第10話 あたし専用の先生
「浜松が働いてるところ見たい」
「えっ……」
「ねっ。いいでしょ」
「うーん」
正直言って嫌だった。恥ずかしいから。
谷田貝さん、家に帰ってくれないかな。
どうにかして撒こうとしたけど無理だった。
数秒もしたら、バイト先に着いてしまう。
「ここ?」
「……うん」
私は観念した。もうここまで来たら覚悟を決めるしかない。
ドアを開けたら、愉快なベルが鳴った。
私のバイト先は『喫茶 オリオン』という。年季の入った木製のカウンターと、少し色褪せた壁紙。
店内を照らすのは、暖色の小さな照明だけで、昼間でもどこか薄暗い。
席はカウンターだけのこぢんまりとした店だが、その狭さがかえって落ち着いた。
谷田貝さんは、すっかり得意げな顔で、とさかちゃんを抱えていた。
私は心の中でため息をつき、彼女と一緒に店内へ入った。
店主の明比さんは、私のお父さんの友達だ。いわゆるコネというやつで、ここで働かせてもらっている。
そもそも私がバイトを始めたのも、クレーンゲームで遊ぶお金欲しさにだった。
もちろん通い慣れた、あのゲーセンにも、バイトの応募をしてみた。
だけど、普通に落ちた。
きっと、私のコミュ力のなさが書類から見抜かれてしまったのだろう。
だから、この"オリオン“で働けているのは、すごくラッキーだ。
谷田貝さんは店内に入るなり、「はー。いい雰囲気ねぇ」としみじみと言った。
あまりにも素直な物言いに、カウンターの中にいる明比さんが、ちょびヒゲを揺らして笑った。
「芽流ちゃん、お友達?」
「はい」
少し声が震えた。
友達。慣れない響きだ。
「……私のバイト先についてきたいというから、つれてきました」
「そう」
「ちょっと待って、浜松の下の名前、"める"って言うの!?」
谷田貝さんは、妙なところに食いついた。
薄暗い店内に、黄色い歓声が響き渡る。
「そうだけど」
「……知らなかった。めっちゃかわいい名前じゃん!」
かわいい?
「今度から、あたしも芽流って呼ぼうかなっ!」
「やめて。普通にいつも通りの呼び方でいいから」
「えー」
彼女は不服そうだった。
「……じゃあ浜松、あたしの下の名前ってわかる?」
「ひらがなで、ひかるでしょ?」
「覚えていてくれたんだー。うれしー!」
谷田貝さんは目立つから、普通にわかる。
別に興味があるからってわけじゃない。
勘違いしないでほしい。
「おー。二人、めっちゃ仲良いじゃん!」
明比さんが親指を突き出して、きらりとした歯を覗かせながら笑った。
お父さんと同い年で、今年45だというのにテンションが軽い。それとも世の男性は、みんなこんな感じだったりするのだろうか。
「えへへっ。そうなんですよー!」
谷田貝さんがおどけて言う。
軽いノリには、軽いノリで応じる。私には真似できない芸当だ。
「……谷田貝さん、座るならカウンターの一番奥がいいよ」
「えっ。なんで?」
彼女は首を傾げる。
「店内をよく見渡せるし、レコードのジャズも一番よく聴こえるから」
オリオンは、明比さんの趣味でもある音楽のレコードを流す喫茶店だった。
働いている間、ずっと音楽が聴こえてくるのが私は気に入っていた。
と言いつつ、今の店内は無音だった。
珍しい。
「いやねー。今、誰もお客さんいなかったから、一人で瞑想してたんだよね」
明比さんが言う。
「ほら、そこに座布団あるでしょ? めっちゃ頭の中スッキリしたわ。……よし、芽流ちゃんの友達も来てくれたし、働くかぁー」
明比さんはとっても自由だった。
だから、私も居心地良く働き続けることができるのかもしれない。
願わくば、ここでずっとバイトしたかった。
ほどなくして店内には、聞き馴染みのあるジャズが流れる。
谷田貝さんもカウンターの奥の席についた。早速メニュー表を見ている。
ドアベルが鳴る音が聞こえて、入り口を見ると、老夫婦カップルが訪れた。仲良さそうに手を繋いでいる。微笑ましい。
私もそろそろ裏に行って準備してこないと。
何故か足取りは軽く、一歩間違えればスキップしていると誤解されそうな、タップを踏んでいた。きっと、陽気なジャズのせいだろう。
◇
「えっ。今週でこの店閉めちゃうんですか!?」
青天の霹靂とは、こういうことを言うんだろう。
「そう! 芽流ちゃんには、言うの遅くなっちゃったなぁー」
明比さんはボリボリと頭をかく。
「いや、ヨーロッパ旅行に行こうと思ってね。いつ帰ってくるかわからないから、一旦、店は閉めることにするよ」
バイト終わりに、明比さんは軽い調子で言った。
いつものように冗談かと思ったけど、どうやら本気らしい。
「へぇー! いいですね。ヨーロッパ旅行」
谷田貝さんが残ったコーラを飲みながら呑気に言った。
彼女はかれこれ3時間はここにいる。
最初はコーヒーを頼み、次に紅茶。途中でサンドイッチなんかをつまんでジャズを聴きながら、店内にある本をずっと読んでいた。
瓶のコーラは明比さんからのサービスだった。
「谷田貝ちゃん、実は二度目なんだよ! 前は3ヶ月はいたからなぁ。あっちで友達もできたし。今回はもっと長くいようと思う」
「……いきなりすぎですよ」
「あはは。ごめんって!」
明比さんは軽快に笑った。
本当に自由すぎる。
「……あれ? じゃあ浜松、バイトなくなっちゃうじゃん。ここ居心地いいから通おうと思ってたのになぁ」
そうなのだ。
明比さんが長期間ヨーロッパ旅行をするなら、そういうことになる。
……バイト代が入ってこなければ、ゲーセンに通い続けることもできない。
オリオンで働き始めてもう2ヶ月になる。
ようやく仕事にも店の雰囲気にも慣れてきたところだった。
卒業したら、そのままここで雇ってもらえたらと思っていたくらいだった。
他の場所でやっていけるだろうか。そんな不安が胸をよぎった。
来月も取りたいプライズがあるのに。どうしよう。
目の前が真っ暗になった。未来が見えない。
私にしては珍しく、弱気になっていた。
「はままつー! はままつー!」
「……」
「おーい!!!」
「うわっ!」
「もーう。話きーてないんだもんっ」
気づいたら、谷田貝さんが隣に立っていた。
耳元で大きな声を出され、思わず肩が跳ねた。
「ねぇ。浜松、新しいバイトを探さなきゃいけないんだよね?」
「うん……」
「クレーンゲームをするためにはお金が必要……そうでしょ?」
「はい」
つい同級生相手に敬語になってしまっていた。
谷田貝さんは私の心を完全に見透かしていた。
明比さんはカウンター越しに、グラスを磨いていた。口笛まで吹いている。呑気なものだ。
もうヨーロッパ旅行に気持ちを向けているのだろう。
「じゃあさ、あたしのところでバイトしない?」
「えっ?」
「浜松ってクレーンゲーム得意じゃん?」
谷田貝さんが目を伏せながら言う。
「……すっごく羨ましいし、あたしも景品取るの上達したいなって思う」
彼女は、だからさと続けた。
「浜松の放課後を買ってもいい? ねぇ。あたし専用の先生になってよ。クレーンゲームの!」
目の前のツインテールの少女は、とんでもないことを言った。




