漆器の行方─急─
故人に寄り添うと決めたものの、先行きは不透明なままである。マルティンはまず何を目標とするか決めることにした。
「タマシュ卿を参加させるのが目標ということでよろしいですか?」
レーカはさらに望んだ。
「可能であればタマシュ卿が漆器に火を入れていただきたいです。」
レーカはただタマシュを参加させるだけでなく、重要な役目を果たしてほしい、そう思っているようだ。マルティンはフェレンツの顔を思い出す。
「もし重要な役割をタマシュ卿が行った場合、魂と法的立場はどうなるのですか?」
東部の風習に関してはレーカが頼りだ。交渉のためにも、細かい部分を確認していく。
「厳密に定められていない状況ですが、主催がゾルターニ家なら、慣習的におそらくゾルターニ家に帰属となり、法的にも正式な結婚とは認められないでしょう。」
ケレシュ家側への交渉材料にはなるだろう。問題はそれをどうやってゾルターニ家に飲ませるかだ。
「なるほど、フェレンツ卿は説得できそうですね。しかし漆器を見た時の子爵の様子からは、彼も大切な役割を単に譲るとは思えません。」
エレクが漆器を見つめる姿は、未だに妹への愛情が褪せていないと思うに十分なものだった。それだけに認めぬために多大な負担を要した事は否定できない。
「ええ、ゾルターニ家の代替わりはボニカ嬢の死去による心労との事です。家族仲は良かったのでしょう。ゾルターニ家は家族だけでひっそりと行う事を願うかもしれません。」
レーカはマルティンの懸念を肯定した。
「いずれにしろ、先ずは子爵に漆器をボニカ嬢の物と認めさせるしかありません。その後の事は反応を見ながら交渉するしかないでしょう。」
マルティンはまだ情報が足りないことを素直に認めた。レーカはすっと視線を遠くへ移す。
「では改めてゾルターニ子爵へ話を聞くことにしましょう。」
マルティン達を迎えたエレクの表情には諦めと、どこか吹っ切れたような開放感が同居していた。
「どこからお話しいたしましょうか?」
エレクは単刀直入に切り出した。マルティンは気遣うように応じる。
「フェレンツ卿より妹君の漆器をお返しする話が進んでいたと伺っております。」
エレクは一度強く目を瞑り、ため息を吐いた。そして茶を一息に飲み干すと話し始めた。
「その通りです。あまり褒められたことではありませんが、仲の良かった二人を結ばせてやりたかったというのもあります。それ以上に先代、私の両親が妹を大層可愛がっており、何らかの慰めが必要だったというのが実情です。」
エレクは苦しげに言葉を吐き出す。誰にも言えなかった苦しさ故か、マルティンが知らぬことも話し始めた。
「その言い振りですと、少々無理をなされたようですね。」
マルティンは愚痴を促すかのように応じた。
「ええ、それこそフェレンツ卿は嫌がりました。タマシュが強く望んだからこそ、死後婚を受け入れてくれましたが、我らも負担を押し付けた引け目を感じています。タマシュの新しい出会いを邪魔したのは事実ですからな。」
だからこそ、形見があのような無惨な姿になろうとも文句を飲み込んだのだろう。
「フェレンツ卿とは焚き上げについて細かな打ち合わせなどはされているのですか?」
マルティンは更に話を促す。エレクはゆるゆると首を振り、疲れたように言葉を零した。
「いいえ、二月ほど前でしょうか。そろそろタマシュを前へ向かせたいと手紙が届きました。そのため、我が家で焚き上げをして欲しいと……」
そこまで言うとエレクは言葉に詰まり、思わず俯いてしまう。マルティンは思わず同情した。
「その後は災難でしたね。大切な形見が奪われるなど、若輩の我が身には察するに余りあります。」
エレクが流した涙に触れる者は誰もいなかった。
マルティンは気を取り直して気になる点を尋ねた。
「二点、伺います。一つは破損した漆器を修理する宛はあるのか、もう一つは焚き上げに際し、取り仕切る祭祀者をどう考えているかです。」
それは満足な供養を執り行うための、前提となる要素だった。
エレクは悲痛な表情を一瞬浮かべるも、毅然と返してきた。
「元々、死後婚に細かい作法は定まっておりません。噂が広まる危険を犯してまで、必要なものではない。家族だけでこのままひっそりと行う予定です。」
マルティンは一つ頷いた。
「なるほど、それも良いでしょう。ご家族の納得が一番です。しかし、──」
マルティンはそこで言葉を切り、エレクをしっかりと見据えて言葉を紡ぐ。
「──噂にならぬよう、お力になれる方法があります。」
エレクが目を見開いた。ごくりと喉が上下する。
「幸い、アイゼンヴァルト領までそれほど距離がありません。我が領地であれば、東部の風習に疎い漆器職人もおります。家紋を入れると詮索があるでしょうから、そこまでは難しいです。しかし、それでも傷んだ部分を補修はできましょう。」
エレクが身を乗り出し、震える声で問いかけてくる。
「本当にお願いすることは可能なのですか?」
マルティンは一口茶を含んでから答えた。
「可能です。ただしタダでとはいきません。タマシュ卿の参加を許可いただきたい。」
エレクは複雑な顔をした。そして思わず右手で口元を覆った。
「そもそも、参加できるのですか?」
マルティンが薄く笑う。
「過去を振り切るために必要といえば、フェレンツ卿も否とは言えぬでしょう。」
前を向かせたいなら、過去に留まらぬ努力をさせれば良いのです、とマルティンは珍しく感情を露わにした。
「我が家できちんと供養できるのであれば否やはありません。それにタマシュが参加すれば、ボニカも喜びましょう。」
エレクは少し安心したように表情を緩めた。
しかしマルティンは更に踏み込んだ。
「ただ参加させるだけでなく、漆器に火を入れていただきたいと考えています。」
その言葉にエレクの表情が固まる。そして強い視線を向けてきた。
「それは出来ません。どの口でと思うでしょうが、我が家にも矜持というものがあります。漆器が返される以上は家長たる私の手で火を入れるのが道理です。」
「どうしても叶いませぬか……」
マルティンの言葉にエレクは無言で否定を重ねる。
「ではタマシュ卿に漆器の返還をさせましょう。私たちの手ではなく、正式にタマシュ卿からゾルターニ家へ返還させるのが筋でしょう。」
ここで初めてレーカが口を開いた。静かな口調だが、思いのこもった言葉だった。さらにレーカが続ける。
「この儀式は私が執り行います。」
レーカの発言にエレクは声も出なかった。レーカはヴァルガ地域において、祭礼を執り仕切る祭祀者でも最高峰の一人だ。そんなレーカが関わるなど、表に出せないこの供養で望むべくもない幸運である。
エレクとの話し合いを終えて、マルティンは宿で新しく指示を出した。
「ハンス、兵を二人つける。アイゼンヴァルト領へ急ぎ戻って漆器を修理に出してくれ。金具はこの写しの通りにして、削られた箇所は朱色に塗るだけでいい。」
ハンスは呆れたように言い返す。
「一応、私は若の護衛でして、離れる訳にはいきませぬ。」
「すでにゾルターニ家との利害は一致した。ここから敵対する可能性は低い。それに残った兵も精鋭だろう。逃げるくらいは訳ないさ。」
マルティンは意に介さない。そしてベネデクにも視線を向ける。
「ナジ殿もレーカ嬢の礼装を取りに戻っていただきたい。必要ならアイゼンヴァルトの兵を二人までなら出せる。」
ベネデクはレーカへ視線を向ける。レーカが口を開く。
「私の我儘です。マルティン卿の厚意はいずれ必ず返します。」
「承知いたしました。アイゼンヴァルト卿のご配慮に甘え、二人を共とさせていただきます。」
ベネデクがゆっくりと頭を下げた。
マルティンはエレク、レーカとケレシュ家に送る書面を詰めていた。
一つ、この儀式は関係者のみにて執り行い、外部への公示を行わないこと
一つ、ケレシュ家を代表してタマシュ・フォン・ケレシュがボニカ・フォン・ゾルターニの形見たる漆器を返納すること
一つ、返納された漆器は、ゾルターニ家主催の下、来たる秋分の夕刻に焚き上げを行うこと
一つ、この儀式はレーカ・フォン・ヴァルガの名において滞りなく執り行うこと
一つ、前述をもって両家の間に生じた懸案を円満に解し、未来に向けて歩みを進めること
マルティンは書き上げられた書面をエレクへ手渡した。エレクが署名をする。さらにレーカ、マルティンが連署を加えた。
タマシュがゾルターニ領に来訪したのはそれから十日後のことだった。焚き上げの予定より五日を切っていた。
「手紙の内容について確認したい。」
タマシュは敬語も忘れてマルティンへ切り出してきた。ゾルターニ家の応接間にはマルティンとタマシュが向き合っている。少し離れたところにレーカが証人として座っていた。感情の昂りを抑えるため、当事者であるエレクは別室にて控えている。
「内容の通りです。ケレシュ家を代表してタマシュ卿に漆器の返納をお願いしたい。それが貴方に対する最大限の譲歩ということです。」
そういうとマルティンは、受け入れたから此処にいるのでしょう、と目だけで問いただした。
タマシュは歯を食いしばり、押し殺したような声で確認する。
「ケレシュ家で焚き上げるわけにはいかないか?」
マルティンは冷めた目でタマシュを見据える。
「それを口にするのは家の了解を得ているのですか?」
言外に返納だから領地を出ることを許されたのだろうと含ませる。
タマシュは顔を顰め、それでも強く睨み返してくる。
「まだ説得は出来ていない。しかしお祖父様の行動も、当主たる父上の了解がない独断だ。まだ挽回の余地はある。私はボニカと共に未来に進みたいのだ。」
痛い程にタマシュの思いが伝わってくる。しかしマルティンは無表情を崩さなかった。
「タマシュ卿、私には婚約者を亡くした経験はありません。だから貴方の気持ちがわかるとは口が裂けても言えない。きっと身が引き裂かれる思いなんでしょう。」
タマシュが目を輝かせた。だがマルティンはしかし、と続けた。
「貴方はもっとご家族の思いを大切にするべきだ。」
タマシュが声を詰まらせるなかマルティンは続ける。
「フェレンツ卿は確かに独断でこの度の騒動を行った。それは責められるべきことかもしれない。しかし何のために行ったのかまで、しっかりと考えておられますか?」
タマシュが反射的に声を上げる。
「それは家の体裁を保つために!」
「そう、家の体裁を保ち、子や孫が少しでも苦労しないように、老先の短いご自身で、恨みを全て背負うつもりでやったのですよ。」
マルティンはタマシュの言葉を遮るように結論を突きつけた。マルティンは確かに故人に寄り添うことを決めた。しかしそれは、生者を蔑ろにすることを意味しない。
タマシュの目が揺れ、口が開いたまま塞がらない。
「確かにフェレンツ卿の言葉は貴方には耳障りかもしれません。しかし、その言葉の裏側には貴方を思う優しさが溢れています。未来を背負うというなら、今は亡き婚約者だけでなく、現に貴方を支えようと汗を流している家族も省みるべきだ。」
タマシュの幾度か口を開こうとして、結局諦めて項垂れる。そこでマルティンは優しげに声をかけた。
「でもタマシュ卿、だからと言って婚約者との最期の一時を邪魔するのは忍びない。貴方達がどれほど互いに想い合っていたか痛いほど理解できた。だからこそ、貴方に漆器の返納をお願いしたい。ボニカ嬢が最期に旅立ち、そしてゾルターニ家を守る祖霊として帰還するその様を、貴方にこそ見守って欲しいのです。」
タマシュは何も言わずに頷いた。きつく握った拳に雫が垂れていた。
焚き上げはゾルターニ家の墓前にて行われる事になった。参加はエレクと、ゾルターニ前子爵夫妻、そしてタマシュだけであった。準備はレーカの指示で古参の家人とマルティンが動いた。焚き上げの間は墓には関係者以外は近づけないように指示が出された。
レーカが皆の前に立ち、粛々と儀式を執り行うのを、マルティンは最後尾から見つめる。その格好は白絹の簡素なドレスと、金糸で大樹が刺繍された藍地の貫頭衣という、東部における最高峰の祭祀者のみに許された礼装だ。
「清めます。」
レーカが香木を焚いた。甘い香りが辺りを漂う。死の香りだ。この空間が魂と接続される。その中でレーカは背筋を伸ばし、凛とした姿勢でタマシュに語りかけた。
「タマシュ・フォン・ケレシュ、故人に対するこれまでの献身を讃えます。これから御霊がゾルターニ家に帰還します。形見の返納を行なってください。」
タマシュは涙ぐみながら辿々しい動きで、白い絹布に包まれた漆器をエレクへ手渡した。
次いでレーカはエレクの持つ漆器へ視線を向けた。そして閉じた扇で墓前の台座を指し示す。
「ボニカ・フォン・ゾルターニの御霊が祖霊となり、永劫、ゾルターニ家の守護とならんことを、今ここに奉る。形見を台座へ。」
エレクは受け取った漆器をゆっくりと、まるで噛み締めるように台座へ載せた。その後、静かに家紋の入った布を被せた。台座の周りには薪が焚べられている。後は火をつけるだけだ。
レーカは一度、マルティンに目を向けてから、漆器へ向き直り、朗々と祝詞を唄い始めた。ゆっくりと、女性にしては低く落ち着いた声が徐々に溶け出していく。それは古のヴァルガ語なのだろう。マルティンはもちろん、東部貴族でも聞き取れる者は少ない、過ぎ去りし言葉だ。それでもそれは、鎮魂の祝詞だと理解できた。悲しみに寄り添い、されど沈むような暗さはない。優しく儚げで、それでいて力強い言葉だった。
レーカが手に持つ扇を広げながら上へ掲げる。マルティンはそれを合図にエレクへ松明を渡し、後ろへ下がった。前子爵夫妻の嗚咽が聞こえる。タマシュが涙を流しながらエレクが持つ松明を見つめている。レーカがゆらりと舞を踊り始めた。決して激しい動きではない。それでも指先まで意識が通っているのが見て取れる。しなやかな動きはまるで全身で魂へ語りかけるかのようだった。周囲に焚かれた篝火が、靡く衣装を美しい影へと変えていく。それに押されるようにエレクが一歩足を踏み出した。そこまで見届けるとマルティンは振り返り、こっそりと場を離れた。これ以上の立会いは不粋との判断だ。
火が着いたのだろう。背後から慟哭が聞こえた。それでもマルティンの頭の中には、レーカの朗々と響く声と、優美に舞いながら、場を厳かに塗り替えていく姿が焼き付いて離れない。マルティンは場違いにもボニカがひどく羨ましかった。
墓へ進む道の分岐点で、ぼんやりと月を見上げているとレーカが話しかけてきた。
「いつの間にか居なくなっていて驚きました。」
あまり驚いてなさそうな声は少し弾んでいた。マルティンが振り向くと、舞で火照っているのか顔を赤くしたレーカが少し息を切らしていた。
「もう、終えられたのですか?」
マルティンは答えず、気になることを聞き返した。レーカは気にせずに答えてくれた。
「ええ、儀式は終わりです。後は悲しみを出し切って前を向くだけです。」
マルティンはなるほどと頷いた。それが一番難しい。
「それで、なぜ居なくなったのですか?」
レーカが繰り返してきた。答えるまで引き下がるつもりはないのだろう。マルティンはそう察して、苦笑を零して答える。
「私は当事者ではありませんからね。あの場は悲しみを共有できる者と、それを導く者にこそ相応しい。」
マルティンの答えに満足したのか、レーカは頷いた。
「マルティン卿のお陰で、満足に魂を送ることができました。感謝いたします。」
マルティンは言葉少なに否定した。
「そう動かしたのはレーカ嬢の力です。」
レーカは僅かに呆れたよう笑った。
「では二人の力ということですね。」
マルティンは虚をつかれ、思わず笑ってしまった。
場が砕けたのを見てレーカが悪戯げに話しかけた。
「あそこまで本格的に祭礼を執り行ったのは久しぶりです。変ではなかったですか?」
マルティンは首を振って否定した。
「いいえ、祝詞を唱える姿のとても神聖な雰囲気が素晴らしかったです。それに、舞う姿がとてもお美しかったですよ。」
マルティンの口から思わず言葉がこぼれ落ちた。
レーカは一瞬目を丸くし、そして静かに微笑んだ。
「ふふ、ありがとうございます。」
月明かりが降り注ぐ中で、その姿は神々しく、マルティンは再び心を奪われた。
数日後、マルティンはレーカをヴァルガ公爵領まで送り届けた。別れ際、マルティンは自然と口を開いた。
「では、ヴァルガ嬢。此度は大変お世話になりました。」
レーカは少し間を置いてから、おかしそうに笑った。
「マルティン卿、もう名で呼んではくれないのですか?」
マルティンは気恥ずかしげに手を振った。
「どうかご健勝で……レーカ嬢。それではまたいつか。」
アイゼンヴァルト領へ戻るともう秋の市は盛況を迎えていた。季節の作物、麦を使った焼き菓子類などの雑多なものから、職人が精魂込めて作り上げた服飾、酒、芸術品など、様々なもので溢れかえっており、商人たちはどこか殺伐とした笑顔で競い合うように声をあげていた。
「ご苦労だったなマルティン。」
市の混乱に苦労しているのか、疲れた顔でエルンストがマルティンを部屋へ迎え入れた。
「遅くなり申し訳ありません。ただいま戻りました。」
マルティンは今回の騒動の報告をする。漆器の返還は滞りなく終わり、それに際して周辺領に多少の恩が売れた。端的に成功といえるだろう。しかしエルンストの表情は変わらない。いや、よく見ると目の奥が輝いて見えた。
「ハンスから先に事情はある程度聞いていた。」
マルティンの背中を汗が流れ落ちる。
「そうか、レーカ嬢の我儘を聞くために護衛まで遠ざけるとは。お前も成長したな。」
誤解とは言えなかった。懸命に言い訳を探す。ここで後ろに控えていたハンスが口を開く。
「御館様、それだけではございません!帰り際など、名で呼ぶために照れてらして、胸が高鳴りましたぞ!」
マルティンは大人たちにひと通り揶揄われ続けた。恥ずかしさの中に、こうやって笑い合える人がまだ生きていることへ、一抹の感謝が残った。いや、そうとでも思っていなければ、恥ずかしさで倒れてしまいそうなだけかもしれない。
一先ず今回はこれにて完結です。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
続きが思い浮かべば書きたいと思っております。




