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漆器の行方─破─

 翌朝マルティンはヴァルガ公爵の城から出て、ゾルターニ領へ向かう事にした。昨日の内に出発すると途中で野宿となるため、城に泊めて貰えることになった。夕餉では公爵家からは改めて卒業パーティで王子を諫め、レーカの無実を訴えた事を感謝された。自家の利益の為の行動を感謝され、マルティンは恐縮するしかなかった。


 ヴァルガ家の家人が兵達へ事前に知らせてくれており、皆集合している。後は出発するだけだった。


「お見送り……でよろしいのですよね?」


 マルティンの眼前には騎乗服を着たレーカが立っている。その後ろには革鎧を着た若い女と、ブリガンダインを着た大柄な壮年の男が控えていた。見送りというには大仰な格好だった。


(体幹にブレが少ない。強そうだな)


 マルティンは男を見る。貴族のお忍び旅を任せるに足る使い手に見えた。冗談ではなさそうな状況に肝が冷える。


「私もゾルターニ領へ向かう事にしました。これはお父様の許可を得ています。別で向かうか、同行するかはアイゼンヴァルト卿に任せるとのお言葉を頂いております。」


 マルティンはレーカの目を見た。昨日の少し砕けた雰囲気とは異なる真剣な表情であった。気持ちを切り替える。


「……向かう理由は、私が聞けるものでしょうか?」


 レーカが扇で口元を隠した。言葉を選び、発しようと息を吸った。背後の二人は微動だにしなかった。


「いえ、やはり結構です。アイゼンヴァルト家としては、漆器を返却できればそれで良いと考えております。ヴァルガ家がそこに何を追加で求めているか、それは知るところではありません。それでよろしいですね?」

 

 少なくとも遊びではない。マルティンにはそれだけで十分だった。


「お心遣いに感謝します。」


 レーカは一つ頷いた。


「ヴァルガ家側の実務責任者はそちらの御仁でよろしいですか?」


 マルティンは男を見ながら尋ねた。背後にいた二人が滑らかに敬礼を行う。



「ええ、彼らはベネデク・ナジとイロナ・キッシュ、共に我が公爵家の精鋭です。方針の擦り合わせはベネデクが受けます。」


 レーカが二人を紹介した。マルティンは頷き、兵達に指示を出していた騎士を呼んだ。


「ハンス!同行者だ。挨拶と今後の方針の擦り合わせを頼む。」


 もう初老に入りかけている男だ。ヴァルガ公爵家の美術品を隈なく見たいとマルティンに駄々をこねた、ふざけた雰囲気は消えており、歴戦の猛者の風格を醸し出している。


「ハッ!ハンス・フーバーにございます。ヴァルガの至宝を御守りする機会を得られて、光栄の極みに存じます。」


「ハンス、ナジ殿と擦り合わせを頼む。念のため飼葉や水の量を確認しておいてくれ。後は万が一もある。必要なら矢を買い足しておけ。」


 マルティンはもう一度周囲を見る。馬車はない。レーカは騎乗用のキュロットを履いており、貫頭衣のベルトはいつもより高い位置で結んでいた。身分を隠す為か、貫頭衣は灰色のものを身につけている。しかし見るものが見れば質の良さには気づくだろう。


「馬車ではなく騎乗ですか?」


 レーカは頷きながら少し意外そうな顔をした。


「ええ、馬車ではアイゼンヴァルト家の邪魔になると思い騎乗を選びました。しかしアイゼンヴァルト卿は女性が騎乗する事に違和感はないのですね。」


「丁寧に道具を使ってらっしゃるのは見てわかります。興味本位で選んだわけでないのでしょう。それでも安全を第一に無理はせず進むつもりです。」


 マルティンは見たままを答えた。アイゼンヴァルト家にとって騎馬とは足である。それに男も女もなかった。




 出発は順調だった。ナジは旅も手慣れており、不足はなかった。レーカも騎乗を選ぶだけの事はあり、長い間進んでも弱音を吐く事はなく何度か宿場町に泊まりながら、やがてヴァルガ公爵領を出る事ができた。しかしそれから暫くすると少し雲行きが怪しくなってきた。


「ハンス、ナジ殿も、少し早いが次の町で泊まるか、雨を凌げる場所で野宿をするか決めたい。」


 マルティンは空を見上げながら声を上げた。ハンスも少し悩ましげに空を見る。まだ昼を迎えるには時間がある。ナジが顎に手を当てながら答えた。


「急げば昼過ぎには次の宿場町まで着きます。そこで雲が晴れていなければ泊まるのはいかがでしょうか?」


 マルティンは賛同し、レーカへ尋ねた。


「ヴァルガ嬢もそれでよろしいですか?」


 レーカは少し疲れを感じさせる表情で肯定した。


「ええ、雨に当たりながら進むとなると、恥ずかしながら私が足を引っ張る事になりそうです。」


「いえ、ご立派です。ここまで少し急ぎすぎました。兵達も休息が必要でしょう。」


 マルティンはレーカの自嘲気味な言葉を否定して、さりげなくイロナを見た。イロナが頷く。


(馬に慣れているとはいえ、ご令嬢には厳しい旅程だったか…… 皆が馬だからと少し急ぎすぎたな。後でキッシュ殿がフォローを入れてくれるといいが。)


 少し先に大きな木が見えた。マルティンはもう一度空を見る。雲で薄暗くなっているが、まだ重さを感じない。振り返ると遠くの空がやや黒くなっているのが見えた。


(……ギリギリか?)


「あの大きな木で一度小休止をしましょう。その後は休憩無しで、宿場町まで速歩で駆けます。辛いでしょうがもう一踏ん張り願います。」


 マルティンがレーカへ語りかけると、レーカは真剣な表情で頷いた。


 木陰へ着くと兵達は少し離れた所で水を飲む。レーカもイロナから水を受け取り休んでいた。マルティンはそれを横目にナジへ話しかける。


「ナジ殿、宿場町はこのまま道沿いに進めば迷う事はないか?」


「ええ、分かれ道もなく、街道も踏み固められており迷うことはないはずです。」


 マルティンは頷いた。


「ハンス、兵を二人選んで先行させろ。最悪でもヴァルガ嬢の分は宿を取りたい。問題があれば一人戻るように伝えろ。」




 二人の兵が馬を駆る。見る見るうちに姿は小さくなり、やがて見えなくなった。見送っている内に小休止が終わった。


(酒でも振る舞わないとな……)


「……ではヴァルガ嬢、もう一踏ん張り頑張りましょう。」


 レーカが馬へ乗るのを見て、マルティンはレーカの側まで歩み寄り、真面目な表情で伝えるが、レーカの馬が突如マルティンへ鼻先を擦り付けた。思わずたたらを踏むと、マルティンは苦笑しながら鼻先を撫でた。


「馬はやる気十分のようですね。」


 マルティンの一言に思わずレーカが笑う。久方ぶりに見たクスクスと分かりやすく表情を変える笑い方だった。


(大丈夫そうだな)


 マルティンはそのまま愛馬に跨り、出発の号令をかけた。



 マルティンの予想通り、雨足が追いつくのはギリギリだった。幸い宿は全員分確保出来ていた。宿で荷物をまとめていると、ざあざあと大きな雨音がする。思わずマルティンは顔を顰めた。


(街道が崩れぬと良いが……)


 兵達が休んでいる間に、マルティンの部屋に皆で集まり今後のことを話すことにした。


「ナジ殿、本来であれば明日には着く予定だったが、この先に氾濫しそうな川などは?」


「いえ、ありません。しかし、泥濘は避けられぬでしょう。」


 ハンスも肯定するように頷いた。マルティンも同じ考えだ。異論があるか視線を向けると皆同意見のようだ。マルティンはため息を吐き伝える。


「明日は一日休みとしましょう。話を聞くとここは温泉があるとか、英気を養ってから向かいましょう。」


 女性陣の反応はマルティンの予想よりも嬉しそうだった。


 翌朝、雨はすでに上がっていた。しかし予想通りに道は雨にやられ、足が少し沈むような状況だった。マルティンは端の方で土質を見ていた。粘土質ではなさそうで水捌けは悪くないかもしれない。


「アイゼンヴァルト卿は温泉にいかないのですか?」


 ふと影が差すとそんな声が掛けられた。見上げればレーカがイロナを伴い近くに来ていた。


「この辺りは靴が汚れます。呼べばお伺いいたしましたのに……」


 マルティンは泥が跳ねないように慎重に立ち上がった。


「私はもう少し外を見てから入ろうと考えていました。どうせ温泉に入るのなら汚れる作業を先にしようかと思いまして……」


 マルティンは懐から布を取り出し手を拭いながら、少し迷って手を差し出した。


「足を滑らせてはいけません。よろしければエスコートをさせていただいても?」


 レーカは差し出された手を不思議そうに見つめ、そしてそっと手をのせた。


「そういえば、お父様やお兄様以外にエスコートをされるのは久しぶりです。」


 特に何か感情が読み取れる声ではなかった。だからこそ根が深いものなんだろうと感じた。


「……卒業からもう半年が経ちますからね。」


 マルティンは思ってもないことを口にした。学園にいた時から既に婚約関係が良くない事を知っていたからだ。


 レーカが苦笑を零す。


「すみません。気を使わせました。ただ、殿下はあまり私に興味がなかったようでしたから。」


 マルティンは甘味処へ向かいながら口を開いた。


「不敬ですがルーカス殿下は例外だと思いますよ。そうでなければヴァルガの至宝などと呼ばれておりません。」


 不敬なのはどちらに対してであったか。レーカはマルティンが思ったよりも踏み込んできた事に目を丸くしていた。


「ドーナツでも食べましょう。少しお腹が減りました。」


マルティンはレーカへ笑いかけた。





「どうもゾルターニ家当主のエレク・フォン・ゾルターニと申します。レーカ嬢とは一別以来ですな。お美しくなられました。それとアイゼンヴァルト卿はお目に掛かるのは初めてですかな?」


 マルティンが聞いていた通りエレクはまだ若く、三十路前の年頃だった。しかし当主として人に揉まれてきたからか、公爵令嬢を前にしてもどこか余裕がありそうに見えた。茶色の貫頭衣を洒脱に着こなしており、ベルトに羽を模った金具が輝いている。


「ええ、私が学園に入る前の年始挨拶以来ですから久しぶりですね。その後は若くして家を継ぎ立派にやっていると聞いています。」


 レーカが応じた。身なりは正装まではいかずとも、会談に失礼のないものへ整えられている。


「お初にお目に掛かります。マルティン・フォン・アイゼンヴァルトと申します。ゾルターニ子爵には普段よりアイゼンヴァルト領方面まで気にかけていただき助かっております。先日もお手紙のおかげで、早期に賊を捕捉できました。」


 マルティンはエレクへ挨拶と共に感謝を伝えた。


「どうか気にしないでいただきたい。ただ逃げられたというだけの話ですからな。」

 

 エレクがマルティンに向かって苦笑を零す。もっとも山賊は兵が集まるとすぐに逃げるため、仕留めるのは相応に難しい。そして他領へ逃げたことを把握するにも実直な取り組みが必要だ。


 エレクはそのまま視線をマルティンとレーカへ幾度か滑らせた。


「お二人は学園の同窓生でしたかな?卒業おめでとうございます。」


 エレクの言葉に二人は軽く頭を下げた。ヴァルガ公爵家とアイゼンヴァルト伯爵家が揃って訪問した件へ水を向けたのだろう。マルティンはこれに乗ることにした。


「ええ、先に出した手紙にも書きましたが、我が領にて貴族の物と思しき盗品が出ました。照会をするためにヴァルガ公爵家へ伺いを立てたところ、面識がある方がやり易かろうとヴァルガ嬢が対応していただける運びとなりました。金具からこの地方に関係ありそうなのですが、何かご存知の点があればお聞きしたく思います。」


 マルティンがそういうとハンスが布に包まれた例の漆器をテーブルへ乗せた。


「拝見しても?」


 エレクが短く問うた。マルティンが目で促すとエレクは丁寧な所作で布を剥がし漆器を見つめた。一瞬、エレクの指先が震えて、懐かしい物を見るかのように目を細めた。しかしそれはすぐに抑えられ、誤魔化すように眇めていく。


「……どこの家のものかは心当たりはありませんな。嫁入り道具が盗まれたとなれば大騒ぎになるのは間違いないでしょう。そのような話も聞いておりません。」


 エレクが硬い表情で答えた。


「そうですか。残念です…… 一休みしたいので、ヴァルガ領へ戻る前に街を見て回っても良いですか?」


 マルティンが口を開く前にレーカが言葉を紡いだ。まるで予想していたかのような滑らかさだった。




 エレクが街の案内を着けるというのを丁寧に辞して、マルティンはレーカへ着いていく。


「ゾルターニ子爵は何か知っているように見えましたが、あそこで問いたださなかった理由をお聞きしても?」


 マルティンがレーカへ質問した。まるでエレクを問うてはいけないような、そんな有無を言わさぬ流れだった。


「まだ確信があるわけではありませんが、卿の反応で疑惑が深まりました。東部の慣習にも関わることですので、少々の猶予を与えるのと、答え合わせの材料を集めようと話を切りました。」


 少々強引でしたね、とレーカが零した。


 レーカは彫金師のところへ向かう道すがら、自身が同行した理由を話してくれた。曰く、エレクの妹──ボニカ・フォン・ゾルターニ──は、アンドラーシュの友人のケレシュ卿と婚約者だった。しかし、学園を卒業しそろそろ結婚かという時期に病に罹り亡くなった。もし漆器がボニカの物であれば、単なる形見ではないかもしれないと、レーカが語る。


 東部の一部では死後婚という風習があるらしい。未婚のまま亡くなることへの同情から、死後であっても結婚を行いある種の成人式を済ませたいという遺族の慰安である。結婚とはいえ、公的な手続きに反映されるのは珍しいらしく、まさしく慰めのためのものだ。


「ですから、それをしたと周りに広まれば、些か後ろめたく思う者もいます。認めるのに勇気がいるでしょう。」


 レーカはそう言葉を締め括った。


 彫金師のところに着くと、貴族が直接対応するのは畏れ多いと、イロナを通して話を聞く事になった。レーカが描き写した意匠は珍しいものではなく、この辺りの地域では裕福な者には普通に使われているらしい。その後、蒔絵の方を軽く話すと覚えがあるのか、蒔絵師を紹介してくれた。




「ええ、覚えとります。領主様のお家の嫁入り道具を任せられて大層喜んだものですが、途中で姫様が亡くなられて、外側の蒔絵が変更になりました。」


 蒔絵師が沈痛な面持ちでそう答えた。領主の館で見かけ、素晴らしい出来だと水を向けると最初は誇らしげだったが、途中で経緯を思い出したのか徐々に暗く落ち込むような仕草を見せた。


「変更された蒔絵の事を詳しく頼む。」


 イロナが蒔絵師へ尋ねた。やはり職人に貴族の直答は苦しいのか、或いはイロナが人気なのか、レーカとマルティンは上座で座りながら二人の話を聞く事になった。


「はい、最初は蓋も含めて山野草で一杯にしてくれと言われました。蓋を春のものにして、側面毎に季節を感じられるようにと…… ですが途中で蓋は朧月と山、側面を蔓で囲っとくれと言われ、少々寂しげで、残念でなりません。」


それに、と蒔絵師は続けた。


「姫様と婚約者のタマシュ様はそれはもう仲睦まじいと評判で、幾度か漆器の状況を二人で見に来られました。姫様が亡くなられた時は大層お嘆きになったと街の者も噂しておりました。」


 マルティンはレーカへ視線を向けると目が合った。これはレーカも知らなかったのだろう。マルティンは掘り下げたいところだが、蒔絵師から聞くには外聞に障るか悩んだ。


「貴族の方々の婚約でそこまで仲睦まじいとはあまり聞かないな。なんともお労しい限りだ。」


 イロナが同情するように応じると、蒔絵師は少し残念な声で呟いた。


「ですからてっきり漆器はタマシュ様へ贈られると思ったんですが、領主様の家に保管されているんですね……」


 一瞬だけ空気が沈黙した、マルティンは先程のレーカが話した死後婚を思いだす。形見を贈り、墓へ納めれば成立する。蒔絵師は行ってもおかしくないと思ったのだ。実際に見た者の意見は大きいとマルティンは直感した。


「まあ、貴族の方々は外聞もあろう……」


 イロナが曖昧に応じて話は終わった。




 マルティン達はエレクに紹介された宿で情報をまとめる事にした。


「疑惑の可能性が高まったと見てよろしいですか?」


 マルティンはレーカへ尋ねた。死後婚と口に出すのは少し躊躇われた。部屋に入ってより、レーカは暫し目を瞑り考えをまとめている。イロナが入れた茶から湯気が立ち昇っていた。


「死後婚には幾つか種類があります。まずは形見と絵を一緒に奉納し、死後に魂が良き相手と巡り会うのを祈念するもの。そして次に生きている相手へ形見を贈り、その家の墓に納めるもの。」


 レーカが流麗に語り始める。


「後者はさらに二つに別れます。形見は時を置いてから、焚き上げねばなりません。そして誰が焚き上げるかで扱いが変わります。」


 マルティンは死後婚を公的に扱うのは珍しいとの発言を思い出した。そう珍しいだけで、ないわけではないのだと。


「では今回の件は焚き上げに際して紛失が重なったと……?」


 ゾルターニ家か、ケレシュ家かどちらなのかまではわからない。それでも死後の供養の締めくくりにこの扱いでは、あまりに不憫だった。


「子爵の態度を見るに、形見を保管していたのはゾルターニ家ではないのでしょう。」


 レーカはマルティンの問いには答えず、暗にケレシュ家に話を求めると表明した。




 二人で漆器を見に行ったことからわかるようにケレシュ領は程近くにあった。今回は予定にない訪問であり、少し無理をいっての面会となった。


「今回は無理をいい申し訳ありません。少し確認をしたい事があり、急な来訪となりました。」


 自己紹介の後に代表してマルティンが謝罪をした。ケレシュ家は先代当主と嫡男という不思議な組み合わせだった。


「先代当主のフェレンツ・フォン・ケレシュと申す。時期的にも忙しいところがある。出来れば手短にお願いしたい。」


 如何にも頑固な老人という見た目のフェレンツは、公爵家のレーカが居てもなお強気に発言した。アルテンライヒ王国では家を守り、次代に繋いだ老人は身分に依らず一定尊敬される。それを見越しての揺さぶりだった。


「お、お祖父様!祖父が失礼しました。ケレシュ家嫡男のタマシュと申します。最近家の事で少しばかり気が立っておりまして……」


 タマシュは焦りながらそう言葉を継いだ。アンドラーシュと共に研鑽を積んだだけの事はあり、体格のいい男であった。身につけている赤い貫頭衣は、東部貴族でも尚武の家系に人気のあるものだ。しかし、少々やつれており、先程の焦りもフェレンツの言葉のせいだけには見えなかった。


 マルティンは少し迷い、懐からレーカが描いた金具の写しを取り出した。レーカが視線を向けるのがわかったが、それは無視した。漆器の実物を出すのは躊躇われたのだ。


「このような意匠の金具と、山の蒔絵が施された漆器を知りませんか?」


 フェレンツは無表情であった。しかし、タマシュはすぐに食いついた。


「どこでその漆器の事を聞いた!?在処がわかるのか!?」


 焦燥に駆られた様子を見て、マルティンは一つ確信を抱いた。


(……タマシュ卿は焚き上げをしたいらしい。そして……)


 チラリとフェレンツを見ればタマシュへ苦虫を噛みつぶしたような表情を向けていた。


 マルティンは落ち着くようにゆっくりと話し出した。


「盗品として我が家の者が保管しております。貴族の品物でしょうから、所有者を探しております。何かご存知の事はございますか?」


「我が家の所有で間違いない!」


 タマシュが叫ぶように主張した。しかしそれに待ったをかける者がいる。


「我が家の物であった、だ。既に所有は別の者へ移っているが、送り届ける途中で家の者が賊に襲われたと聞いた。知らせていただき感謝する。必要であれば返却はこちらで請け負うが、所有者へ直接でないと返却できぬのならば、そちらへ返されると良い。」


 フェレンツはタマシュの言葉に水を差すように言い放った。


「その新しき所有者はどなたですか?」


 マルティンはタマシュが口を開く前にフェレンツへ尋ねた。


「ゾルターニ子爵である。」


 フェレンツは硬い表情のまま告げる。目の奥に隠しきれなかった後ろめたさを感じた。


「お祖父様!私は認めておりません!」


 タマシュが激昂するように立ち上がった。思わずベネデクが動きそうになるのをレーカが制したのがわかった。


「少し、整理が必要なようですね。こちらもゾルターニ子爵へ一度確認するといたします。それまではどなたに返却をするのかは保留といたします。しばらくはゾルターニ領に滞在させて貰いますので、不服があれば申し出てください。その前に決定となりましたら書面にてお知らせいたします。」


 マルティンは事務的に話を終えた。騒動の一連の流れは読めた。後はどこを落とし所とするかの調整が必要であった。





 マルティン達は再びゾルターニ領へ戻る途中で川に立ち寄った。休息と、エレクとの面会の前に擦り合わせが必要と認めたからだ。


「形見の焚き上げを生家と婚家どちらが行うのかで、魂の帰属が変わる。それでよろしかったですね?」


 マルティンはレーカへと水を向ける。レーカは川面を見つめながら答えた。


「ええ、魂は焚き上げた方の家に祖霊として帰ってくるとされています。それ以外にも婚家で焚き上げると、それは正式な結婚と認められます。ですので、生きた方と死後婚をする場合は、多くの方が時を置いて形見を生家へ返却し、そこで焚き上げると聞きます。」


 川面で魚が跳ねた。それを見ながらマルティンは見解を述べる。


「フェレンツ卿は正式な結婚となるのを認めたくないのでしょうね。タマシュ卿もそろそろ新しい婚約者を探す時期です。死別とはいえ前妻がいるとなれば、気にする者もいます。」


 レーカは一つ頷いてから応えた。

 

「タマシュ卿が納得するかはわかりませんが、あそこまではっきりと明言されれば、ゾルターニ子爵も無視はできません。それに本人は焚き上げを嫌がらないでしょう。」


 だからこそ厄介だった。もう既に終わりは見えている。タマシュが我慢すればそれで全て事が済む。ゾルターニ家はもう誤魔化しが効かず、外聞に囚われずに故人を供養できる。ケレシュ家は大切な嫡男の婚約に変な失点を抱えずに済む。アイゼンヴァルト家は厄介な盗品から解放される。


 マルティンはため息を吐きながら、ふとまだ理解していない事に思い当たる。


「そういえばヴァルガ嬢が同行した理由をきちんとはお聞きしていませんでしたね。死後婚の懸念からと理解しましたが、同行までは必要なかったように思います。あぁ、もちろん答えたくなければ結構ですが。」


 もうすぐこの旅は終わる。そう思うとマルティンは最後に聞く位は許されるだろうと問いかけてみた。


 レーカは身体ごとマルティンへ向き直った。力強い視線に、マルティンは一瞬気圧された。


「ヴァルガ家の目的は死後婚という、東部にあっても馴染みの薄い風習が、家の関係性を悪化させないようにする事です。」


 レーカが語る目的は概ね達成出来たと言えるだろう。マルティンはそう思った。フェレンツとタマシュの間に多少の諍いはあるかもしれない。ゾルターニ家とケレシュ家だって形見の紛失や、その扱いで、思うところはあるはずだ。それでも、決定的とは言えない。後ろめたい事の共有という事実が、その亀裂を決定的にしないのだ。疎遠にはなるかもしれない。しかし敵対はできない。それは東部の安定という意味では及第点だった。


 マルティンのそんな読みを看破したのか、レーカは一歩歩み寄った。小さく、しかし揺るぎない一歩だった。


「そして私の目的はボニカ嬢の思いに沿った結末を与える事です。」


 愛する者と一緒になれずに亡くなり、あまつさえその形見は山賊の手で手荒く扱われた。それはあんまりだとレーカは言う。供養の締めくくりを、誰もが故人の気持ちを脇に置き、形式ばかり考える。それは供養といえないと訴える。


 マルティンは空を仰ぎ見た。考えを纏めたかった。それからゆっくりと呼吸をしてレーカへ向き合った。


「大団円とはならないでしょう。焚き上げもケレシュ家で行うのは難しい。それでもまだ足掻くべきだと思いますか?」


「魂が安んじられぬ供養に、何の意味がありましょうか。」


 それは祭礼を執り仕切った経験のあるレーカだからこその感覚なのだろう。皆が目を逸らしていた部分を容赦無く突きつけてきた。


 マルティンはいつだったか、レーカに対して伝えた事を思い出す。確か家の事に固執し個人を蔑ろにすると、結局は無理が出て家にも被害が出ると、そんな内容だったはずだ。自分が投げかけた言葉が、今自分に向かって跳ね返ってきている。


「アイゼンヴァルト家としては漆器を返却出来ればそれで良いという考えは変わりません。ヴァルガ家がそれに何を追加で求めようと知るところではありません。」


 レーカは不満を口にはしなかった。ただ黙ってマルティンから目を逸らさなかった。マルティンはでも、と続けた。


「私個人は、レーカ嬢のその思いは、尊重されるべきものだと思います。」


「感謝します。マルティン卿。」


 二人は共犯者になった。


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