第13話 いつでもいーよ
谷田貝さんを見ると、瞳が潤んで頬も紅潮していた。
そんな顔されたら、冗談じゃなくて本気だと思ってしまう。
「……キスって、そんな確認を取らずにするものじゃないと思う」
「まぁ、そうかもね。さすが浜松、経験豊富じゃん」
嫌味だろうか。言葉に棘がある気がした。
「はいはい。もう、それでいいよ」
「……なぁにそれ。ムカつく」
彼女は、かっぱのぬいぐるみに顔を埋めた。
「っていうか、こういう嬉しい時って、ハグをするものだと思う。キスはやりすぎだよ」
「——わかった」
谷田貝さんがスローモーションのように動いた。
私の背中に腕を回し、ギュッと抱きしめる。
その拍子に髪が揺れ、頬をくすぐった。
かっぱのぬいぐるみは相変わらず、私たちの真ん中にあった。
こんなふうに改めて抱きしめられると、ただのハグなのに、何か意味があるみたいに思えてしまうから不思議だ。
谷田貝さんからいい香りがする。
私の匂いまで彼女に伝わっているんじゃないかと思うと、落ち着かなかった。
「浜松、体温高くない?」
「……うるさい」
「えっ。あたし何かおかしなこと言った?」
「言った」
「えー。心外」
谷田貝さんは私から離れなかった。いつまでこうしているつもりだろう。
嫌じゃないけど、心臓がうるさいから、一旦離れたくなる。
クレーンゲームの角から店員さんが現れる。私はとっさに彼女を押してしまった。
ジトっとした目で見られる。
私は何も悪いことはしていないはずなのに。
店員さんは風の速さで、通り過ぎていった。軽く見回りにきたのだろう。
「ねぇ。今ってさ、浜松があたしの先生なんだよね?」
「うん。そうとも言う、かな」
「先生って何でも教えてくれる立場の人のことを言うよね?」
「えっ。そんなことは……」
ないと、続けようとした。
先生だって、担当の分野があるものだ。何でもは教えることはできない。
谷田貝さんは構わずに、こんなことを言う。
「ねっ。じゃあさ、あたしにキスを教えてよ」
とびきりの笑顔で私を悩殺した。
目が点になるとは、こういうことを言うのだろう。
「……なんで?」
「だって、浜松キスしたことあるって言ってたしー」
彼女は先ほどの話を蒸し返した。
もう終わった話題だと思っていたのに。
「なんでかわからないけど、それ聞いてムカついたの。これ、このまま今日、帰ってもモヤモヤが残るだけだと思うの。それはあたしのポリシーとしては許さないっ!」
「……」
「それに、どーでもいい男子と初……キスしちゃうくらいなら……だったら、浜松がいいなって思ったの……」
その時、私の頬を風が撫でた。
ゲーセンの開いた扉から、そよ風が吹き込み、私の身体を優しく包んだ。
谷田貝さんの真剣な瞳から、目を離せなかった。
「そ、それは……」
「ギャハハハハ」
男子の低い笑い声が耳に届いた。
振り返ると、他校の男子が4、5人ほど連れ立って、ゲーセンに入ってくるところだった。
「……ここじゃ、落ち着いて話せないね。浜松、来て」
「ちょっ」
谷田貝さんは私の手を取ると、裏口のドアへ向かって一目散に駆け出した。
完全に彼女のペースに飲まれている。
だけど抗えない自分がいるのも確かだった。
ゲーセンの裏手に出ると、どんよりとした空気が肌を包んだ。道路には濡れた猫の足跡がついていた。
「誰もいないね」
「そうだね」
「ここなら、浜松キスしやすいんじゃない?」
「……」
「ちょーっと湿っぽいけど、なんかそれもありよね」
何故、こんなことになってしまったのだろう。
今日から谷田貝さんにクレーンゲームのコツを教えるという、新しいバイトが始まるはずだった。
何の因果か、そんな彼女とキスする流れになっていた。
谷田貝さんは誤解をしている。
「あのさ、谷田貝さんに言っていないことがあるんだけど」
「何?」
「……私がキスしたことがあるのは本当。だけど、相手は家族なんだけど」
「へっ?」
彼女の動きがピタッと止まった。
「ほら、小さい頃ってお父さんだったり、お母さんだったり口にチューされることがあるよね? 私、あれのことを言ったんだけど……」
「……」
谷田貝さんが黙る。俯かれてしまった。
やっぱり誤解をされていた。
そう。私がキスをしたことがある相手は、男子でも女子でもない。——家族だった。
アルバムには両親からチューされている写真が載っていた。
私にも非はあった。見栄もあったのかもしれない。
けれど、ここまで真剣になってくれるとは思わなかった。
「ごめんなさい」
これで谷田貝さんの熱も、じきに冷めることだろう。
「なーんだ。そうだったんだっ」
彼女はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「じゃあ、初めて同士で都合がいいじゃん!」
「!?」
谷田貝さんはとんでもないことを言う。
「えっ。何……」
「目、つぶってるから浜松、いつでもいーよ」
彼女はまぶたを閉じて、待ちの姿勢に入った。
はっ!?
カップルだったら、そのままキスをする流れなのかもしれない。
だけど、私と谷田貝さんは恋人じゃない。そう。友達だ——。




