第十一章 揺らぐ支配
その夜、高宮は研究棟の自室にこもり、何度も資料を見直していた。机の上に広げられたカルテや実験記録の文字は、もう彼自身の目には霞んで映っていた。
――冷静になれ。私はまだ支配者だ。たとえ観察されていようとも、コントロールを失ったわけではない。
そう自分に言い聞かせるが、胸の奥に張り付いた不安は剝がれなかった。
少年の最後の言葉――「次は僕の番だよ」――が、耳の奥で反響してやまない。
深夜二時。研究棟の監視モニターが突然ちらついた。
「……?」
高宮は姿勢を正した。モニターには、廊下の映像が映っているはずだった。しかし画面はノイズで揺れ、やがて白黒の縞模様になった。
「まさか……」
高宮は操作盤を確認した。配線に問題はない。外部からの侵入もありえない。
だが、異変は続いた。別のモニターに切り替えると、そこには――少年の顔が大写しになっていた。
「!!」
声をあげたが、すぐに口を押さえた。
画面に映る少年は、監視カメラに正面から顔を近づけ、無表情でじっとこちらを見ている。
「……どうやって……」
監視カメラの映像は研究棟のサーバーを通じて一元管理されている。少年が触れることは不可能のはずだった。だが画面は確かに彼を映している。しかも、映像が不自然にループし、同じ瞬きや首の動きが繰り返されていた。まるで編集された映像を再生しているようだった。
「これは……脅し……」
高宮は血の気が引いた。
そのとき、机の引き出しの中から電子音が鳴った。心臓が跳ね上がる。慌てて開けると、中に仕舞っていたはずの古い携帯型レコーダーが作動していた。誰も触れていないのに。
流れてきたのは少年の声だった。
――「パパ。僕ね、観察するだけじゃなくて、真似もできるんだ」
――「パパが監視するなら、僕も監視する」
――「次は、僕が試す番」
震えが止まらなかった。これは偶然ではない。少年は確かに、自分が築いてきた支配の仕組みを理解し、何らかの形で逆用している。
高宮は立ち上がり、研究棟の廊下に飛び出した。深夜の空気は冷たく、足音が異様に響く。
「どこだ……どこにいる!」
だが廊下は静まり返り、少年の姿はなかった。
やがて、ドアの隙間から一枚の紙が差し込まれているのに気づいた。拾い上げると、それは自分が書いた研究ノートのコピーだった。ページの中央に赤いペンで大きく丸が描かれ、そこにはこう記されていた。
――「支配は常に逆流する」
高宮は足をもつれさせて壁に背をついた。
「……これは……私の言葉……」
確かに記録の中で、自分はそう書いていた。被験者に対する恐怖の制御は、常に逆流の危険を伴う――と。かつて冷静に書き残したその言葉が、いま自分自身を追い詰めている。
頭の奥で、過去の光景がよみがえった。
――校庭で笑いながら殴ってきた少年。
――自分が血を流しながら、心の奥で「いつか必ず報いを」と誓った瞬間。
その憎悪を材料に生み出したはずの存在が、今度は逆に報復を誓っている。
高宮は唇をかみしめた。
「……私は……まだ負けていない。あれはただの模倣だ。本物の支配は……私だけができる……」
そう呟きながらも、胸の奥では理解していた。
――支配は、すでに揺らいでいる。




