第14話 じゃあ、する
「ちょっと、待って。何のために私たちはキスをするの!?」
少し声が大きくなってしまった。遠くにいたカラスが飛び立つ。
彼女は目を開けると、きょとんとした顔を私に向けた。
「……ほんとだ。浜松の言う通り。えへっ。何のために、キスしようとしてたんだろう」
自分でもわかっていなかったんかい。
ツッコミを入れたかったけど、出来なかった。
それは、谷田貝さんが子どものように無垢な瞳をしていたから。
「状況を整理してもいい?」
「うん」
「浜松がキスしたことあるって言うから、なんかムカついちゃって。あたしとも、してよって思ったの」
「うん」
改めて言われると赤面ものだ。
「だ、誰にでも言ってるわけじゃないわよ!? 浜松は女の子だし。あたしもき、キスを経験してみたかったから……浜松だったらいいかなって思ったの」
「……」
勉強や運動で、友達のほうが成績が良くて焦るような気持ちに似ているのだろうか。
まぁ、少しだけ谷田貝さんを脅かせてみたいと思ったのも事実だけど。
でも——。
「あのさ。なんで私だったらいいなと思ったの?」
「んっ?」
「……その、キスする相手」
今度は谷田貝さんが黙る番だった。
顎に手を当てて、"考える人"になっている。
「……クレーンゲームでとさかちゃんを取ってくれたし、ピアスが開いていてかっこいいと思ったから……かな」
「何その理由」
「うるさい。なんか、リードしてくれそうと思ったの!」
そういうものなのかな。私にはわからない。
でも、谷田貝さんがキスしてもいいと思ってくれていること自体は嫌な気はしなかった。
お姫様に特別に指名を受けた、一般市民みたいな気持ちだった。
「ありがとう」
とりあえず私はお礼を言った。
「でももう、する気はないでしょ? 別に私は"本当に"経験済みってわけでもないし」
自分で言って悲しくなってきた。
「うん……」
谷田貝さんの歯切れが悪かった。
かっぱのぬいぐるみを抱きしめながら、指で頭のお皿をとんとんと叩いていた。
「……ねぇ。ここまで来たんだし。やっぱり、する?」
「……はっ?」
反射的に彼女の顔を見た。頬が緩んでいた。
「なーんてねっ」
谷田貝さんは、べっと舌を出した。あまのじゃくで掴めない。
可愛くて——翻弄されてしまう自分に腹が立った。
「……」
「あれー。浜松?」
私は一歩、谷田貝さんに歩み寄った。
彼女は退くこともせず、その場にただじっとしている。
ムカつく。
口を半開きにして、物珍しそうな顔で、私を見つめている瞳も。キュンとしている自分も。何もかも。
「……じゃあ、する」
「えっ」
私はおかしくなってしまったのかな。
私らしくない発言に、自分が一番驚いていた。
谷田貝さんに近づき、身長差を埋めるように少しかがむ。
彼女は透き通るような白い肌をしていた。大きな瞳がまるで人形のように愛らしい。
もう少しで、唇と唇が触れ合いそうだった。
谷田貝さんと目が合っているのに、彼女は私を見ている気がしなかった。
路地裏には誰もいない。暗くて、湿っぽくて、逢瀬にはちょうどいい場所だと思った。
谷田貝さんは、ゆっくりと目を閉じた。
私を手で押すこともせず、かっぱのぬいぐるみを抱えて、その時をじっと待っているかのように見えた。
心臓が速くなる。
あれ。私いつもどうやって手とか足を動かしていたんだっけ。
恥ずかしい。
ごくりと唾を飲む。
自分の中の天使と悪魔が戦った。勝敗はまだつかない。
ゆっくりと谷田貝さんの頬に触れると、彼女はビクッと肩を震わせた。
私は一瞬ためらった後——彼女の前髪を横に分けて、おでこにチューをした。
「えっ」
谷田貝さんが声を上げたのと、私が離れたのは同時だった。
「今日のところは……そういうことにしておいてあげる」
私の捨て台詞は情けなかった。
谷田貝さんにキスをした。だけど唇にじゃくて、おでこに。
唇同士じゃなくても、これも立派なキスのうちに入る。……多分。
「あははっ。浜松、何それ。キザ!」
谷田貝さんはお腹を抱えて笑った。どうやら嫌がられてないらしい。良かった。
彼女の前髪はくしゃくしゃのままだった。
「うりゃうりゃ」
谷田貝さんはかっぱのぬいぐるみを私に押し付けてくる。しかも黄色い皿の方を向けて。
「……やめてよ」
「ふっふっふー」
今度は黄色いくちばしをツンツンと、私のお腹に当ててきた。
彼女の口元は緩んでいて「ω」みたいになっていた。
ご機嫌そうな様子がうかがえる。
「ほんと浜松は予想外のことしてくれるねー。面白いっ」
「……」
「あたしが見込んだだけあるわー」
こういう時、みんなだったらなんて返事をするんだろう。
……私には友達がいないからわからなかった。
——バイトをしにきたはずなのに、友達同士の関係から逸脱した行為をしている。
谷田貝さんといると、自分でも思いもしなかった行動に出てしまう。
殻を破ったところから見る景色は、鮮やかだった。
その後、私たちはゲーセンに戻り、再び彼女にぬいぐるみの取り方をレクチャーした。
肩が触れ合うほどの距離感に、戸惑う。
谷田貝さんのツインテールは今日もご機嫌に揺れていた。




