第32話 ペアの優待券
◇
目の前には、ふわふわのアライグマのぬいぐるみ。恐るおそる撫でると、長い毛が右手をすっぽり埋め尽くした。
「なんか、くすぐったいかも」
なんて言葉にしても一人。だけど、虚しくはなかった。
——あれから谷田貝さんとは、ゲーセンでクレーンゲームをして遊んだ。いつも通り、楽しいはずだった。
だけど、彼女が不意打ちで
『なんか、デートみたいだね』
って、言うから戸惑った。
谷田貝さんが言うには、付き合っていない男女でも二人で出かけたらデートというらしい。
いやいや私と谷田貝さんは女同士だけど?
それって、いいの?
……今日の彼女はなんだかおかしかった。
私がぬいぐるみを取ろうとすると、決まって横からじっと——まるで女神のような微笑みを見せた。
口角が上がっていて、目尻もとろんととろけている。
それに気づいた私はドキドキして、本来だったら3回で取れるところを、5回の労力で取る羽目になってしまった。
……谷田貝さんって、私のことどう思っているんだろう。
——ピコン。
その時、スマホの通知が鳴った。画面を見ると——小町ちゃんからだった。
『ウチの動画、高評価押してくれたー!?』
……完全に忘れていた。
っていうか今日、憧れのトレタヨさんに会ったはずなのに、そのことが、すっぽり頭から抜けていた。
体感8割くらいは谷田貝さんのことを考えていた。
——ピコン。
『あー。絶対忘れてたでしょー。もういい!』
小町ちゃんに見透かされていた。
私は慌てて動画サイトを開き、押し忘れていた高評価ボタンをタップしようとした。
「んっ?」
小町ちゃんのチャンネルに、今日の最新動画が上がっていた。投稿してまだ10分しか経っていなかった。
そのままポチッと押して、内容を見てみる。
「もうウチが行ったことないゲーセンはないんじゃないかなー!? リスナーはどう思う?」
"トレタヨ"さんが、高らかに笑っていた。顔は映っておらず、相変わらず手元にフォーカスした動画だ。
だけど、彼女は見えないところで、きっとサングラスを付けているだろう。私はそう予感していた。
「そういえば口コミ貰ったんだけどー」
場面が急に変わる。
「ホテルロンリーヌってみんな知ってる? そこにあるゲーセンってマイナーだけど、めちゃくちゃ設備が整っていて、そんでもって取れやすいらしいよ!」
へぇ。そうなんだ。
……。
なんとなく、そのままスマホで『ホテルロンリーヌ』と調べた。
これもクレーンゲームが好きな女の性なのかもしれない。
ホテルロンリーヌの口コミは良かった。星にして4.3。
総部屋数は28室と、こぢんまりとしていて穴場のようなホテルだった。
デザイナーが手がけたホテルで、和モダンのオシャレな客室が印象的だった。
小規模なホテルながら、ゲーセンまで完備されている珍しい宿だった。
トレタヨさんの動画を見ていたら、ウトウトしてきた。
最近は、寝る前が怖くない。
緊張することもなく、ほっと眠りにつける。
どうしてだろうと考えてみた。
きっと、明日が来るのを少し楽しみに思えるようになったからだ。
その理由は、きっと谷田貝さんのおかげだ。
——私は今日も小町ちゃんの高評価ボタンを押すのを忘れてしまった。
◇
「あれ?」
朝起きてスマホを触ると、電源が入らなかった。一瞬焦ったけど、昨日充電するのを忘れたことを思い出した。
コンセントを挿して、洗顔をする。
しばらく経ってからスマホを見ると、電源が入っていた。
「んんっ?」
昨日、小町ちゃんの動画を見て、寝落ちしたはずだった。
だけど今見ると、昨日の最新動画が消されていた。どうしたんだろう。
「……」
少し迷いつつ、小町ちゃんにメッセージを送ってみた。
『動画、削除されてたけど。何かあったの?』
——ピコン。
すぐに返事は返ってきた。
『あぁ、あれ? 個人情報をすこーし喋りすぎちゃったから非公開にしたの! ほら、ホテルのこととか喋りすぎちゃったでしょ?』
「ふーん」
——プルルルルル。
追って小町ちゃんから電話がかかってくる。
「はい」
『昨日はありがと』
「うん。こちらこそ」
『メッセージをぽちぽち打つの面倒だったから電話にした』
向こうからぼふっと、くぐもった音がした。きっとソファーかなんかに座ったのだろう。
「喋った方が楽なのはわかる」
『一発で済むしねー。ってか、昨日ウチが喋ったホテルの名前って覚えてる?』
突然の質問。
「……えっと、ホテルロンリーヌ?」
『やっぱり覚えられちゃったかぁー。じゃあウチは行けないなぁ。ストーカーとか怖いし。なにせ、有名人だからねっ』
おそらく小町ちゃんは、これから行く予定のホテルの名前を挙げてしまったのだろう。
確かに、根強いファンだったら、試しに行ってみようかなと、思い立つこともあるかもしれない。
『ねー。浜松さんー。ウチの代わりに偵察に行ってよー』
「偵察?」
『うん。やっぱりホテルロンリーヌが気になるからさー。ねっ。クレーンゲームもウチほどじゃないけど得意でしょ? 穴場な場所かどうか確かめてきて欲しいの』
「……」
『ねっ。お願い。こういうことって他の子には頼めなくて』
電話の向こうでパンっと手を合わせる音が聞こえた。
「……別にいいよ。偵察くらい」
『本当!? やったー!』
なんとなくそんなことを口にしていた。
だって断る理由もないし。
『実はホテルから優待券貰ってたんだー。ペアなんだけどね! これあげるから、ぜひ泊まってきてよ』
「……いいの?」
『いいよ別に。その代わり売店で一番美味しそうなお土産買ってきて!』
「わかった」
そのくらいどうってことない。
有名なインフルエンサーには、企業から直接PRの依頼が届くことがあるのは知っていた。
やっぱり、すごいなぁ。
優待券は家に送るからと、小町ちゃんにメッセージで住所を伝えたところで電話は切れた。
「ペアかぁ」
誰と行こう。
家族とは、旅行に行くほど仲が良いわけでもないし。学校で一緒に行動するような相手もいない私だ。
一人でもいいのかなと思った矢先に、頭に浮かんだのが——谷田貝さんだった。




