わからない価値観だった。
「……わかった」
折れた。
私は谷田貝さんについていきたくなった。
少しだけゆっくりと彼女の背中を追う。
——きっとこの旅行で、谷田貝さんにすっごく振り回される。
そんな予感が胸の奥から強く感じていた。
◇
「ぐーぐー」
「……コーヒー飲んだ意味ないじゃん」
あれから谷田貝さんとカフェに行った。彼女はレジに並ぶ直前になって、やっぱりコーヒーが良いと言った。
カフェインたっぷりだから、眠気も覚めるかもなんて言っていた。確かにと喉を唸ったのを覚えている。
……谷田貝さんは先ほどからあくびばかりしていたから。
——だけどこのザマだ。
彼女はバスの中、私に肩を預けて寝ていた。安心しきって、むにゃむにゃなんて寝言まで言っている。
窓からは壮大な海が見えた。朝日に波間が反射して眩しかった。
尊いものであるはずなのに、落ち着いて景色を楽しむことができない。
チラッと横目を見ると、谷田貝さんの長いまつ毛が目に入った。
柔らかそうな唇。今日に限って、緩み切っている。
なんとなく、鼻にちょんと触れてみた。音沙汰はない。ふー。
バスの車内は人が少なく、まるで私たちの貸し切りのようだった。
「……はぁ」
もう気持ちはいっぱいいっぱいだった。
昨晩、谷田貝さんと何を話そうか、どんなふうに接したら良いかと悩んだ自分がバカみたいだった。
まるで恋する乙女だ。ため息だって出る。
規則正しい車内の揺れは、私の緊張をゆっくり解いてくれた。
手に持った紅茶は、とうにぬるくなっていた。
飲み物置き場にそっと紙コップを置く。私も背もたれに身を委ねて、ゆっくりと目を閉じた。
——そういえば、明比さん、元気かな。
喫茶店を閉めて、ヨーロッパに旅行に行くと言っていた。海外ってどんな感じなんだろう。
明比さんがお店を閉めなければ、谷田貝さんともこんな風に仲良くならなかったはずだ。
あの時、路頭に迷った気がしたけど、人生って長い目で見ると、良いことが待っていることもあるんだなぁ。
私たちの旅行も、明比さんに引けを取らないくらい楽しいものになるだろう——。
徹夜明けの眠気が今になってやってきた。瞼が泥のように重くなる。
眠りにつく瞬間がはっきりとわかった。最後に残ったのは、谷田貝さんの花のフレグランスの香りだった。
◇
頬が熱い。痛いほどだった。こんな体の部位に今まで神経を尖らせたことはなかった。
耳にピアスを開ける時も、全然痛くなかった。こんな話を大人にしたら、苦笑いをされることくらいわかっている。
耳たぶを触ったら熱い血の痕がついていて、何故かホッとしたのを覚えている。
——目を開けたら、谷田貝さんがいた。バスの揺れで起こされた。
「えっ」
「あっ」
まだ寝ぼけているのかな。
彼女が私の真正面にいる。
さっきまで左隣に座っていたはずなのに。おかしい。
谷田貝さんはワンテンポ遅れて、私の頬から手を離した。
長いまつ毛がゆっくりと動いた。




