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影を継ぐもの  作者: キロヒカ.オツマ―


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第十五章 過去の声



 高宮は机に突っ伏したまま、しばらく動けなかった。

 受話器に伸ばしかけた手は、痙攣のように震え、やがて力なく膝の上に落ちた。


 ――なぜ、こんなことになったのか。


 少年の声が頭の中で繰り返される。

 「僕は“あの頃の彼”だ」――。

 その言葉は、四十年以上前の記憶を強制的に呼び起こした。


 中学二年の教室。

 昼休み、机の中に詰め込まれたゴミ。

 背後から飛んでくる消しゴム、紙くず、時に唾まで。

 トイレに行けば背中を押され、顔を水に突っ込まれる。

 笑い声、冷たい視線。教師の見て見ぬふり。


 あの「彼」。

 いじめの中心にいた少年。

 笑いながら自分を突き飛ばし、「研究者になりたいんだろ? キモい理科オタク」と嘲った声。

 どんなに必死に耐えても、屈辱は終わらなかった。


 「……お前に、わかるものか」

 独り言のように呟いた瞬間、背後で床が軋んだ。


 振り返ると、いつの間にか少年が部屋に戻ってきていた。

 その表情には嘲りも笑みもなく、ただ静かな関心だけが宿っていた。


 「パパ。話してよ。どうして、そこまで僕を痛めつけたかったの?」


 高宮は喉を鳴らし、乾いた声を吐き出した。

 「……あいつのせいだ。俺の人生を台無しにした。

 学校でも社会でも、人との距離をどう取ればいいかわからなくなった。

 結婚もうまくいかず、家庭も壊れた。

 すべての根っこに、あいつがいる。あの男の笑い声が……今でも耳に残ってる」


 言葉が途切れると、胸の奥から熱いものが込み上げた。

 自分でも驚くほどの涙が、老いた頬を伝った。


 「俺は……ただ、証明したかったんだ。

 あいつに。世界に。

 “俺は無力じゃない”って。

 研究を突き詰めれば、人間の根っこすら作り替えられるんだって。

 そして……作った命を支配できれば、俺の中の恐怖も、消せると思った」


 少年はじっと聞いていた。

 その顔は同情とも軽蔑ともつかない、複雑な影を帯びていた。


 「なるほどね」

 やがて口を開いた声は、落ち着き払っていた。

 「結局、僕は“道具”なんだ。パパが過去を清算するための。

 でもさ、過去って、そうやって作り替えられるものじゃないよね」


 高宮は息を詰めた。

 返す言葉がなかった。

 過去を改竄するつもりはなかった――そう言い訳したかったが、実際には少年の言葉通りだった。


 少年はゆっくりと机に近づき、高宮の目を覗き込んだ。

 「じゃあ聞くけど……もし、僕が“彼”のように笑って君を突き飛ばしたら、どうする?

 また道具を使って僕を痛めつける?

 それとも、今度は……本当に殺す?」


 その声には挑発も嘲りもなかった。

 ただ純粋な問いかけとして投げかけられた。


 高宮は震える手で顔を覆った。

 答えは、口にする前から分かっていた。

 少年を完全に支配することも、殺すことも、自分にはできない。

 老いた体と揺らぐ精神は、すでに相手の掌の中だった。


 沈黙を破ったのは、少年の小さな笑い声だった。

 「パパ。過去からは逃げられないよ。

 でも、逃げられないのは君だけじゃない。

 僕も同じだから」


 その言葉に、高宮の胸はさらに重く沈んだ。

 自分の生み出した存在が、まるで「鏡」であるかのように思えてならなかった。

 そこに映るのは、加害者であり、同時に被害者でもある――歪んだ影だった。

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