4.世界創造『異説』
――揺籃の東側を回り込む道は、ゆったりとだが徐々に角度を増す傾斜になっていた。
明らかに正規に通路として整備されたものとは違う、場所が場所だけに獣道のような印象を与える狭い上り道を、アルファートはワイズとともに進む。
「私のことが信用しきれないか? アルファート君」
「……そんなことはありません、師匠も大丈夫だっておっしゃってましたし。
ただ……なんて言うか、戸惑ってはいます」
ワイズの質問に、アルファートは正直な心情を述べた。
「まあ、そうだろうな」
苦笑混じりに言って、ワイズは足下に突き出ていた石をひょいと飛び越える。気を付けるように呼びかけようとしていたアルファートは、その様子に目をまたたかせた。
「……その目、帯で覆ってますけど……見えてるんですよね?」
「いいや、見えんよ」
からかっている風でもなく、真面目な調子でワイズは首を横に振る。
「ただし、その代わりに、私は霊子界を通して世界を認識する能力が、普通の人間よりも発達しているのさ。だから、目を使わずとも、ある程度は見えているのと変わらないように振る舞えるというわけだ。
無論、目を使わなければどうしても分からないこともあるが、かえってよく分かるものもある。……貌霊のことなどがそうだな。顕現されずとも、名前や特徴を見出したりできる。そう――君が、断罪騎という特殊な貌霊を宿していることなども」
「……確かに、断罪騎はぼくの貌霊ですけど……特殊……?
まさか、さっき言っていた、『悪行』に対抗できるのはぼくだけだって話と……」
その通り、とワイズは首肯した。
「そうだな……私の知識では、何がどう、とまでは言えないのだが……君の断罪騎は、他の貌霊とは一線を画す、まるで別物なのだよ。それは能力いかんというよりも、そう……存在感とでも言えばいいのか、そうしたものが圧倒的に強い。
また、その構成真理に、これまでどんな貌霊にも見たことのないような情報が刻まれている。どういったものか、までは分からないがね。
総じて言えば――だ。本来なら、貌霊とは生まれながら一人一人の魂に刻まれている刻印に沿って自然と顕れるものだが、君の断罪騎はそうしたものとは違い、まるで神に類する者が特別に創り上げた存在のような……そんな雰囲気をまとっているのだよ」
「…………」
アルファートは困ったような顔をする。少なくとも彼自身に、そんな自覚はまるでないからだ。
「正直なところ、私とて『悪行』の正体が完全に把握できているわけではない。
だがそれが人智を超えた存在である以上、対抗できるのはやはり、同じく人智を超えた存在――そう、神の手の介入すらうかがわせる断罪騎しかないだろうと、そう思ったわけだ」
「……ぼくは、特別信仰が篤い人間でもありませんし……それに、神様の特別な恩寵を受けられるほど立派な人間でもありません。その……買い被り過ぎだと思います。
もちろん、だからといって、戦うのをやめる気はないですけど……」
「ふむ……神の恩寵……か」
変わらないペースで道を進みながら、ワイズは少し考える素振りを見せた。
「――そうだな、まだ目的の場所まではしばらく距離がある。君が、特別信仰心に篤いわけでもないと言うなら、この話をしても大丈夫だろう。
……私がかつて見つけて解読した、ある古代の記録に関することなのだが――主神アイオンによる創世の神話は、当然知っているだろう?」
アルファートは小さく首をかしげつつ、はい、と素直に答えた。
「神様が――主神アイオンが、かつてあった世界を崩壊に導いた『九柱の悪魔』の妨害を退け、その魂を『罪禍』と呼ばれる形に封じて、ようやくこの世界を創られた……という話ですよね。子供の頃、寝物語に何度も聞きました」
「そうだ。だがそれに対して、異聞というか、完全に異端な別の説でな――」
そう前置きしてから、ワイズはこの世界に広く流布しているものとはまるで異なる物語を語り始める。
――かつてあった世界。
その文明の隆盛を極めた世界は果てに、『九賢人』と呼ばれる優れた九人の学者によって、霊子界の存在と、その利用方法を確立するに至る。
その理論は、古くは魔術や超能力といった、超常的で不確かだった力が、無意識のうちに霊子界を認識し、未熟な貌霊を用いて中途半端に干渉したものであることを証明。同時に、貌霊を正しく自らの精神に定着させ、そして正しい真言を霊子界に刻む術を習得すれば、誰もがそういった、これまで特異な能力と信じていた力を使うことができると提唱した。
やがてそれは実証され、世界中の誰もが、これまで機械に頼っていた様々な事象を、その身一つで操れるようになる。
しかし霊子界と真言の確立は、世界の発展を促す以上に、人の欲望を際限なく広げる悪しき要因ともなり得た。
そこで九賢人は、霊子界に秩序をもたらすため、個々の貌霊に、経歴や状況による様々な干渉の制限を設けて規制し、違反した者を摘発、あるいは直に罰する、霊子界を監視、管理する存在を創り上げる。
当時としてもすべてを解明できていたわけではない、人の魂と関わり深い貌霊――その構造を調べ上げ、単なる模倣を超える上位の存在として生み出された、霊子界においては九賢人に匹敵する権限をもち、神にも等しいその創られた監視者は、アイオンと名付けられた――。
「アイオン……! じゃあ、神は、かつての人が創ったものだと……?」
「この説ではそうなるな。だがむしろ、真に異説となるのはここからだ」
ワイズはどこか愉快そうに話を再開する。
――当初はうまく霊子界を統制し、人の世の秩序を守っていたアイオンだが、突如、世界の『完全改変』を宣言。世界中の霊子界の構成真理を、書き加えるどころか根本から書き換え、文字通りに世界を完全に作り替えようとする。
それは常人は当然、九賢人をもってしても止めることはできず、空も海も大地も、星のすべてが荒れ狂い、あらゆる命を飲み込んで姿を、形を変え、完全に別の――新たな命を植えるための、一度死んだ世界が生み出された――。
「じゃあ……その説によれば、かつての世界を滅ぼしたのは、神様自身ということなんですか? でもどうして突然、そんなこと……」
「――さて、な。それは、私が研究した古代の記録にも詳しくは記されていなかった。
あまりに多くの人間が利己的な目的で霊子界に干渉してくるため、その際限なき欲望に恐れと絶望を抱いたとか、そもそも創造主である九賢人のうちの誰かが、何らかの意図をもってそうなるよう、あらかじめ手を加えていたとか、諸説あったようだが……そのどれとも特定できなかったようだ」
――その世界へアイオンは、新たな人間を初めとする、様々な命をもたらした。
そしてやがて、かつての世界よりさらに霊子界の規制が強固にされた新世界で、新たな歴史を刻み始めた人間に、アイオンより創世の神話が授けられる。
それは、特別な手法で魂を肉体より分離し、アイオンの目を潜り抜けて世界改変を生き延びた、生みの親であり敵対者でもある九賢人を、世を乱す『九柱の悪魔』として貶め、その上で、アイオンが自らを神として確立するものだった――。
「……そして現在に至る、と。今語られている神話に、悪魔の魂が封じられているという『罪禍』について詳しい記述がないのは、この説によるなら、そもそも神であるアイオン自身が、どういったものかが分からないから――ということになるな」
ワイズは歩きながらの長い話を終え、一息ついて額をぬぐう。
アルファートは、どういった反応をすればよいか困っている風だった。
「話としては面白いですけど、でも……」
ワイズは笑って手を振る。
「ああ、気にしないでくれ。内容が内容だけに発表もできないが、学者の性分とでも言えばいいのか、せっかく調べ上げたことだからついつい誰かに話したくなっただけだ。別にこちらの説の方が正しいと、君に押しつけたいわけではない。
――さて、それはともかく、そろそろのはずだが……」
傾斜を登り切り、ようやく地面が平坦になった辺りで、ワイズは足を止めて周囲を窺う。
そこは小高い丘になっているのだろう――つられて揺籃の方へ目をやったアルファートは、霧の向こうに垣間見えるその半球が、初めて見たときよりもずっと視界の下側へ下がってきていることを確かめる。
「アルファート君、目印の丸石があった。ここで間違いない。
……いいか、君はここから、真っ直ぐ揺籃を目指すんだ。その先は崖で、とても道には見えないだろうが、不可視の処理が施された足場が、揺籃まで繋がっている。他とまったく同じに見えるかも知れないが、その部分が揺籃の裏口だ。そこからなら、内側へと侵入することができるだろう」
ワイズの指差す先を、アルファートは真っ直ぐに見つめる。
「……それで、あなたは?」
「初めに言ったように、私はここからさらに揺籃の裏へ向けて回り込む。そちらの方に、遺跡の制御室があるようだからな。
実際、そこの機能がどれほど生きているかは分からないが……なに、大見得を切った手前、君の手助けぐらいはやってみせるとも」
「……わかりました。じゃあ、そちらの方はお任せします。――どうか、お気をつけて」
「ああ、君もな。生きてまた会えることを願っている。――武運を」
ワイズの言葉に送られて、アルファートは言われていた通りに真っ直ぐ、揺籃へ向かう道を駆ける。
その先――揺籃の浮かぶ湖に迫り出す崖へと。
(ようやくだ、ピュティア。ようやく、君のところに――!)
崖を前にしても、アルファートは地を蹴る足をゆるめるどころか、さらなる力を込める。
そして――
そのまま躊躇うことなく、揺籃に向かい、崖から中空へと踏み出していった。




