第30話 聖女
八畳の安眠空間で、俺はモニターを眺めながら小さく欠伸を漏らした。
街の管理組合運営報告書に目を通す。そこには、俺が口を挟む余地など微塵もないほど、完璧な収支計画とインフラ整備案が記されていた。セシリアの成長は著しい。かつては俺の言葉一つ一つに右往左往していた少女は、今や大陸全土から「管理組合長」として畏怖と尊敬を集める、一国の君主以上の統治能力を備えた指導者になっていた。
「マスター、今期の観光税収は予測を二十パーセント上回りました。これに伴い、常春エリアの環境制御維持費を削減しつつ、住民の満足度を維持するスキームを導入します」
スピーカーから響く彼女の声は、自信に満ち溢れている。俺の指示など待たずとも、彼女は俺の望む「静かで快適な環境」を、俺以上に効率よく作り出していた。
かつては俺に依存し、俺の裁定を求めて泣きついてきた彼女。それが、今は俺の手を煩わせない。それが本来望んでいたはずの「楽な生活」であるはずなのに、今の俺は、八畳の玉座で奇妙な空虚さを感じていた。
俺の意志が介入しなくとも、街は勝手に回り、人々は勝手に幸福になる。俺という存在が、この巨大な都市にとって、もはや「絶対に必要な管理者」ではなく、「ただそこにいるだけの神」になりつつある。
「……セシリア、お前は本当に優秀になったな」
「恐縮です、マスター。すべては、あなた様から学んだこの街の運営理念のおかげです」
彼女はモニターの向こうで優雅に頭を下げる。その横顔には、かつてあった幼さの面影はなく、凛とした責任感が宿っている。彼女が立派になればなるほど、俺という管理者の価値は、この街の中で薄れていく。皮肉なことに、俺が育てたこの平和が、俺という存在を不要なものにしようとしているのだ。
そんなある日、平穏を切り裂く使者が届いた。聖教会からの正式な召集令状だ。
内容はあまりに唐突で、そして不吉だった。平和を尊んでいた先代魔王が、暴君として名高い息子に弑逆された。新魔王は大陸全土への宣戦布告を目前にしており、人類の防波堤として、聖女たるセシリアの力を勇者パーティへ加えるよう強要していた。
モニター越しに見るセシリアは、初めて見るような弱々しい顔をしていた。
「……マスター。私が行けば、この街の運営は……それに、マスターをお守りすることが……」
彼女は管理組合の長としてこの街を愛し、同時に管理者である俺を誰よりも深く敬愛している。彼女が勇者パーティへ参加すれば、この街のバブルは混乱し、俺の睡眠にも影響が出るかもしれない。だが、それ以上に彼女の迷いの正体は明白だった。俺のもとを離れることへの、純粋な寂しさだ。
俺はロッキングチェアを止め、初めてモニターの中の彼女を真っ直ぐに見つめた。
「行け、セシリア。今の管理組合なら、お前がいなくてもシステムは回る。あいつらにも、お前が育てた『独自の判断』というやつがあるはずだ」
「しかし、それではマスターのそばを離れることになります。マスターに、何かあったら……」
「俺に何があるというんだ。ここは世界で一番安全な場所だろう?」
俺は淡々と笑ってみせた。
「役目を果たしたら戻ってくればいい。管理組合長の役職は、誰にも渡さずに残しておく。お前が帰ってくるまで、俺はこの八畳で、いつものように紅茶を飲んで待っている」
俺の言葉に、彼女の瞳が潤んだ。彼女は何度か深呼吸をし、やがてかつてないほど力強く頷いた。
「……はい! 必ず、必ず帰ってまいります、マスター!」
彼女が通信を切ると、部屋には再び静寂が戻った。広すぎる八畳間が、少しだけ肌寒く感じる。彼女がいなくなれば、この街は騒がしくなるかもしれない。あるいは、さらに洗練された都市へと変貌するのかもしれない。
俺はカップを置き、天井を見上げた。
セシリアが去った後のこの街で、俺という管理者が再び求められるような、そんな「ちょっとした面倒事」が起こればいい。そんなことを考えてしまう自分に、少しだけ苦笑する。これもまた、彼女という管理者を育ててしまった管理者の、ささやかな孤独なのかもしれない。
俺は再び目を閉じる。平和な世界というものは、案外と退屈で、そしてちょっぴり寂しいものらしい。
ご拝読ありがとうございます。
ついにセシリアが聖女としての役目を果たしに行く日が訪れてしまった。この先、この街はどうなってしまうのか?聖女ロスで街の治安が悪くなるのだろうか?
さらなる成長と発展を遂げるのか?次回をお楽しみに!!




