第22話 約束
「あっ」
——当たりの穴に入った。まるでベストポジションを見つけたみたいに、ピンポン玉は動きを止めようとした。
「やった……!」
神はいた。拳を握る手に力が入った。
——しかし、回る勢いは衰えることを知らない。
ピンポン玉はぽんっと穴から飛び出した。
そしてコロコロと左端の壁に寄った。
——失敗だ。
「っ……」
まだだ。課金をしたら、まだ続けられる!
どんな決済方法があったかなと横のボタンを押したら、画面がブチっと切れた。暗闇だ。
「えっ」
アプリが強制終了した。再起動して、同じクレーンゲーム台を覗いたけど、私の番ではなくなっていた。
次のユーザーがプレイを始めていて、まさに今、アームからピンポン玉を落とすところだった。
かぱっと開くと——なんと一発で当たりの穴に入った。
『おめでとうございます!』の文字と共に、きらきらのエフェクトが画面を流れた。
「……あーあ。横取りされてしまいましたね」
松園さんが、現実を突きつけてくる。
私はテーブルの上に、ゆっくりとスマホを置いた。
「もうちょっとだったんですけどね〜」
ぷつん。
「うわーーーーーーん!」
「浜松!?」
私は声をあげて泣いていた。とても悔しかった。
正直、100%取れると思っていた。
谷田貝さん、そして松園さんに、かっこいいところを見せたかった。
期待が外れて、想像以上に傷ついた。私はまるで子どもだ。
「と、と、取りたかったぁ……」
こんなふうに、弱音を吐いたことって今まであったかな。
きっと親にだってない。私は剥き出しの感情を露わにしたことがない。
涙は頬を伝い、ソファーの上に落ちた。
「松園! 浜松をいじめないでよ」
「ええ〜。そんなつもりはなかったんですけど」
「……ひっく。ひっく」
嗚咽が止まらなかった。恥ずかしい。
穴があったら入りたかった。
「……もう。仕方ないわねぇ」
谷田貝さんが私の背中を包むように、ギュッと抱きしめてくれた。
予想外の出来事に、しゃっくりが一度だけ止まった。
それから、ぽんぽんと背中を叩いてくれる。
赤ちゃんをあやすかのような平坦なリズムだった。
少しずつ落ち着きを取り戻してくる。
そういえば谷田貝さんには妹がいると言っていた。
きっと頼れるお姉ちゃんなんだろう。そう、ぼんやりとした頭で考えた。
……それにしても、近すぎないかな?
いや、抱きしめられているから、仕方ないこととは言えるんだけど。
これじゃ、心臓の速さがモロに伝わってしまう。
私はガバッと起き上がった。
「わっ」
そしたら、バランスを崩した。
とっさに受け身を取ったら、頭がぽよんとバウンドした。
「あらあら。私にも甘えてくれてるんですねー」
私は松園さんの膝の上にいた。にんまりとした笑みを向けてくる。
これって膝枕っていうやつだよね。彼女の太ももは柔らかかった。
松園さんは何を思ったのか、私の頭を撫でてくる。口元がニヤニヤしているから、面白がっているのかもしれない。
「あっ。ずるい!」
谷田貝さんは私にもたれかかるように体を押し付けた。
あたたかい温もりを感じる。
……されるがままとは、こういうことを言うのかもしれない。
ソファーの上で女三人が寄り添っている。
いつの間にか、クレーンゲームで景品を逃した悔しさも消えていた。
安堵感で胸がいっぱいになる。なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。
親にだって、こんなに甘やかされたことはない。
人に頼らず、自分の力で生きていくようにって、ずっと教えられてきたから。
心地よさに、思わずまぶたを閉じる。
「芽流ちゃん、髪サラサラですねー。なんのシャンプー使ってるんですかー?」
松園さんがゆっくりと焦らすように撫でてくる。
「シャンプーとリンスが一緒に混じっているやつ……」
「もしかして"デメリット"ですか!? わー。うちのおばあちゃんと同じもの使ってますねっ」
……。
松園さんは、ズバズバと思ったことを言ってくれる。逆に変に気を遣われるよりはいいなと思った。
「んっ。あれぇ? ……ピアス開けてるんですか? 目が悪くて、今までわからなかったです」
「う、うん……」
彼女にもついにバレてしまった。耳たぶをふにふにと触る。ちょっ。
「ダメ! 松園は見ちゃダメ!」
谷田貝さんがとっさに私の耳を隠した。音が聞こえなくなった。
「えー。お嬢様。なんでですか? 私も見たいですよー」
「ダメったらダメ!!」
くぐもるような声が聞こえてくる。
谷田貝さんの手はじんわりとあたたかくて、体温が上がりそうだった。
「お嬢様、独占欲ありまくりですねー」
「あ、あたしが? は、浜松に!? そ、そんなわけないじゃん」
「顔、真っ赤ですよー」
耳を隠されて、覆い被されて、頭を撫でられて、さすがに苦しかった。
重い身体を起こし、居住まいを正す。
こほんと一つ咳払いをする。
「……クレーンゲーム、今度はもっと頑張るから。絶対、景品を取るから。約束」
私の中での大きな決意だった。
気持ちも落ち着いたら、次に目指すものが見えてきた。
「……」
「……」
谷田貝さんと松園さんは、互いに顔を見合わせた。
「ふはっ」
「ふふっ」
そして、吹き出すように笑った。
……何かおかしなことを言ってしまっただろうか。
谷田貝さんは、私の背中をポンと触った。
「気負いすぎないでよ浜松。あたしは面白かったよ♪」
天使のような笑みを見せてくれた。
松園さんも、私の肩に手を置く。
「そういう日もありますよ。でも、めっちゃ楽しかったです。さいこーの誕生日になりましたよ!」
二人はとても優しかった。
そんな甘やかされると、どんな顔をしていいかわからなくなってしまう。
コップの中の梅昆布茶は空だった。おかわりが飲みたい。
何かを成し遂げたわけではない。それでも、心が満たされるような一日だった。




