第六章 重なる影
六歳になった少年は、もはや幼児ではなく、小さな人格を持った「子ども」としての輪郭をはっきりと見せ始めていた。読み書きを一通り覚え、簡単な計算もできる。高宮が用意した教材を貪欲に吸収し、ときに自ら質問を投げかけてくる。
「ねえ、どうして人は死ぬの?」
「どうして悪いことをしてはいけないの?」
純粋な疑問のはずなのに、その問いかけは高宮の胸に鋭い刃を突き立てる。彼は答えを返すたびに、かつての中学時代の光景を思い出す。自分を取り囲み、からかい、机に落書きをした連中。とりわけ、あのリーダー格の少年――憎悪の対象が、彼の脳裏で鮮明に蘇るのだった。
その顔と、目の前の少年の成長した顔が、少しずつ重なっていく。
ある日、少年は庭に出て、虫取り網を振り回しながら笑った。その笑い声に高宮は凍りついた。あの声は、まさしくかつて自分を嘲笑した「彼」と同じ響きを持っていたからだ。
「……やめろ」
思わず口をついて出た。少年は首をかしげる。
「どうして?ぼく、ただ笑ってるだけなのに」
高宮はその場から逃げるように部屋へ戻り、机に向かって頭を抱えた。復讐のために育てているはずなのに、日常の些細な所作が過去を抉り出す。まるで記憶の亡霊が目の前で再生しているかのようだった。
夜、酒をあおりながら、彼は研究ノートに乱雑な文字を書き殴った。
――復讐か、情か。どちらに傾いている?
――この計画は正しいのか?
――私は何を望んでいる?
ページは問いで埋め尽くされ、答えはどこにもなかった。
少年は知恵と同時に狡さも身につけ始めていた。棚に隠していた菓子を勝手に食べ、問いただすと素知らぬ顔で首を振る。だが口元に残るチョコレートの跡が、嘘を暴いていた。
「お前、食べただろう」
「ちがうよ」
「証拠は残っている」
「……ごめんなさい」
その一部始終に、高宮は強烈な既視感を覚えた。嘘をついて追い詰められたときの表情。それは過去の“いじめっ子”の典型だった。
――やはり血は嘘をつかないのか。
いや、これは遺伝子に刻まれた性質なのか。
答えを探そうとすればするほど、思考は絡み合い、抜け出せなくなっていった。
七歳のある夜、少年は突然、こんなことを言った。
「パパ、ぼくはパパに似てるの?」
高宮の手が止まった。
「なぜ、そんなことを聞く」
「だって、鏡を見ると……ときどき、知らない人みたいに見えるんだ」
その言葉に、高宮は息をのんだ。無意識のうちに少年は、自分が「誰かの影」として存在していることを直感しているのかもしれない。
「お前は……お前自身だ」
とっさにそう答えたが、その声には迷いがにじんでいた。
少年は笑顔を返した。だが、その笑顔がまた、過去の記憶を呼び覚ます。廊下で背中を押され、机に押し込められ、笑い声に包まれたあの日々。高宮は胸を締めつけられ、呼吸が浅くなった。
――この存在は、私の救いか、破滅か。
その夜、高宮はベッドに横たわりながら、自分が進めている計画の先に何が待っているのかを考えた。クローン少年は成長を続ける。その成長は過去の再現でもあり、未来の脅威でもある。
彼は目を閉じながら思った。
――やがて私は、復讐を果たす時を迎える。
――だがその時、私は彼をただの「標的」と見なせるのか。
答えは闇に溶け、眠りは浅く途切れ途切れだった。




