第十章 逆流する支配
廊下に立ち尽くす少年の姿を前に、高宮は息を飲んだ。
たしかに彼は金属製の手錠を両手にかけ、椅子に縛りつけたはずだ。鍵は研究室の引き出しにしまってある。にもかかわらず、少年はそこに立っている。手首には赤い痕がくっきり残り、外す際に苦痛を伴ったことは明らかだった。
「どうやって外した」
高宮は声を震わせた。
少年は首を傾げ、まるで実験の成果を報告する研究員のように答えた。
「パパがやってるのを、ずっと見てたから。鍵がなくても、針金みたいなもので開くんだよ」
高宮の胸がざわついた。これは単なる偶然ではない。少年は観察し、模倣していた。彼の「教育」や「制御」の全てが逆に吸収され、少年の知識と技術になっていたのだ。
「戻れ。今すぐ」
高宮は声を荒げたが、少年は動かない。むしろ一歩踏み出し、静かに言った。
「僕はね、パパの言うことを覚えてきたよ。『人を従わせるには、恐怖と支配が必要だ』って。僕はそれを、パパから学んだんだ」
その言葉は鋭利な刃のように突き刺さった。高宮は背中に冷たい汗を感じた。
少年はそのまま歩み寄り、机の上に置かれた記録ノートを指で叩いた。
「これ全部、僕のことだよね。僕の名前じゃなくて『対象』って書いてある。パパにとって僕は人間じゃない。ただの研究材料」
高宮はノートを奪い取ろうと手を伸ばしたが、少年は先に掴み、ぐっと胸に抱きしめた。
「返せ!」
「いやだ。これは僕のことだから」
にらみ合いの数秒。やがて少年はゆっくりとノートを開き、声に出して読み始めた。
「――『従属のための拘束を開始。対象は表面上の抵抗を止めた。しかし眼差しに敵意が宿る』。……ねえパパ、僕の目のこと、ちゃんと書いてある。敵意があるって。なら、どうしてこんな方法で従わせようとするの?」
言葉に詰まった高宮の沈黙が、敗北の証のように響いた。
少年はふっと笑い、ノートを机に叩きつけた。
「僕はパパを観察してる。パパが僕にしてきたことを、僕もパパにできるんだよ」
その声はまだ中学生のそれでありながら、不気味な落ち着きを帯びていた。
高宮は慌てて机の引き出しを閉め、鍵をかけた。中には他の拘束具や監視装置が入っている。少年にそれを触れさせてはならない。だがその行為自体が、恐怖を悟らせるものだった。
「パパ、怖いんでしょ?」
少年が口元を歪めた。
「僕のことを育てたのに、今度は僕に追い詰められてる。おかしいね」
高宮は一瞬、かつての校庭の光景を思い出した。笑いながら殴ってきたあの少年、逃げ場のない視線。今目の前にいるのは、その「影」を継ぐ存在だった。
――いや、違う。これはもっと危険だ。過去のいじめっ子は単に暴力で支配しただけだ。だが、この少年は知識と理論を吸収している。自分が作り上げた「支配の方法論」を、そのまま逆手に取ろうとしている。
「出ていけ!」
高宮は怒鳴り、少年を部屋から突き飛ばした。だがその直後、少年は振り返り、冷たい声で告げた。
「パパ、次は僕の番だよ」
扉が閉まる音が、研究棟全体に重く響いた。




