第十四章 外部の影
夜の研究棟に、蛍光灯の白い光が冷たく降り注いでいた。
高宮は自室のデスクに座り、震える指で電話帳をめくっていた。
紙の上には、もう何年も会っていない学会仲間や、政府系の研究機関の名前が並んでいる。
――このままでは自分が殺される。
昨日の実験で見せつけられた少年の異常な耐性と、挑発的な言葉。
あれは単なる反抗ではない。
意図的に自分を追い込み、支配しようとしている。
「外に……頼るしかないのか」
呟きながら、彼は電話機に手を伸ばした。
しかし、受話器を握った瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
――外部に知らせれば、すべてが明るみに出る。
クローン技術の違法な使用、監禁、虐待……。
その先に待つのは、研究者としての地位の完全な崩壊。
いや、それどころか刑務所の中だ。
「……駄目だ、駄目だ」
高宮は受話器を乱暴に置いた。
今まで積み上げてきたものを、すべて失う覚悟などできるはずがない。
だが、孤独にこの化け物と向き合い続けることもまた不可能に思えた。
そのとき、背後から声がした。
「誰に電話しようとしたの?」
高宮は椅子を跳ね飛ばすように立ち上がった。
ドアの隙間に、少年が立っていた。
その目は暗闇の奥で光り、すべてを見透かすような冷たさを宿していた。
「お前……! 盗み聞きしていたのか」
少年は無言で部屋に入り、机の上の電話帳に目を落とした。
「へえ、懐かしい名前ばかりだね。もうみんな、パパのことなんて忘れてるんじゃない?」
「黙れ!」
怒鳴り声が自分の喉を裂いた。
しかし、その声に力はなく、怯えの響きが混じっていた。
少年は椅子に腰掛け、電話帳を指でなぞった。
「助けを呼んでもいいよ。でもね、そうしたら“僕”の存在も外に知られることになる。
クローン技術の不正利用……世間がどう騒ぐか、想像できる?」
高宮の顔が引きつった。
「貴様……!」
「それに……」
少年は机の端に置かれた録音機を取り上げ、再生ボタンを押した。
――「従わなければ、不快を与える。従えば、快楽を与える」
昨日の実験での自分の声が、無機質な音となって部屋に響いた。
高宮の膝がわずかに崩れた。
「全部録ってあるよ、パパ。君が僕を“被験者”と呼んで、虐待してる証拠もね」
少年は録音機を机に置き、にやりと笑った。
「外に助けを求めた瞬間、これを世間にばら撒けばいい」
高宮の胸に、絶望が押し寄せた。
逃げ場はない。
外に救いを求めることすら、少年の掌の上だった。
「……なぜ、そこまで」
震える声で問うと、少年は無邪気な笑みを浮かべて答えた。
「だってパパ、僕は“あの頃の彼”なんでしょ? いじめられた痛みも、恨みも、全部引き継いでる。
復讐の続きをするのは、当然じゃない?」
言葉が胸に突き刺さり、高宮は息を呑んだ。
自分が作り出した存在が、自分自身の過去を武器にして襲いかかってくる。
その事実は、理屈を超えて彼の精神を削っていった。
少年は立ち上がり、ドアの前に立って振り返った。
「さあ、どうするの? パパ。外に頼る? それとも、僕と二人きりで地獄を続ける?」
そう言い残し、闇の廊下へ消えていった。
残された高宮は、机に突っ伏したまま動けなかった。
受話器はすぐ手の届く距離にある。
しかし、その重さは鉄の塊のように感じられた。
――外部に救いはない。
あるのは、自分と怪物との果てしない対峙だけだ。
静まり返った研究棟に、時計の針の音が響いた。
それはまるで、死刑宣告を告げる冷たい鐘のようだった。




