3.再会
――揺籃の内部は、外から見える上部の半球に加え、足下から下にも半球が広がり、完全な球形を成していた。
そして、その内側全面を、白く小さな花がいっぱいに埋め尽くしている。
重力とはまるで無縁に、壁どころか天井すら形づくる水面に浮かぶ花たち――どこに目を向けようと、同じようにその素朴に美しい花弁を披露するさまは、ここが閉じられた一個の別世界であるような錯覚をもたらす。
さらに中心には、この球体の支柱のように、頂きから底までを貫いて、一対の古木が堂々たる威容をもって鎮座しており、この別世界に、美しさだけでなく一種の威厳と神々しさをも付加していた。
――これを揺籃だというならば、ここに眠るものは、どれほど神に愛されていたのだろう。
立ち入った揺籃内部の光景に、オルフェは畏怖などよりももっと身近な……かすかな羨望のようなものを、それと知らずに感じていた。
彼らが潜り抜けた、中央正面にある入り口――そこから球体の中心を通る面には、ほのかに光る透明な床が広がっているらしく、足を踏み出せば宙を歩いているような、平衡感覚が揺らぎかねない浮遊感を覚える。
「さあ、進め」
ユタンの言葉に素直に従い、二人のピュティアはゆっくりと、広い球体を中心に向かって歩き出す。
気付けばいつしか彼女らは、互いの手と手を取り合っていた。
「それにしても、さすがは我が血族だ。先ほどはうまく機転を利かせて、私の芝居に合わせてくれたな、オルフェ」
「……………」
「どうかしたのか?」
心ここにあらずといった具合に無言でいたオルフェに、再度声をかけるユタン。
それでようやく気を取り直したらしいオルフェが、ああ、と相づちを打ったそのときだった。
彼らの背後から、人影が二つ、足音も荒々しく中へ飛び込んでくる。
「門がまだ完全に閉じていなかったのか」
予想外の闖入者にもさしてあわてる風もなく、ユタンは余裕をもって振り返る。
そこにいたのは、彼の部下である二人の兵士だった。
「ロエル伯爵、これはどういうことだ! なぜそこのアザンティの男とともに行動している、説明してもらおう!」
「教王様に背く気ならば、タダではすまさんぞ!」
ユタンの行動に不審を感じ、カロンを巡る乱戦には目もくれずに後を追ってきたのだろう。兵士たちは油断なく身構えたまま、ユタンに詰め寄る。
だが、当のユタンはまるで気に留める様子もなく、オルフェに視線を送った。
「こいつらはそれなりの手練れだが、一人任せても構わないな? 同胞よ」
「問題ない。引き受けよう」
「――っ! テメニアの女などの子に生まれながら、それでも伯爵家を継ぐことを許して下さった教王様の大恩を忘れたか、この裏切り者め!」
「……裏切り、だと?」
兵士の一言に、ユタンはわずかに眉を吊り上げた。
「古の盟約に逆らい、盟主テメニアを蹂躙し、我欲のまま聖地を汚した貴様らが、その言葉を吐くか。……来い、『徹刃紅』――」
ユタンの体が足下から淡い輝きに包まれ、貌霊を絡鎧した姿に置き換わる。徹刃紅と呼ばれたそれは、甲殻類の堅固な殻を思わせる紅の鎧に全身を包み、それぞれの手に長剣と長槍を携えた、覇気にじみ出る魔人だった。
そのまとった気迫に、兵士だけでなくオルフェさえも一瞬息を呑む。
「これまでは長らく、同様の言葉に血涙を呑んで堪え忍んできたが……もはやその必要もない。身の程を知るがいい、ゲスどもめが……!」
*
「……こっちか……!」
――地面を丹念に調べ、わずかに残った靴跡から方向を定めると、アルファートは霧を掻き分けて走り出す。
先を行くオルフェたちアザンティ一団との距離の開きは、決して小さくはない。
気ははやるが、しかし霧まで立ちこめる中、この広大な霊園で道を間違えた挙げ句迷ったりすれば、それこそ取り返しのつかないことになる。地道で時間はかかるが、痕跡をたどって追う以外、彼には方法がなかった。
(まだ追いつけないのか……?)
また別の分岐で足を止めたアルファートは、苛立ちながらも堅実に地面を調べようと膝を突く。
そのとき――彼は、場にそぐわない金属音を耳にした気がした。
「………!」
あらためて、気を落ち着けて必死に耳を澄ませる。
そうして待つこと数秒――気のせいだったのかとあきらめようとした瞬間、彼の耳は空を裂く甲高い剣戟の音を確かに捉えた。
しかもそれは一度きりではなく、断続的に響いている。
(……こっちか!)
意識を集中して音の方向を特定したアルファートは、これまでよりも力強く地を蹴り、そちらへ向かっていく。
いい加減、身体はこれまでの酷使と、蓄積してきた疲労で悲鳴を上げ始めていたが、ようやく至るべき場所の手応えがあったと思うと、高ぶる精神が、それらをたやすく封じ込めてくれた。
音の発生源へ近付くにつれてさらに深みを増す霧が視界をさえぎるが、それでも足を鈍らせることなく疾走するアルファート。
そうしてどれほど駆けただろうか。
やがて一際大きな金属音を近くに聞き取った彼は、そちらへ向かって、狭い木立の間を無理矢理すり抜け、茂みの奥へ飛び込む。
そのとき続いて響いてきたのは「逃がさんぞ、密偵が!」というはっきりとした人の声だった。
さらに近付くと霧の中に二つの人影が浮かび、うち一つがゆっくりと崩れ落ちる。
そしてもう一つの人影は、アルファートの接近に気付いていたのだろう――彼の方を向き直るよりも早く、止まれ、と言わんばかりに剣の切っ先を突きつける。
――毅然と立つその姿は、アルファートにとって、あり過ぎるほどに見覚えのあるものだった。
「――師匠っ!」
「………アル?」
カロンは、霧を掻き分けて近付く弟子の姿に、目を丸くしながら双剣を下ろした。そして、安堵した様子で苦笑する。
「突き落とした本人が言うのも何だけど、良く無事でいてくれたねえ。
――ああ、いやいや、別に、旅する先々で女性にモテる、輝くばかりの若さと美貌に満ちた君に対する鬱屈した妬みがついつい表に出ちゃったとか、そういうわけじゃないんだよ決して、ウン」
「目を泳がせながら、早口に求めてもいない弁解をしないで下さいよ……本気だったんじゃないかって不安になるじゃないですか……」
口ではそう言いながら、アルファートも表情をやわらげていた。あらためて、ようやくカロンと再会できたのだと実感がわく。
「ところで、状況はどうなってるんですか? 師匠、今、そこで倒れてる兵士に、密偵って呼ばれてましたけど……」
カロンは渋い顔をした。
「ああ。あの伯爵サマにまんまとはめられちゃってね。――ま、密偵ってのはあながち間違いでもないんだけど。
とりあえず、今は追っ手も僕を見失っているみたいだから多少は猶予がある。本当なら君には秘密にしておく気でいたことだけど……状況が状況だからね。まずは互いの情報を交換しよう」
そう前置きしてからカロンは、自分がロシュリムに依頼されて、ユタンたちの動きを探っていたこと――。
そして、土壇場でユタンの策によって乱戦に持ち込まれ、包囲を突破して霧に紛れながら、追っ手を各個撃破しているという現状までを包み隠さず話して聞かせた。
それを受けてアルファートも、推測はひとまず置き、オルフェからもたらされた情報を中心に、要点をかいつまんで状況を伝える。
「でも、もう最深部に入っていたなんて……!」
ぎっと歯を噛むアルファートの額を、ぴんとカロンは指で弾いた。
「まだ揺籃は沈黙したままだし、こうやって部下と距離を置かなきゃならなかったってことは、解放には結構時間がかかるから、それまで邪魔されないようにしたいんだと思うよ。
――ってことは、まだまだ、あきらめるには早いんじゃないかな?」
言っていて、カロン自身、何の確証もないことは分かっている。だがそれでも、気ばかりはやるアルファートをなだめる効果はあったようだった。
「そう――ですよね。ごめんなさい、こんなときこそ冷静でいないと」
「そうそう。気ばっかりあせってあたふたしてると、女の子に幻滅されるからね?」
「……なんの話してるんですか……」
「そりゃナニの話――って、うわ、なに今の! 言っといてなんだけど僕の発言まんまオジサンじゃないか! うわぁー……無意識にこんな発言、衝撃だよ……! へ、ヘコむなあ……キツいなあ……」
「とりあえず師匠、時間ないので年齢について落ち込むのは戻ってからにして下さい」
頭を抱えるカロンを、アルファートは冷ややかな目で見つめていた。
「戻ってから――若い頃に?」
「地上に! 宿屋に!」
「よ、容赦ないなあ……オジサンが自分を取り戻すための些細な冗談ぐらい、見逃しておくれよ……」
いじけたようにつぶやくカロンは、いい加減アルファートが噛み付きそうな表情をしているのに気付き、やれやれとばかりに一つ咳払いをした。
「とりあえずアル。君の話を聞いて確信したことが一つあるよ」
「……なんです? 若さは取り戻せない、とかいうのはナシですよ」
「わーかってるよ、信用ないなあ。そうじゃなくて、伯爵サマたちの目的だよ。
君がアザンティの子爵サマから聞いたのは、彼が倫理観に逆らってでも『悪行』とやらを解放するのは、自らの存在理由だから――だったね。
なら、やはり彼らの目的は復讐だ。――亡国テメニア、その王家の血筋そのものの、ね」
「復讐……ですか?」
「もしかしたら、とは思っていたんだけど……あの二人の顔が並んだとき気が付いた。
似てるんだよあの二人、お互いに。そして――僕が昔、ちらりとだけど見た覚えのある、テメニアの二人の王女にもね。
つまり、二人の母親は宮仕えの人間どころか、王女そのものだったんだよ。彼女たちはこの計画――『悪行』を解放し、テメニアを滅ぼした連中に復讐するという計画だね、その実行者となる人間を育て上げるため、身を挺して仇の国に嫁いだんだろう」
「そんな……」
アルファートの表情が曇る。
その恨みがどれほど深くとも、復讐のためだけにすべてをなげうつなど、彼にはとても哀しいことのように感じられた。
それを察したのだろう、同感だと言わんばかりに、カロンも無言で一度うなずく。
「しかし……どうやら、伯爵サマはともかく、君に話をした子爵サマの方は、その使命に多少なりと疑問を抱いているようだし、もしかすると……可能性を託した君のために、少しは時間を稼いでいてくれるかも知れない」
カロンは背後、上方へと目を向ける。
その先には、立ちこめる霧の合間にうっすらと、巨大な半球形の影が浮かんでいた。
「あれが、その――水の壁に包まれた、遺跡の中枢……ですね」
「揺籃、だそうだよ。まさに、寝る子を起こす、ってやつだよねえ。ハタ迷惑な」
冗談めかしてそう言ってから、カロンはあらためて表情を引き締める。
「……とにかく、伯爵たちが入っていった正面入り口らしきものは、包囲を抜け出したときに試してみたんだけど、完全に閉じられていた。あそこから後を追うことは不可能だろう。別の方法、あるいは入り口を探すしかない。
時間的猶予もそんなにはないだろうし、ここは手分けしたいところだけど……」
「ぼくなら大丈夫です、師匠」
「いざとなれば、あの『鍵』の少女たちを斬らねばならない――その覚悟も?」
「――それは」
アルファートは答えに窮する。
――カロンの言う覚悟については、オルフェの話を聞いてから、何度も考えていたことだった。
『悪行』の明確な正体は分からなくとも、ここサイメルだけでなく、ミルドアークやアザンティの何も知らない人々にまで多大な被害が出るようなものとあっては、最悪の場合、非情な手段を取ってでもその解放を止めなければならない――その理屈は分かる。
そしてピュティア自身も、自分のせいで多くの人が死ぬようなことになるなら、殺してでも止めて欲しいと、あのすべてを見透すような無垢な瞳で訴えることだろう。
だから、本当にどうしようもなくなったときはそうする――そうできるはずだと、アルファートは自分に言い聞かせていたのだ。
だがそれは結局、いまだに覚悟を決めかねていることの証拠に他ならなかった。しかし同時に、最後まで最善手を探し続けようという、不屈の思いのあらわれでもある。
「でもまだ、あきらめるには早い――そうでしょう?」
「……ん。うん――いいね、いい顔だ。その様子なら、まあ、大丈夫かな。
正直、これ以上男前っぷりを上げられるのも、僕がどんどん引き立て役に押しやられそうで、ちょっと複雑ではあるんだけどねえ」
アルファートの強い視線を受けたカロンは、感慨深げに小さく笑う。
「――よし、じゃあ、ともかく二手に分かれよう。
僕は正面側へ戻り、そのまま揺籃の西側へ回り込む。兵士たちの相手はついでに僕が引き受けるから、その間に、君はこのまま東側を回るんだ」
カロンの指示に素直に首肯し、すぐさまきびすを返すアルファート。
――そのときだった。
「では、私もそれに協力させてもらおうか」
落ち着き払った男の声とともに、人影が霧の中から姿を現した。
目もとを帯で覆った、長身の若い男――明らかに場に不似合いなその人物を前に、アルファートは一瞬驚くも、すぐさま警戒心から双剣の柄に手をかける。
だがそれを――笑みとも困惑とも取れない複雑な表情を浮かべたカロンが制した。
「……まさか、こんなところであなたに会うとはねえ……ワイズ」
「覚えていてくれて何よりだ、カロン。――久し振りだな」
挨拶を交わす二人を、アルファートは交互に見やる。
「お知り合い……ですか?」
「まァ……ね。――まさかとは思うけどワイズ、アレ、あなたが関わってるってことはないよねえ……?」
アルファートの問いに答えながらも、遠く揺籃の方を指で示すカロンの視線は、ワイズから離れない。
「カロン、君の言わんとするところを察して答えるなら、否だ。――が、単に『関わり』という意味なら、無関係とは言えないな」
「……なるほど。まあ、それはそうだよねえ……」
カロンは渋面で、何度かうなずく。
「じゃあ、今の状況は?」
「おおむね察しているつもりだ。だからこそ、協力を願い出た」
淡々と答えるワイズに、カロンは今一度うなずき、アルファートを振り返る。
「――アル。彼は、古代の技術やら歴史やらに、そりゃあもう、大ッ変にお詳しい学者サマでねえ。……どうやら『悪行』についても知識をお持ちのようだ。素直に協力してもらうとしよう」
「え、でも……」
「大丈夫、いかにもアヤしいナリをしてるけど、信用はできるよ。……何せ、魔物の毒にやられて絶体絶命だった君を助けた人間だからね。
――そうなんだろう? ワイズ」
したり顔で振り返るカロンに、ワイズは小さく肩をすくめてみせた。
「さすが、あいかわらず鋭いな」
「おかしいと思ってたからねえ。あの出血量で毒まで食らっておきながら、数時間と経たないうちにすっかり元気になってるんだから。――でもまあ、あなたがこの遺跡にいたのなら、不思議でも何でもないってわけだ」
「じゃ、じゃあ本当に、ぼくを助けてくれた人だったんですか……。
――すみません、これまでお礼も言えなくて……」
あらためて頭を下げるアルファートに、ワイズは、気にしなくていいとばかりに手を振る。
「私こそ、君が目覚めるのを待って説明するべきだった。遺跡に興味をとられて場を離れたせいで、ムダに話がややこしくなってしまったようだ」
「それでワイズ、何か良い手でもあるのかい? とりあえず、僕らはあの揺籃に入ることすらできないんだけど」
「さっき君が言っていた二手に分かれる案、それに乗る。――カロン、君には自分で言った通り、余計な邪魔が入らないよう、兵士たちを西側へ引きつけてもらう。
一方その間に、私は君の弟子に同行して東側へと回り込み、彼を揺籃の裏口へと案内する。そして私自身は、その先の遺跡の制御室へ向かう。――そこなら、揺籃の機能にも干渉できるはずだからな、何らかの手助けができるだろう」
「……ちょっと待った。まさか、アルだけを揺籃の中に?」
カロンの疑問に、さも当然のようにワイズはうなずく。そして、
「『悪行』が解放された場合、恐らく対抗できるのは――」
二人のやり取りを見守っていたアルファートへと向き直った。
「この少年だけだからだ」




