第2話 噂
モニターの一部に目を向けると、入口付近の罠が作動したところだった。
シュッ、と音を立てて放たれた矢が、若手冒険者の肩をかすめる。本来なら命を奪う毒矢だが、俺が改良したそれは「恥ずかしい自己嫌悪を誘発する麻痺毒」だ。
「うわぁぁ! なんであんなところで転んじゃったんだ俺は! 穴があったら入りたい!」
毒に当たった冒険者が、顔を真っ赤にしながら、自分の過去の失態を絶叫しつつ猛スピードで退却していく。殺傷能力はゼロ。ただ、精神的に少しだけダメージを負って帰ってもらう。これなら誰も死なないし、俺の平和も守られる。
「……よし、今日も平和だな」
手元のマグカップから立ち上る湯気を眺め、俺は満足げに呟いた。
前世で追い求め、決して手に入らなかった「誰にも邪魔されない聖域」。それが今、このコアの中にあった。
だが。
ふとした瞬間に、あの女神が最後に浮かべた悲しげな、それでいてどこか見守るような眼差しが脳裏をよぎる。
俺はこの引きこもり生活に、まだ何か足りないものがあるというのだろうか。
「……ま、考えても仕切ないか。さて、今日の日課をやるか」
俺は重い腰を上げ、操作パネルをスワイプした。
俺が運営として最初に行う小さな日課。それは、ダンジョン内に一箇所だけ設けた「憩いの回復泉」の清掃だ。
スライムたちに指示を出し、泉の底に沈んだ冒険者の落とし物――主に恥ずかしくなって投げ捨てられた装備品を回収させる。
誰も傷つけず、悪意だけをユーモラスに粉砕する。
のんびりしたダンジョンコアの記録は、このコアの中に存在する空間「はじまりのワンルーム」から始まった。
「うわぁぁ! 俺の初恋の記憶が、昨日の晩飯の恥ずかしい食べ方が……!」
モニターの向こう側、村のギルド酒場にたどり着いた例の冒険者が、顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏している。周囲の仲間たちが「またあいつか」「あのダンジョンに行くとトラウマが蘇るらしいぞ」と顔を見合わせているのが聞こえた。
どうやら、「Fランクダンジョンに行くと、なぜか猛烈に恥ずかしくなって死にたくなる」という噂が広まり始めているらしい。物理的なダメージはないが、精神的な防衛力は確実に削っているようだ。
「ふむ。悪評というより、一種の都市伝説だな」
俺はモニターをオフにすると、ソファから立ち上がった。
平和な引きこもり生活を維持するためには、現在の四畳半では少し手狭になってきた。特に、「QOL」の向上は、ダンジョンコアとしての格に関わる問題だ。
「よし、増築だ」
俺は「運営のギフト」をフル稼働させ、コア内部の空間を拡張し始めた。
まずは風呂だ。ただの温水洗浄では満足できない。
ダンジョンの深層から湧き出る魔力水を熱源に変換し、森林の香りを抽出する魔道具を併設。壁面にはダンジョン外の風景を映し出す魔法の窓を埋め込んだ。
湯船に浸かりながら、誰にも邪魔されず、静かにモニターでダンジョンの様子を眺める。これこそ、コアとしての至福の時だ。
トイレもアップデートした。
空間転移技術を応用し、排泄物は一瞬でダンジョン入口の「ゴミ処理エリア」へと転送されるシステムを構築。これなら掃除の手間はゼロだし、匂いも一切しない。便座にはヒーター機能はもちろん、最新の健康状態をスキャンする鑑定機能を組み込んだ。
台所も刷新だ。
火を使わず、魔法の熱源で一定温度を保つ魔法調理台を導入。スライムたちに「繊細な盛り付け」をプログラムし、俺が画面越しに選んだ食材を、最適な調理法で提供させる。
保存食ばかりのダンジョン生活とはおさらばだ。
「……完璧だ」
増築された空間は、もはやダンジョンのコアというより、現代文明の粋を集めた豪華な隠れ家だった。
ご拝読ありがとうございます。
精神ダメージを与えるダンジョンが果たしてFランクなのかは置いといて、生活の質をあげることは重要ですね。
さらなる成長と発展を遂げるのか、次回をお楽しみに!!




