漆器の行方─序─
二拍の拍子を刻みながら馬が駆ける。機嫌が良いのかブルルと鼻を鳴らした。気楽な奴だと首筋を撫でてやれば、嬉しそうに耳を緩めた。陽気な天気であり、ただの遠駆けならいう事なしだったが、残念ながら仕事である。前方には三十人程の人影が奥の森に向かって走っている。
(手慣れてるな。追いつけるか怪しい距離で逃げられた。)
森の中ではどうしても馬の機動力は鈍る。彼らは追われていると理解してからは、障害がありそうな道を選び撹乱をしながら、正確に森に向かって駆けていた。
ただし、こちらの方が一枚上手だ。森からキラリと光るものが飛んだ。矢が光を反射したのだ。突如飛んできた矢に男達の足が止まる。反射的に弓で応戦する者もいる。ただ、森との距離は弓で戦うには遠い距離だった。それに気づき逃げようとする者、依然として戦おうとする者で反応が分かれ、統率が乱れた。
「右から回り込むぞ!一当たりしたら結集!もう一度当たる!左側には逃すな!」
騎馬を二十騎ばかり従えて青年が叫んだ。向かって左側は草丈の高い草が固まっていた。伏せられたら見失いそうだ。隣領との境界も近く、見失ったら逃げられるかもしれない。
「ないとは思うが、道草はやめろよ!」
軽い調子で青年は笑いかけた。
「一番の食いしん坊は若の馬ですぞ!」
古参の騎士が揶揄うように言い返す。
「なら大丈夫だ!抜刀!突撃ィ!」
笑いながら応えると、すぐに表情を引き締めて号令をかけた。待ってましたとばかりに馬が速度を上げる。軽やかだった足音は、力強いものへ変わっていき、瞬く間に距離を詰めた。敵の側面を取るように回ると、そのまま突っ込んだ。すぐに敵の恐怖に怯えた表情まで見えてくる。敵は馬を見上げながら、手に持つ剣を精一杯伸ばす。しかしあまりにも短く頼りない。そのまますれ違い様に曲刀を振るった。刀越しに肉を裂く感触が伝わる。恐らく致命傷ではない。それでも十分だった。背中を向けている者へ、曲刀をもう一度振るった。悲鳴を上げて倒れる。そのまま十分に距離を取り、馬首を翻した。既に集団は散り散りで、まともに陣形など組める状態ではなかった。期を逃さず森からアイゼンヴァルト家の兵達がぞろぞろと進み出てきた。騎兵から森へ逃げる判断は手慣れていても、その森が領主に見張られている事までは知らなかったのだろう。他国からの流れ者か、商人の護衛として入って山賊化したのか、いずれにせよ結果は変わらない。再び檄が飛ばされた。
「色々と溜め込んでいるな。」
青年──マルティン・フォン・アイゼンヴァルト──は戦闘後に山賊の拠点を改めていた。灰色がかった瞳を周囲へ走らせ、状況を確認する。拠点を森に隠して襲撃をしていたようだ。しかし、その森はアイゼンヴァルト家の警戒対象として時折巡回している場所だった。
積み上げられた盗品には予備で取っておいたのであろう剣や革鎧、食料品に酒、雑貨、金貨まである。どこかの商人を襲ったのだろう。商品の種類は乱雑で中々の数を襲ったのかもしれない。マルティンは対応が遅れたことを少し悔やんだが表情には出さなかった。できることはやっている。その上で悔やむ姿を見せれば、部下を責めることに繋がる。それでも思うことはあるのか、一つ息を吐いた。
「若、少し毛色の違う物が出てきました。」
騎士の声に顔を向けると何やら高級そうな漆器を持っていた。やや古びて見えるが丁寧に作られた朱色の品だ。所々に金細工が施されている。手に取って見るとどうやら何かの収納箱のようだ。金具が変形しているのか開けるのに手間取った。しかし中には何も入っておらず、内側は艶のある漆黒で炎を思わせる金の蒔絵が施されていた。
(貴族の品か?)
平民向けにしては出来が良くみえた。貴族の物なら家紋も入っているだろうと探す。美しく蔓の蒔絵で覆われている側面に、ヤスリで削ったのか木地が露出している部分があった。
「貴族の物を盗んだとなれば大事になるからか……」
厄介だなと内心で呟きながら、兵達の準備が整ったのを見て帰還の命令を下した。
「首は塩漬けにしてから晒しておけ。盗品はいつも通りでいい。私はこれを父上に見せてくる。」
館に戻ると騎士達へいつも通りの指示を出した。持ち主が分かりそうなものと、無理なもので仕分けを行い、必要であれば周辺に公示する。ただ今回は平民向けの雑貨品が多いため、該当の商人も多く、特定は無理だろう。そもそも生きているかすら定かではない。唯一つ、例の漆器を除いてだが。
父の執務室の前まで行くとノックで知らせた。部屋から応答があり、そのまま扉を開けて身を入れた。
「父上、ただいま戻りました。」
焦茶色の髪に同色の瞳を持つ壮年の男が書類から顔を上げてこちらを見つめてきた。──エルンスト・フォン・アイゼンヴァルト──マルティンの父であり、アイゼンヴァルト家の当主、アルテンライヒ王国において陸の要衝の一つを治めるアイゼンヴァルト伯爵その人である。彼はマルティンが手に持つ漆器を認めると厄介ごとと判断したのかペンを置いた。
「マルティン、一先ずは無事で何よりだ。」
エルンストはマルティンの目を見つめながら告げた。山賊が相手といえども命のやり取りである以上は絶対の安心はない。ましてや今回の規模は三十人程と大きく、下手をしたら国境の小競り合いよりも大きな争いといえる。
「ありがとうございます。兵達が良くやってくれました。特に森近くの村には多くの兵を出してもらいました。後で金銭と一緒に酒を振る舞おうと思います。」
マルティンは嬉しさを隠しきれず、口角を上げて応えた。するとエルンストは机の上で手を組み口を隠すような仕草をすると、漆器をしっかりと見据えた。そして威厳を感じさせる表情で次の句を紡いだ。
「してマルティン、どこで嫁を決めてきたのだ。まさかレーカ嬢ではないだろうね。ヴァルガ公爵閣下は尊敬できるお方だが、少し怖いから付き合いは大変だぞ。」
明らかな揶揄いだった。思わぬ発言に、マルティンの上がった口角はすぐさま下がることとなった。ヴァルガ公爵はアイゼンヴァルト家が属する東部─ヴァルガ地域─の盟主であり由緒正しき名門である。
「これは嫁入り道具ということですか……」
マルティンはあえて揶揄いには触れずに漆器についての言葉を受け取った。女っ気のない息子へ、ヴァルガの至宝とも呼ばれる美しい姫が訪ねてきたのを機に、エルンストは時折茶化して来るようになった。なお訪問の内容は、マルティンが巻き込まれた、トラブルの顛末報告というなんの色気もないものである。マルティンは年頃を考慮して控えて欲しいと切に願うが、効果はないのでそこは諦めている。
「化粧箱だろう。見せてくれ。」
反応が小さかった事に残念そうな表情を浮かべながら、エルンストは手を差し出した。漆器を受け取ると丹念に見回し、家紋があったであろう木地が出ている場所を眇めた。
「東部貴族の化粧箱で間違いはないだろう。恐らくは嫁入り道具として使われた物だと思うがそれ以上はわからんな。」
そういうとエルンストはマルティンに漆器を返した。
「東部貴族に聞くしかあるまい。詳しい者へ聞くとなると、先程の冗談ではないが、レーカ嬢に手紙でも送ればどうだ?まあ、公爵閣下宛でも良いが……」
嫁入り道具が盗まれたというのはあまり外聞が良くない。それなら周りに広めるよりも、公爵家に確認をとった方がいい。そうマルティンは読んだ。
「……公爵家へ照会をとった方が良さそうなのは事実ですが、父上が送るのではダメなのですか?」
マルティンはてっきりエルンストが送るものだとばかり思っていたため驚いた。
「物が物だけに恐らくは公爵家へ持って行く事になる。それなら事前に対応責任者としてお前が書いておいた方が擦り合わせが楽だ。」
「それこそ父上が持って行った方が良いのではありませんか?東部貴族の嫁入り道具なんて、こんな若輩には身に余ります。」
マルティンは父がなぜこの件を自分に任せるのかわからなかった。東部において結婚とは一大事だ。その為に用意される嫁入り道具も当然、東部貴族にとって面子を掛けたものになる。そんな重い仕事を成人してすぐの自分に任せて大丈夫なのか不安になった。
「マルティン、理由は二つある。一つは東部貴族の嫁入り道具だからこそだ。下手をすれば長い期間掛かり切りになりかねん。そろそろ秋の市が立つ季節だ。商人も動き出すし、徴税もせねばならん。もう一つはお前が成人したからだ。そもそも山賊退治で何度か他家とやりとりした事もあるだろう。向こうだって若造にそこまで完璧を求めておらん。動きやすい下っ端として頑張ってこい。他に何かあるか?」
質問がないことを確認したエルンストは身振りで下がるように伝え、書類に戻った。マルティンは扉の外でため息を吐き、気持ちを切り替えて自分の執務室へ向かった。道すがら盗品を手に入れた経緯を頭の中で整理する。手紙は公爵宛に書いた。
ヴァルガ公爵からの返信が届いたのはそれから二週間程経った頃だった。現在のところ盗品の報告は受けていない旨と、被害者の名誉のために公示をするのを控えて欲しい旨が、真面目な角ばった字で書かれていた。そしてエルンストの予想通り、現物を照会するためにヴァルガ公爵領まで持ってきて欲しいとの要望があった。
マルティンはヴァルガ公爵領の領都へ着いていた。道中は幸いトラブルもなく、事前に公爵からも話を通していたのか、予想よりも順調に先々を通過できた。そのまま、正門脇の貴族用の関所へ向かい、書面を門番へ見せた。門番は素早く中身とマルティン達へ視線を走らせると、門を開けて迎え入れてくれた。視界の端で迎えを呼びに一人が走っていくのが見えた。
「相変わらず荘厳ですなぁ。」
騎士が感嘆の声をあげた。石畳で覆われた大通りの脇には、背の高い建物が並ぶ。石造りが多いが、ところどころ木造建築もあるようだ。堅牢な街並みの中で、木の柔らかな印象が際立つ。マルティンは落ち着いた配色の中で、厳かさと安心感が調和した雰囲気にしばし心を奪われた。
(流石は七百年の歴史を持つ、旧ヴァルガ王国の王都だ。)
学園のあった王都の街並みも、明るい配色が多用された華やかで大したものだったが、こちらも素晴らしく甲乙付け難い。アイゼンヴァルト領はどうしても人の流通に合わせて急速に広がった経緯があるため、実務優先で整然としてはいるが、華やかさや趣といったものには縁遠い。
「そういえば、お前は来たことがあったのか。」
同行を頼むときそのような事を言っていた。おかげで道に迷わずに済み随分と助かった。
「ええ、御館様から何度か使者として遣わされました。」
やはり歴史がある街というのは趣がありますな、と騎士は続けた。
迎えが来るまで別棟で寛ぐ事を勧められた。言葉に甘えて、馬の世話と共に厄介になった。旅装から改めて身だしなみを整える。失礼にならない程度の礼装で十分だろうと、手入れの行き届いた平服にアイゼンヴァルト家の紋章を入れたケープを羽織った。
「ようこそヴァルガ公爵領領都へお越しくださいました。私がご案内いたします。」
マルティンは少し遠い目をしながら白銀の髪を靡かせる少女──レーカ・フォン・ヴァルガ──を見つめた。ヴァルガ公爵の愛娘がこんな気軽に出歩いて良いはずがない。レーカの後ろで、恐らく本来の案内であろう侍従が困った顔で侍っていた。流石に護衛はつけているようで、そこだけは安心だった。
「ヴァルガ嬢、その、貴女がご案内するのは公爵閣下はご存知なのでしょうか?」
マルティンは困惑の表情を浮かべながら問いかけた。恐らく侍従の表情を見る限り望みは薄い。
「ご安心ください。漆器の件は私も聞き及んでいます。力になれる事もあるでしょう。」
レーカの答える気のない態度に、マルティンは追求を諦めた。三ヶ月ぶりの再会は随分と印象の変わるものだった。
「では、よろしくお願いいたします。ヴァルガの至宝直々のご案内を頂けるとは幸甚の至りにございます。」
マルティンの知る限り、レーカはここまで自由な態度をしていなかった。あるいは先のトラブルで解放されただけで、こちらが真の姿なのかもしれない。そんなことを思いながらマルティンはレーカへ着いて行った。
案内の先には馬車があった。乗ってきた馬はそのまま世話をしてくれるらしい。
「お前達は城の外で待機だ。羽を休めるのは良いが、迷惑はかけないようにしろ。渡した路銀は好きに使っていい。場所だけは互いに把握して、必要な時に報告できるようにしろ。」
マルティンは馬車に乗り込む前に兵達へ告げた。兵達が嬉しそうに返事をした。行儀が良いのを選んできたから大丈夫だろう。ヴァルガ家の侍従から感謝の視線が飛ぶが、それに苦笑いで応えた。
応接間はやはりヴァルガ地域らしい落ち着いた印象をしていた。ただし、一目見ただけで質の良さがわかる。テーブルは一枚板でまっすぐな木目が綺麗に出ており、艶やかに磨かれていた。椅子は深みのある飴色で歴史を思わせる逸品だ。座席には羊毛で織り込まれただろうクッションが備わっている。
(慣れてなきゃ交渉の前に飲まれるな。)
マルティンは自分に非がないことに心底安堵した。しかしどうにも古株の騎士は芸術に聡いのか、マルティンの緊張などどこ吹く風と、背後に立ちながら満足気に部屋を見渡している。
暫し待っているとノックの音がした。マルティンは応じながら立ち上がり、入ってきた人物へ騎士と共に頭を下げた。
「良く来てくれた。頭を上げて良い。そのまま座れ。」
足早に指示を出すとその人物は自身も椅子に座った。──ラースロー・フォン・ヴァルガ──東部の盟主にして、アルテンライヒ王国最古の家の当主である。レーカとの繋がりを思わせる紫の瞳は涼し気で、珍しい黒髪と合わせて威圧感を与える。
「この度はお時間を頂きありがたく存じます。」
マルティンは礼を言った後、指示に従い椅子に座った。頭を上げると意外な事に座ったのはラースローだけでなかった。
「ああ、折角だから顔合わせでもと呼んだ。息子のアンドラーシュと、娘のレーカだ。」
マルティンは口元が引き攣りそうになるのを抑えた。二人が同席している事はこの際良い。ラースローがレーカの名を呼んだ時の鋭い目に心当たりがなさすぎた。
「これは、アンドラーシュ卿…… この度は第二王女殿下とのご婚約、誠におめでとうございます。マルティン・フォン・アイゼンヴァルトにございます。父より祝いの品を託されております故、後ほど侍従殿よりご確認があると存じます。」
ヴァルガ公爵家嫡男にして名に聞こえる武人──アンドラーシュ・フォン・ヴァルガ──王家の都合によりレーカと第一王子の婚約が解消となり、その代わりとして第二王女との婚約が決まっていた。彼は赤い瞳を両脇へと交互に動かすと、大人気ないラースローと素知らぬ顔を貫くレーカに呆れた顔を見せた。それでもアンドラーシュは真面目な顔を作ると頷いた。黒い髪が僅かに揺れた。
「うむ、厚意に感謝する。今後は私も王女殿下に贈り物をする事もあろう。アイゼンヴァルト卿には面倒をかけるかもしれぬが、宜しく頼む。」
ヴァルガ地域の南方に広がる海は潮の流れが複雑で、貴人向けの繊細な品を運ぶには向いていない。そうするとどうしても陸路でアイゼンヴァルト領を通る事になる。そのためアンドラーシュは使者や商人への対応で手間をかける事へ言及したのだろうとマルティンは頷いた。
「お任せください。我が家も全力で治安の維持に努めております。」
あらゆる物や人が集まる都合上、どうしても望まぬ客も増える。それでもアイゼンヴァルト領は王国全体で見ても、決して治安が悪いわけではない。それは単に歴代のアイゼンヴァルト家の努力の賜物だった。
「そうだろうな。そうでなければ今回来てもらうことはなかった。」
ラースローは早速本題に入ろうとした。レーカはそれを少し冷めた目で見た。
「お父様、まだ私の挨拶が終わっておりません。」
ラースローは少し言葉に詰まったが、すぐに気を取り直して反論した。
「お前は先程アイゼンヴァルトの倅を案内していただろう。しかも無断で。」
「これは礼儀の問題です。お父様はヴァルガ地域の祭礼を司る頂点に位置するお方です。それなのに礼儀知らずと思われればヴァルガ地域が侮られる事になりますよ。」
レーカは自分の非礼をするっと棚に上げてラースローを非難した。マルティンはアンドラーシュへ視線を向けるが、返ってきたのは苦笑だった。改めてヴァルガ家の面々の服装を見れば、貫頭衣の色こそ貴色である紫や藍を使っているが、日常用の刺繍が簡素な物だ。それに下に着る衣装は綿を用いた平服のようで、この場はそこまで畏まったものではないと教えてくれているらしい。
「改めてレーカ・フォン・ヴァルガです。先程ぶりですね。」
「マルティン・フォン・アイゼンヴァルトにございます。先程はご案内を頂き恐悦至極に存じます。」
そこでラースローが咳払いをして仕切り直した。
「では改めてだが例のものを見せて貰う。」
するとヴァルガ家の家人がさっと布張の台座に載せた漆器をラースローに差し出した。ラースローは漆器の外側を見回すと思わず眉を顰めた。そのまま何も言わずに中を改める。そして台座に戻すと、横へ避けて僅かに黙した。
「普通の品ではないな。」
ラースローは呟いた。それに釣られてかレーカの視線はアンドラーシュの手にある漆器へ吸い込まれる。アンドラーシュはそこまで審美眼に自信がないのか、ついとレーカに手渡した。子供達がそうしているのを横目にラースローは続けた。
「アイゼン…… エルンストの見立て通り嫁入り道具の化粧箱だろう。しかし保存状態が悪い。少なくとも二年は碌な手入れがされておらん。それに蒔絵も年頃の娘に渡すものとしては、あまりに寂寥へ振りすぎている。」
レーカもそれに頷いた。手元を見ながら呟く。
「朧月に照らされる山と炎ですか…… それに色の組み合わせも独特です。」
一つ一つは珍しいものではないようだ。しかしどうも組み合わせると嫁入り道具とは縁遠くなるらしい。
(東部ならではの感覚というやつか……)
「二年前か…… 化粧箱が盗まれたとは聞いていないが、何があったか。」
ラースローは記憶を掘り起こすように目を瞑った。
「二年前だとレーカが学園に入って半年程経ち、父上の機嫌がすこぶる悪かった時期ですね。他家も些事は伝えづらいと気後れしたやもしれませぬ。」
アンドラーシュが真剣な顔でラースローへ言った。マルティンは聞かなかった事にした。
「あの時期か、その少し前にどこかの子爵家が年若い息子に代替わりしていたが、結婚となると聞いては居らんな。いくらなんでもその漆器を買える家なら報告があるだろう。」
ラースローがアンドラーシュに軽く反論をした。しかし貴族の結婚となれば勢力に直結する話であり、ヴァルガ公爵家の耳に全く入らないというのが不自然であるのは事実だった。ここで話が停滞したのを機にマルティンが切り出した。
「アイゼンヴァルト家としましても、貴族の持ち物をいつまでも保管するのは厳しい物があります。公示を行い、一定期間で見つからなければ競売にかける事が通例です。」
マルティンはヴァルガ家の面々を見回しながら確認するように話していく。
「しかし東部の慣習を蔑ろにしたいわけでもありません。ヴァルガ家の皆様からさりげなく事情をお伝えいただくのは可能でございますか?」
しかし皆一様に感触が悪い。やはり噂の制御となると難しいのか、マルティンは次の手を探す。
「例えば、補修作業を行なっていた職人がアイゼンヴァルト領で倒れたため、依頼人を探しているというのはどうでしょうか?木地が露出しているところは、こちらの負担で周りに合わせて朱色に塗り直すまでは行えると存じます。」
やはり反応は悪い。レーカが少し躊躇いがちに応える。
「嫁入り道具の漆器は家によって蒔絵や形、それに金具などで家を特定できる者もいます。それに状態も誤魔化すには限度があります。多少の補修があろうともこの漆器が多くの目に触れれば、その家にとってあまり好ましくはないでしょう。」
レーカはそういうと漆器に目を落とした。そしてふと目を瞬かせた。
「白鳥……?」
レーカがポツリと呟く。マルティンが目を向けると、レーカは蓋を固定する金細工を見つめていた。山賊が手荒く扱ったからか、ひしゃげていて意匠がわからなくなっていたものだ。
「それは白鳥なのですか?」
マルティンは話を促すために問いかけた。レーカの視線は自信なさげに少し揺れた。しかし念入りに金細工を確認すると納得したのか頷いた。
「少し欠けたり曲がったりしていますが、これは湖面に浮く白鳥を象っていたのだと思います。」
そういうと皆に見えるように指差しながら説明した。首が欠けて、彫金も潰れがちだが、言われてみればそう見えなくもない。
「白鳥ならザラニ地方が有名です。まずはそこの彫金師に確認をとってみましょう。」
レーカは当たりをつけると方針を打ち出した。
(なるほどこうやってバレるのなら確かに簡単な補修じゃ誤魔化せないな)
「直接持っていくのは噂になります。金具の図案だけでも写していきましょう。」
言うや否やレーカは家人に紙とペンを要求した。家人が素早く渡すとサラサラと描き上げていく。現状と万全だった時の予想図を描いているようだ。
「ザラニ地方か……」
ラースローが低く呟いた。マルティンはそっと窺い問いかけた。
「閣下、何か思い当たる節でもございますか?」
「先に言った、代替わりした子爵家もザラニ地方だったはずだ。偶然かもしれんが、どこの家だったか家宰に調べさせよう。」
ラースローは家人に視線を向けると、家人は頭を下げて、扉の外に一度出た。すぐに戻ってきたが控えていた者に伝言を託したのだろう。
「そうかエレク卿が継いでまだ二年だったか。」
ヴァルガ家の家宰から二年前に代替わりした家がゾルターニ家だとの報告を受けて、アンドラーシュが呟いた。
「ご友人でしたか?」
マルティンはエレク・フォン・ゾルターニを思い出す。と言ってもマルティンは殆ど関わりがなく、近隣の領地という事で時候の挨拶や山賊の注意喚起を手紙で幾度かやり取りした程度だ。
「直接の面識はあまりないが、学園時代の先輩と深い関わりがあったはずだ。」
話を聞くとアンドラーシュは学園時代に有志で集まり、馬術競技を行っていたらしい。その時に一つ年上の東部貴族のケレシュ卿と実力が伯仲しており何度も競い合ったとの事だ。重装騎兵が花形とされるアルテンライヒ王国らしい行いと言えた。流石に貴族の子息ばかりという事や本分は勉学という事もあり、騎兵突撃の真似事は許されず、障害を跳び越えながら誰が一番早くゴールへ到着するかを競っていたと楽しげに語った。一通り思い出話が落ち着くと、一瞬だけ動きが止まり、そして漆器に悲痛な視線を向けた。
「何か漆器に思い当たる節でもございますか?」
アンドラーシュの仕草にマルティンは話を促した。
「まだ決まったわけではないが、そういえばエレク卿の妹君が亡くなったのも、その位の時期だったなと思ってな。」
ラースローはその話を聞きながら、何か引っ掛かることがあったのか黙り込んでいた。
「流石に形見が盗まれたとなれば騒ぎになるとは思いますが……」
マルティンは漆器を見ながら、肯定も否定もできず、ただ話を受け止めた。
「……アンドラーシュ、エルンストの倅にエレク卿へ紹介状を書いてやれ。レーカ、お前は書き終わった図面の写しを渡してやれ。」
どうやらゾルターニ家を本命とするようだ。しかしマルティンはラースローの表情に一瞬だけ僅かな違和感を覚えた。しかし歴戦の貴族からは何も読み取ることはできない。
(単純にゾルターニ家に返して終わりじゃないかもな……)
マルティンはレーカが書き終わった図面を見ると、優雅に白鳥が紙の中を泳いでいた。白鳥は見えない水面下で苦労をしているという。何かを暗示しているかのようだった。




