第19話 ドアの向こう側
数日後、俺は全自動調理器が淹れた、外の街から税収(物々交換)として納品されたばかりの最高級アッサム紅茶を啜っていた。カップから立ち上る芳醇な香りが、四畳半の空間を優雅に満たしていく。
部屋の環境は、まさに完璧の一言に尽きる。天界特製の天使の羽毛布団はどこまでもフカフカで、体温を感知して最適な温度を保ってくれる。枕元の星屑のハーブは、どんな激務(といってもボタンを押すだけだが)の後でも、極上の睡眠を約束してくれる。
外の街の管理組合が全ての雑務とトラブルの窓口を代行してくれるため、俺の作業は一日に数回の画面スワイプだけで済む。
完全自動化、そして遠隔統治。俺の働かないための努力は、ここに極まれり、といった状態だった。
俺は紅茶のカップを置き、モニターに映る街の夜景を眺めた。ガス灯の明かりが美しく並び、人々が笑顔で行き交っている。かつては傷つき、飢えていた難民や冒険者たちが、俺の作った規約という絶対の安全地帯の中で、心穏やかに暮らしている。
「……ふん」
俺は、自分の四畳半の部屋の、頑丈に閉ざされた木製のドアを見つめた。このドアを開けて、外の世界へ出る気は、まだ毛頭ない。
物理的な外の世界には、湿気があるし、埃もある。何より、人混みは嫌いだし、めんどくさい人間関係も御免だ。俺はこの四畳半の特等席で、静かに眠っていたい。
だが……。
かつては排除すべきノイズでしかなかった画面の向こうの景色が、今は少しだけ、愛おしいものに思えてきている自分に気づく。俺の作った静かなる平和は、この部屋の壁を越えて、外の世界へ確実に、そして深く根を張り始めていた。
ふと、画面の隅に聖女セシリアからのメッセージアイコンが点滅した。
『マスター、先ほど巡回から戻りました。近隣の国々でも、規約は女神の意志として熱狂的に受け入れられております』
彼女の報告には、俺に対する絶対的な献身と、世界を平和にしたという誇りが滲んでいる。彼女にとって、この規約は単なる法律ではなく、人生そのものなのだろう。
そんな彼女の姿を見ていると、俺の胸の中に奇妙な感覚が去来する。自分が作ったルールが、これほどまでに多くの人々の人生を支え、変えてしまったという事実。それは、最初から最後まで睡眠を優先したかった俺にとっては、少しばかり重すぎる成果のようにも思えた。
「ああ、お疲れ様。……セシリア、お前のおかげで、俺の睡眠環境は今日も守られている。そのことには感謝するよ」
俺が何気なく送信した労いの言葉に対し、返ってきた返信は数秒の沈黙の後だった。
『……マスターからの御言葉、一生の宝とさせていただきます。この身が果てるまで、管理者様の静寂と平和を守り抜くことをお誓いいたします』
熱いな、と俺は苦笑する。聖女というものは、どうしてこうも真っ直ぐなのだろう。しかし、彼女のような人間が管理組合のトップにいるおかげで、俺はこの四畳半で紅茶を飲んでいられるのだ。
そう考えれば、彼女に少しばかりの特別待遇を与えてもバチは当たらないだろう。俺は操作パネルを叩き、彼女の活動拠点である管理組合の建物を、少しだけ豪華な内装に書き換えてやった。
街が安定したことだし、明日は一日中、誰にも邪魔されずに二度寝を決め込むとするか。
俺は天使の布団を頭まで被り、心地よいハーブの香りに包まれながら、静かに目を閉じた。モニターには、ガス灯の明かりがゆらゆらと揺れている。かつて自分一人のためだけにあったはずの四畳半は、いつの間にか世界を統べる管制室となっていた。
だが、その本質は変わらない。俺は今日も、この部屋で安らかな眠りを探している。
俺の呼吸がゆっくりと深くなり、意識が夢の境界へと溶けていく。もし仮に、この閉ざされたドアの向こうから、誰かが俺の名前を呼ぶことがあっても、きっと俺はドアを開けないだろう。
なぜなら、俺にとっての本当の楽園は、外の世界にあるのではなく、このワンルームの、静かで閉ざされた場所にあるのだから。
カーテンを閉め切った部屋の中で、モニターの明かりだけが、遠く離れた街の営みを映し出している。俺の戦いは、こうして今日も勝利に終わったのだ。……まあ、結局、紅茶が美味しいこと以外には、大した違いはないのかもしれないけれど。
ご拝読ありがとうございます。
今日も怠惰な平穏ライフを送ることができてご満悦のマスターは、ささやかな感謝を込める。
さらなる成長と発展を遂げるのか、次回をお楽しみに!!




