# 03
「何より私初めて来たんだけど、本当にペンギンが空飛んでるみたいだったね」
「実際はあり得ないからこそ、そう見えると不思議というか幻想的というか……」
歩きながら少し前に見ていたペンギンのコーナーの話をする。
ここは有名な屋内水族館だ。意外にも比奈は初めて来たらしい。まあ私もここには過去に1回しか来たことないのだけど。
一旦全て廻り終え、館内に入っていたカフェで少し休憩をとり、今しがたカフェから出てきた所だ。
この後はどうするんだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、ビックリする程の力で比奈にグイっと引き寄せられた。バランスを崩しそうになるも比奈がきっちり支えてくれる。イケメンかな。
「ありが――」
お礼を言おうと比奈を見るが、残りの二文字を遮る圧の強い笑顔を浮かべ私の腕を引き、何事もなかったように後ろにいる左澤くんと来須くんに振り向き声を掛ける。
「ちょっと柚子とお手洗い行ってくるから待っててね」
了解、と二人の返事を確認して私は腕を捕まれたまま女子トイレに連行された。
実際に用もなく尚且つ二人で個室に入るわけにもいかない。たまたま人がいなかったパウダールームにそのまま連れ込まれ、気付けば鏡を背にして笑顔の比奈に詰められている状況だ。
「ねえ、一体どう言うことかな」
――うん、そう言われると思ってた。
「柚子が珍しく水族館に行こうって言うから、楽しみに集合場所に来てみたら、左澤と来須が居て本当に焦ったんだけど!」
「あはは、ごめんごめん」
「ごめんじゃない! 今このタイミングまで中々二人になれなくて、状況がわからないまま謎面子で水族館廻ってる私の気持ちわかる?」
「ごめんって。だって誰が来るか言ったら、比奈来てくれないと思ったし」
「行かないよ、事が知れてあいつらの取り巻きに絡まれるの面倒だもん。はぁ……てか、なんでこんな事になってるの」
「それが実は……――」
遡ること約一週間。本日の予定が決まる原因になっているのは、まさにあの出来事だ。
私が友達で良いのか確認をしたあの日、左澤くんは笑顔で「柚子さんがいい」と言ってくれた。それはそれはとても眩しくて、間違いなく陽の者のそれだと心から思った。エグ目の現物を見てもなお、心からの笑顔を向けてくれる彼と友達になる事を決めた、そんな一週間前の出来事。
そしてその新しい友達に、私の大切な忘れ物を引き取る旨を伝えたところ、まさかの返事が返ってきた。
「じゃあ今度の日曜に渡すよ、一緒に遊んだ後に」
そう、人質ならぬ本質にとられてしまったのだ。こうなるとお手上げで、私に選択肢はひとつしか残っていない……結果、今に至る。
告白された友達と二人で遊びに行くのは流石に気まずい。そんな私の気持ちを察してか、左澤くんが気遣ってくれて「来須と谷中さんも一緒に!」と言ってくれた。
かくして、私はR18BL本の返却日に挑んでいるというわけだ。
「……――ってな訳で、今更だけど今日はよろしくね」
ざっと流れを説明すると、比奈の表情が明らかに迷惑そうなものになるが気にしない。私だって過去にミステリーツアーとか言って連れられたのが合コンだったことあるし、こう言うのはお互い様だ。
「ん、わかった。わかったけど、一番気になったのは……柚子、あんた左澤に告白されたの?! 友達になったとしか聞いてないんだけど!」
「結果友達だよ?」
「プロセス省くな! あんた好きな漫画の結果だけでいいの?」
「だめだよ! そんなの推し達がどう歩み寄っていくか過程ありきの旨味でしょ! あれ……ふふん、じゃあ比奈にとって私って推しって事?」
「ネタだ、調子乗んな」
「ちぇ」
「とりあえず、事情はわかったから。戻るよ。……あ、今度学食おごりね?」
「はーい」と間延びした返事をして、左澤くん達が待っているであろうカフェの近くへ戻る。
途中、ペンギン達が空を飛ぶ。日の光に水がキラキラ輝いて、足元にゆらゆら影が揺れる。
さっき見たはずの光景なのに、その都度で違った表情を見せてくる。その心地よい光の揺らめきを抜け、足早にペンギンコーナーとカワウソコーナーを抜けるとあの二人を見つけた。
「お待たせしちゃってごめん!」
「戻りました」
そう声を掛け合流しようとしたその時だった。
「……柚子?」
背後から懐かしいバリトンが私を呼ぶ。
反射的に振り返り目があった声の主は、私の記憶と髪型が違えど、間違いなく優太だ。
「やっぱり柚子だ、久しぶりだね。水族館なんて珍しい。あ、谷中と来たの?」
髪の毛に金のメッシュが入っている。2年経っても、優しそうな笑顔は変わらない。
最後に会ったのは大学一年の夏の終わりだ。
「久しぶりだね。比奈もだけど今日は――」
「何なに優太、おまえの知り合い? 二人ともすげぇ可愛いじゃん! 俺ら今罰ゲームで男二人で水族館中なんだけどさ、一緒に廻んない?」
大学の友達だろうか。何だか軽そうな人だけど、優太の友達なら悪い人じゃないのだろう。
――そっか、男二人水族館かぁ……
遮られ与えられた情報に旨味を見出だしていると、優太が「違うからな?」と笑う。軽く思考が読まれていたものの、流石に優太とその友達が、なんて考えてはいないのに。
「杉浦、久しぶりじゃん! そして、杉浦の友達お誘いありがとう。でもごめんね、今日は四人できてるから」
「四人?」
比奈の声に優太の視線が私へ向く。
左澤くんも優太もただの友達なのだけど、私から紹介する気まずさが尋常ではない。チラリと比奈を見るものの目だけでわかる。私に紹介しろと言っている。視線を優太に戻した。
「あー、えっと……こちらの二人は同じ大学の友達で左澤くんと来須くんです。で、こっちは同じ高校だった優太……あー、杉浦くんです」
「ふふ、柚子今俺の苗字忘れてたでしょ?」
「ごめんって」
優太のことを杉浦くんって呼んだのは多分高校1年生の時以来だし、不思議な感覚だ。
3人がはじめましてと挨拶をしているのをぼんやり眺める。なんだろう、別に何も悪いことはしていないのにこの気まずい感じは。
「柚子さんと杉浦くんって幼馴染か何か?」
いきなり飛んできた左澤くんの質問。なぜ幼馴染と思ったのかと聞き返そうとしたら、先回って「お互い名前で呼んでるしそんな気がして」と言われた。
ここで一旦整理しよう。左澤くんとは友達という関係だ。それ以上でも以下でもないはずだ。でも問題なのは、彼が私に好意を持ってくれている事実を、私が知っている事。
そんな相手に「幼馴染じゃなくて元彼です」なんて笑顔で言えようか……否! すでに目元がひくひくと痙攣してきそうなくらいにはとり繕っているのに。
「あ、俺は幼馴染じゃないよ。元彼」
そんな私の悩みとは無縁に、優太がさらっと簡潔に答えを出してしまった。
一人ドギマギして比奈に助けを求め視線を送ると、斜め下を向いてぷるぷると震えている。絶対この状況を楽しんでる。薄情な!
左澤くんが優太ににこりと笑みを向けた。
「そうなんすね」
「うん、俺が振られました。あ、未練あるよ?」
「そうやってすぐふざける。未練なんてないでしょ」
「ふふ、柚子は変わらないね。 そっか、二人とも友達なんだ。俺はてっきり後ろの、えっと……来須くんが彼氏なのかと思ってた」
「……へ、俺?」
いきなり話を振られた来須くんはよくわかってない様子だ。
全く違うよ! っと突っ込みたかったが、私より前に反応したのは左澤くんで、不自然な笑顔で優太に「なんで?」とだけ聞き返した。
「だって来須くんみたいなのが好みじゃん、柚子」
「え?」
左澤くんの口元がピクリと動く。
「優太、誤解をうむからやめて!」
「だって柚子が教えてくれたよ? ちょっと寡黙な感じのタイプがいいんだって」
それは左右の話の、更には私の左キャラに対する癖であって、現実のあれこれとは異なるのだ。
――誰だ優太にBL知識を与えたのは……って私だっ
付き合っていた頃、優太は私の趣味に寛大で、理解を示してくれていた。あの時調子に乗って彼に伝えた知識がこんなところで発揮されるなんて思う訳がない。
「左右であればそうだけど、もう左右じゃなくなったから!!」
「左右? 柚子さんが俺のこと右澤と勘違いしてた話?」
――否、脳内では完全なる右だったんだよ……!
そんな事を考えていると、この状況を把握したであろう優太がぷるぷると震えはじめた。
「右っ……ぷはっ、もう無理、柚子ブレなさすぎて、ふふっ、はははっ」
頭を抱え込みたくなる現実に、優太は涙を浮かべながら笑っている。
「左澤くん、柚子の好みが来須くんってのは俺の勘違いだったみたい。ごめん」
「おーい、杉浦。そろそろ行こうぜ」
「ああ了解。柚子が元気そうで……笑顔で良かった」
柔らかい笑顔でニコリと笑った優太は「邪魔してごめん、またね」と手を振って、友達と二階へ下る階段の方へ歩いていった。
……気付くと、自然に口角が上がっている。長年の胸の奥のつまりがスーっと流れた気がした。
ただその代償なのか、この場の平穏を荒らすだけ荒らして去っていったのだけど。
「あー、とりあえず……俺らも行くか」
「そうだね! 水族館出て、次の場所に行きますか」
来須くんと比奈の声で、出口に向かって歩きだした。
あっちにしようか、そっちにしようか、そんな話をしながら出口に向かって歩く。私だけだろうか、気まずさを纏ったまま歩いているのは。本日三回目の空飛ぶペンギンコーナーは変わらずキラキラと輝いていた。
◆ ◆ ◆
「柚子さん、今日はありがとう。谷中さんにもありがとうって伝えてて」
「こちらこそ、ありがとうだよ。楽しかったです」
水族館で色々とハプニングはあったものの、その後も楽しく過ごす事が出来たのは、間違いなく左澤くんのおかげだ。
比奈と来須くんは電車の方向が一緒だったようで、二組に別れて帰宅中だ。
私は駅まででいいと言ったのだけど、夜は危ないから、と駅から一緒に歩いてくれている。
「今日集合場所に柚子さんが来た時、実は幸大すげェ驚いてて。なんか挙動が一瞬可笑しかったんだよね、いつもと雰囲気違う柚子さん初めてだったからさ」
「うーん、大学では省エネモードだからねぇ」
「ちなみに俺はその省エネモードの柚子さんの笑顔に惹かれました。あ、もちろんどっちも柚子さんだから好きだよ」
「なっ」
その笑顔でその発言は心臓に良くないので止めて欲しい。
あの事件から今日のお出かけまでの一週間、左澤くんがグイグイとくる。それは彼が言ってた「意識してもらえるように頑張る」の部分なのだろうけど、少しサボることもおすすめしたい。
「あ、ここのアパートです。送ってくれてありがとう」
閑静な住宅街にあるアパート。
この時間はもう人通りも少なく、とても静かだ。アパートの住人もそれぞれ生活はバラバラなようで、住んで三年目に入ったけれど、見かける人はだいたい同じで挨拶程度の関わりしかない。
「あ、そうだ、これ。はいどーぞ」
左澤くんが背負っていたリュックから取り出したのは、見覚えがありすぎるエコバッグだ。そう、それは間違いなく私の大切な大切なイベント戦利品。
それを両手で受け取り、ゆるゆると緩む口元を頑張って引き上げて左澤くんを見上げた。
「本当にありがとう! ご迷惑をお掛けしました!」
「ふっ、ははっ、本当に嬉しそう。その笑顔が見れたから良かった」
「だってずっと読みたかったんだよ。あー、やっと私のもとに来てくれたぁ」
ホクホクとエコバッグを抱きしめていると「あのさ」と声が降ってくる。
視線を向けたら眉を下げ不安そうに笑う彼が居た。
「……えっと杉浦くんの言ってた事なんだけど……柚子さん、幸大が好きだったりする?」
一瞬なんの話なのかと思ったけれど、思い出した内容に変な汗が出始めた。
この話はあの場で完結したのではないのか。何よりこの勘違いの元になっている来須くんと左澤くんのクルヒダ左右問題はもう私の中では解決しているのに。
「あれは優太が私の好きなキャラクターの傾向を当てはめて言っただけで、現実世界ではそうじゃないし二次元だからこその旨味というか……とにかく、違うから!」
もうこの話は勘弁してくれ。
熱くなった頬をパタパタと仰いでいると、左澤くんが小さく笑った。
「そっか、良かった。よし、頑張ろ! だから……覚悟してね?」
ニシシと企んだように笑うその笑顔は、心音が跳ねるには十分なものだった。




