8.存在理由
ずきり、ずきりと――頭の中で反響する痛みが、眠っていた意識を、無理矢理暗がりから引きずり起こす。
――目覚めは最悪だった。
ひっきりなしに頭に渦巻く痛みが胸焼けを引き連れ、身体中、四肢の末端まで重くのしかかる。目は開いていても、映る光景をなかなか脳が認識しようとせず、身体は動いて動かないわけではないだろうが、ひたすらに気怠く、気分が悪い。
「気が付いたようだな」
投げかけられた若い男の声に、アルファートはようやく億劫そうに――しかし必死に、千々に乱れる意識を掻き集めて、状況の認識にかかる。
そうして頭にかかるもやを払い除け、現実として捉えた周囲の光景は、むしろ彼の混乱をさらに煽り立てるものだった。
(なんだ、地上……? いや、これは……)
草木の優しい緑、土のあたたかな匂い、水の穏やかなせせらぎ――。
さまざまな感覚に訴えかけてくる周囲の情報が、気を失う直前まで彼がいたはずの地下世界とあまりにかけ離れている。
頭上に広がっているのが空でなく、光を受け、照り返して輝く水でなかったなら、何ら疑うことなくこの場を地上と判断していたに違いなかった。
「あいにく、と言うべきなのかどうかは分からないが……ここはまだ地下だ。君を捕らえた場所の、さらに下層にあたる」
戸惑いを察したらしい男の言葉に、アルファートは声の主が視界の中央に来るよう、頭を起こす。
そうして初めて、彼は自分が後ろ手に何か枷のようなもので拘束され、地面に転がされていることを理解した。
「――さて、では……目が覚めたところで、まずは君の名前をうかがおうか」
「………」
アルファートは無言で、男を視界に収めたままゆっくりと上体を起こして、座り直す。
後ろ手に拘束されているので、正座したその姿は首を斬られるのを待つ罪人のようだったが、少なくとも彼自身は横になったままよりもこの格好の方がマシだと踏んでいた。
よくよく見てみると、周囲は、木立の中に作られた小さな墓所のような場所だった。壁に見立てているのか、密集して生える木々に囲まれた十メートル四方ほどの空き地に、規則正しく丸みを帯びた石が並んでいる。
そしてそのうちの一つ、アルファートの真正面にあたる丸石に座る、ユタンと同じように身なりに高貴な家柄を感じる若い男が、先程から彼に語りかける声の主だった。
「どうした? まだ声が出せないのか?」
男の疑問は、完全に的外れというわけでもなかった。アルファートがあっさり名乗らなかったのは、まず第一に男を警戒してのことだったが、頭痛のせいで、今しばらく口を開きたくないとも思っていたからだ。
「……人に名を聞くのなら……まずは、そちらから名乗るのが、礼儀――ッ!」
何とか声を絞り出すアルファートだったが、すべてを言い切る前に、反論は自らの呻き声に掻き消される。彼の死角に立っていた兵士が、槍の石突きで背を強打したのだ。
「調子に乗るなよ小僧。こうして生きていられるのは誰のおかげだと――!」
「やめろ、勝手なことをするな!」
咳き込むアルファートに向けさらに槍を振り上げた兵士を、男は厳しい言葉で制した。
「――部下が失礼した。私はオルフェ。アザンティ王国、イレンス子爵家の者だ」
アルファートの求めに応じ、オルフェは紳士的に名を名乗る。
「………。ぼくは、アルファート」
アルファートは息を整えてから、突き放すような物言いでそれに続いた。しかしオルフェは気にする風もなく、一つうなずく。
「そうか。ではアルファート。まず先に言っておくが、君のつけている拘束具は、霊子界の認識を阻害するための真言を刻んで作られた、主に罪人に使われる特別なものだ。身につけている限り貌霊を顕現することはできない。
加えて、君の双剣はこちらで預かっている。この状況を力ずくで打開しよう、などと浅はかで愚かなことは考えない方がいい」
オルフェの言葉を確かめようと、アルファートは拘束された手を何度か動かしてみる。
そのたびにがちゃがちゃと重い音を立てる、装飾とさえ言えそうなほど細やかに紋様の刻み込まれた金属製の枷は、少なくとも貌霊を絡鎧でもしなければ、力ずくでどうにかできるものではなさそうだった。
ただ、武器に関しては、双剣は取り上げられているものの、仕込まれた暗器までは気付かなかったのか、すね当てはそのままだった。
「だが……大人しく私の質問に答え、そして指示に従うなら、危害を加えることなく、その拘束を解いて君を解放することを約束しよう。どうかな?」
「イヤだと言ったら?」
「……不本意ながら、少し痛い目を見てもらうことになる」
オルフェは目を伏せながら、ため息混じりに答えた。不本意という言葉は嘘ではなく、できればそんなことは避けたいと、態度で表すように。
そんな言葉と態度の奥に隠れた真意を推し量りながら、アルファートは「分かった」と要求を飲む答えを返す。
差し当たっては相手を出し抜いて逃げ出すだけの方策も見当たらないし、状況を理解する上での情報を手に入れるという意味でも、ここはヘタに逆らうよりは合わせるべきだと踏んだからだった。
「賢明な判断だ」
満足そうに言って、オルフェはアルファートのかたわらで様子を窺っている兵士を呼びつけると、席を外すように言い渡した。
「何をおっしゃいます若様! 危険です!」
当然のように兵士は反対するが、オルフェは至って冷静に首を振る。
「私なら大丈夫だ。それに彼も、私一人の方が気が楽だろう」
「しかし、万一のことがあっては……」
「命令だ。下がれ」
なおも食い下がろうとする兵士だったが、強い口調で命令とまで言われては引き下がらざるを得なかったのだろう。ちらりとうずくまるアルファートに視線を向けた後、オルフェに一礼して、木々の合間、獣道のようになっている細い通路を歩き去っていった。
肩越しにその後ろ姿が消えるまで見送ってから、オルフェはアルファートに向き直る。
「アルファート。君が何者であるか、私は知らない。だが、聞く気はない」
「………え?」
オルフェの発言に、毅然とした態度を取ろうと心中身構えていたアルファートは、肩透かしを食らったように、思わず戸惑いを顔に出してしまう。素性や、ここにいる理由は、何より真っ先に追求されるものだと思っていたからだ。
「困惑するのももっともだ。しかし、聞いて欲しい。――私は、君がどういう理由でここにいるのか、それだけは私なりに予想がついている。
ミルドアーク教国の人間が連れていた少女を助けようとしている――そうだろう?」
「………そうだ」
しばらく逡巡した後、アルファートは小さくうなずいた。そして、すぐさま噛みつくような勢いで言葉を返す。
「今はあなたのところにいる、あの子だ。……そうだ、あの子があんなになるなんて、あの子にどんな酷いことをしたんだ……っ!」
話しているうちに、気を失う直前に見たピュティアの様子を思い出したのだろう、オルフェを睨み付けるアルファートの瞳に怒りが炎のように揺らめく。
しかしオルフェは、またもアルファートの予想外の――哀れみにも似た表情で、視線を落とした。
「……酷いこと、か。さかのぼって見ればそうなるだろうな……。
だが、それはともかく、君は一つ大きな誤解をしている。仕方のないことだろうが」
「誤解、だって……?」
「君が会った、私たちの連れていた彼女。あれはピュティアであってそうではない。
……いや、はっきり言おう。あれは確かにピュティアだが、君の知るピュティアではない。彼女は――いや、『彼女たち』は、二人とも同じ。双子よりもなお近しい、二つに分かれた一人、同一の存在なのだ」
「――っ! ふざけるな! じゃああの子は……!」
「ただの子供でないことぐらい、君も薄々気付いていたんじゃないのか?」
オルフェは淡々と、静かに言葉を紡ぐ。
反対に、感情を激しく揺さぶられているのが目に見えて分かるアルファートは、しかしそのあふれる言葉が喉でつかえたかのように、ただ絶句するしかなかった。
「こちらのピュティアは、君と会ったことなどないはずだった。そして、長い間人と接していなかったせいで、感情と呼ぶようなものはまったくと言っていいほどもっていないはずだった。
……にもかかわらず、君と会ったとき、その既視感に戸惑い、そして戸惑うという感情にまた困惑していた。――人は、双子であれば感情を共有することもあるという。ましてそれが、双子どころかさらに近い同一の存在ともなればなおさらだろう。
こちらのピュティアは、すぐ近くまで来ている、もう一人の――普通の子供のような扱いを受け、少なからず感情を芽生えさせた、君の出会ったピュティアの干渉を、君という存在を通して受け取ったのだ――だから、君を前にして、あんな態度を取ったに違いない」
「……それが、ピュティアがただの人間じゃない証拠だとでも言うのか?」
「証拠というほどのものではないだろう。だが、君がここへ至るまでの間に感じたであろうこと……それを補うものだとは思うが」
オルフェの態度はあくまで真摯だった。だがそれがゆえに、かえってアルファートは相手の真意を測りかねる。
「それで……ぼくにそんな話をして、いったいどうしようっていうんだ? あなたたちと同じように、ピュティアを利用してこの遺跡で何かを成そうとしている、競合相手の邪魔をさせようとでもいうのか?」
「当たらずとも遠からず、だな。……しかし一つ訂正しておこう。私たちは――競合相手などではない」
オルフェはそこで、いったん言葉を止めた。
何かを考えるように、思いをはせるように――目を閉じてしばらくの沈黙を置いた後、ようやくあらためて口を開く。
「この私、そしてミルドアークはロエル伯爵家のユタン――我ら二人が引き連れる部下の兵士は、偽りの目的に惑わされ、誰一人としてその事実を知ることはないが……私とユタンは、同じ目的のためにこの遺跡へ来ているのだ――同志として」
「……な……」
アルファートは目を見開く。
アザンティとミルドアークが、最近では表立った対立はないものの、その実、数十年来の敵対関係にあることは、誰もが知るところだったからだ――およそ、協力して何かを成すなど、とても考えつかないほどに。
「この遺跡の最深部には、テメニア王家に連なる者たちが、果てしなく永い時間監視を続けてきた、『悪行』と呼ばれる存在が封じられている。
それを解き放つことが、私とユタンの目的――いや、使命なのだ」
「その、『悪行』が解放されたら……どうなるんだ」
「詳しくは我らにも分からない。だが間違いなく、このサイメルは崩壊することになる。当然、隣国のミルドアークとアザンティもただでは済まないだろう」
オルフェの言葉はアルファートに、かつてユタンの目的として聞かされた、厄災という単語を思い起こさせた。
ユタンはその解放を止めることが目的だとカロンに告げていたようだが、オルフェの言を信じるなら、それは真逆だったということになる。そしてその信憑性は、オルフェ自身の態度もさることながら、そもそも師のカロンがユタンを探るようにして同行していることから見ても、低いものではなかった。
「どうして……どうしてそんなことを!」
アルファートのもっともな質問に、オルフェは視線をわずかにそらし、小さく息をついて答えた。
「……それは君の知ることではない。ただ、それが使命であり運命――私たちがこの世に生を受けた、唯一にして最大の理由なのだ」
「バカな! そんな――そんな勝手な理由で! 大勢の人を危険にさらすっていうのか!」
「……だからこそ。私は、君にこうして話をしている」
オルフェはあらためてアルファートの瞳を覗き込む。
先とは一転したその表情からは、有無を言わせぬ決意のようなものが見て取れた。
「君も察しがついているだろうが、その目的を達するためには、『鍵』であるピュティアが必要不可欠なのだ。それも、分かたれた二人、その両方が。
つまり……君が彼女を助け出すことができたなら、『悪行』が解き放たれることもないということだ」
「どうして……そんなことを、このぼくに」
「言っただろう? 競合相手の邪魔というのは、当たらずとも遠からずだと」
「……ぼくに、あなたたちの計画を潰せって言うのか」
「君の、この遺跡をここまで潜り、さらに私の部下を退けた能力と、ピュティアを助けたいという強い想い……それらを買ってのことだ。
……無論、強制はしない。解放後、一人逃げるも君の自由だ」
「なぜそんな……! 計画が間違っていると感じているのなら、あなた自身が手を引けばいいだけのことじゃないか!」
アルファートが詰め寄ると、オルフェは自嘲するように唇を歪めた。
「……これも、言ったな。そうすることが、私の存在理由だからだと」
「そんな、そんなのは――!」
「理解されないのは承知の上だ。だがこれ以上、その是非について議論する気はない。
……いいか、アルファート。この後、先程の部下に、ある程度道をさかのぼったところで君を解放させる。君がこれ以上我々に関与することなく、大人しく引き返す気になったと言ってな。武器もそのとき一緒に返させよう。
そうしたら――我々を止める気ならば、そのまま後を追って最深部まで来るがいい」
アルファートはキッと、毅然とした視線でオルフェを射抜く。
オルフェはオルフェで、眉根を寄せたまま、断固とした意志をもってそれを受け止めていた。
しばらくの沈黙の後、アルファートは静かにうなずく。
「――分かった。だけど勘違いするな、あなたのために戦うんじゃない。ぼくはただ、あの子を助けたいだけだ。
その正体が何者であっても……人の痛みを知り、生きることの喜びを知るあの子に――この世界で普通に生きる機会を与えてあげたいだけだ!」
「……いいだろう。それで充分だ」
最後に、どことなく虚ろな笑みを浮かべてそう言うと、待機している兵士への合図なのだろう、オルフェは指笛を鋭く鳴らした。




