7.一人の少女
――サイメル中央区、旧テメニア王城跡。
その内部は大幅に改装され、現在では行政府として利用されている。円形の大テーブルを中央に据えた、豪商たちによる議会が開かれる議場も、もとは大会食場だった広間に手を加えたものだ。
そこへ、およそ会議を開くには適当とは思えない深夜であるにもかかわらず、議員である豪商のほとんどが、一様に厳しい顔をして集まっていた。
総勢十人程度の商人たちは、召集がかかった理由について、差しさわりのない世間話を交えながら、憶測を話し合う。
場が緊迫しているのは承知の上で、それでも腹を探り合い、後の商売に利用できる情報を少しでも手に入れようと貪欲に苦心するあたり、さすが、交易が盛んで裕福な人間も多いサイメルにあって、さらに豪商と呼ばれるほどの者たちだった。
やがて――上座のすぐ後ろにあるドアが開くと、そんな喧騒もぴたりと止む。
姿を現したのは、集まった者の中では比較的若い、年の頃四十後半の、立派な青い口髭を備えた男だった。
男はまず、刺すような視線で議場をぐるりと見やると、他の席よりも大きく幅を取られた上座に静かに着席した。
「どうも皆さん。このような時間にお集まりいただき、申し訳ない」
「前置きは結構だ、議長。早々に用件に入ってもらいたい」
初老の商人が、すばやく口を差し挟む。
それが集まった議員の総意であることを理解する議長は、小さくうなずいてからあらためて口を開いた。
「失礼。では早速本題に入りましょう。――と言っても、この場の皆さんはすでにある程度はご承知かも知れませんが――」
議長は一度区切ると、今一度さっと議場を見渡す。
その動きに反応して返ってくる、探るような視線から、自らの発言が決して的外れでないことは充分に窺えた。
「西岸区、東岸区ともに、私兵に緊急召集をかけている方が幾人もいらっしゃると聞き及びました。――ミルドアーク、アザンティ両国との折り合いというものがあります、議会の承認を得ない軽率な軍事行動は見過ごすわけにはいきません。理由の如何をはっきりしていただきたい」
「その、当の隣国の行動を警戒するためだ」
一人の商人が切り返す。
「西岸区では、盗賊団を殲滅するとの理由で、教国の聖礼軍が旧砦跡より地下遺跡に進入しているが、半日経った今でも何の状況報告もない。
そもそもの、兵士を動員するその申請理由自体にも相当疑問があるが……仮にそれが真実だとしても遅すぎる。後の大規模な軍事行動のため、何らかの下準備をしている可能性すら考えられるだろう。
サイメルを代表する議会の一員として、そのような不審な動きを傍観するわけにはいくまい。後手に回らんよう、打てる手を打つのは当然のことだ!」
商人が気炎を上げると、それに同調する声が続けていくつも上がった。
「東岸区の方でも、アザンティが新規駐屯兵への訓練という名目で遺跡に潜っておるが、やはり報告がない。偶然と断ずるには、あまりにも西岸側と状況が似ている。
まさか、仇敵のミルドアークと手を組むとは思えんが……しかし奴らとて、このサイメルの混乱を目的に、一時的に協力し合うぐらいはするやもしれん。
議長の懸念するように、いたずらに刺激する真似は確かに愚かしかろう。だが、事が手遅れになるまで座して待つのはそれこそ本末転倒、愚の骨頂ではないか?」
別の年老いた商人の意見にも、また同調する声が上がる。
それらは、放っておけば互いの相乗効果で、どこまでも白熱しそうだった。
そんな場の空気をきっぱりと遮断すべく、議長はそのよく通る低い声を冷たく張り、議場内に響かせる。
「皆さんが懸念されている問題ですが――」
この声色と存在感が、彼を議長たらしめている理由の一つであるのは間違いないだろう。荒れかけていた場は、議長が発言したその瞬間、嘘のように鎮まっていた。
「まずは、報告が遅れたことをお詫びします。その上で申し上げますが……先程、ミルドアーク、アザンティ両国の大使館より、皆さんが今おっしゃったような疑念に繋がりかねない行動への謝罪とともに、申請内容の延長を願い出る旨の書類をお預かりしました。
確かに両国とも、今回の活動には少々行き過ぎの感がありますが、書類に不備はなく、臨時延長は条項でも認められた範囲内です。少なくとも、本日正午を迎えるまで両国の行動は正式の手続きに則ったものであり、私兵による介入は両国への戦争行為と見なされます。よって――」
議長の発言の途中からざわざわと湧き出した小声のやり取りが、その最後の区切りで息を呑むように再び鎮まる。
「議長として宣言します。本日正午まで、商人組合麾下の守備隊、各議員の私兵は、ともに特別呼集、並びに活動を一切認めません。すでに関連区域に私兵を配備なさっておられる方は、即時の退去をお願いいたします。
これらを受け入れられない場合、相応の罰則が適応されますので各自留意下さい。――以上です」
言って、議長は静かに席を立つ。
潔いまでに明確な裁断に、それなりの論議に発展するのは間違いないと踏んでいた商人たちは、まさしく呆気に取られてしばし声を失う。
「では皆さん、夜分遅くにご苦労さまでした。失礼します」
そんな場の虚を突いて、問答などする気はないとばかり、早々に議場を後にした議長は、閉じたドアの向こうがにわかに騒がしくなるのを感じながら廊下を進み、議長専用執務室に戻ると、大きく息を吐いて緊張を解きほぐす。
そして、机上のランプの明かりがわずかに届かない隅の暗がりに向けて、議場での朗々たる響きのものとは打って変わった、喉の奥から絞り出したような声を放つ。
「……言われた通りにしたぞ」
『ご苦労様、議長』
暗がりの奥がぼうっと淡い翠に輝く。
そこにゆっくりと姿を現したのは、光の粒子が群れ集って姿を形作っている、踊り子だった。
「連中への抑止がどれほど働くかは分からんがな」
『問題ないわ。追加書類の偽造は完璧だし、今日の正午までという短い期限のことでしかないのだから。
……そもそも、彼らは商人であって軍人ではない。場が場だけに、威厳を保つ意味も含めて声を荒げはするでしょうが、危険を徹底して避け、自らの身と財産を守ることを第一とする以上、バカな真似はしないでしょう。
最悪、支配構造が変わったところで、上手く渡り歩くことは可能だと高をくくっている連中なのだし』
「……ふん。危険を顧みず、野心を満たす話に食い付く人間もいるがな」
『あなたはそうね。でも、他の現議員はそうではない。あなたの座る議長の椅子を狙ってはいるものの、今の地位や財産をかなぐり捨ててまでの行動に出るだけの度胸はない――でしょう? だからこそ、帝母様もあなたを後押ししたのだから』
「…………」
議長は無言で唇を噛む。
中立を掲げているサイメルにとって、一つの国家と必要以上に強く結びつくことは最大の禁忌である。そして、いまだ年若い彼が、数多くいた商売敵をことごとく蹴り落とし、今のこの地位を手にできたのは、己の野心のままにその禁を犯し、ロシュリムの――ひいては帝母と手を結び、その強力な援助を受けたからに他ならない。
だがそれは同時に、すべてを知る帝母によって生殺与奪を握られるのと同義だった。ゆえに、帝母の名を出されれば、突然の理不尽な要求にも応えざるを得ないのだ。
無論、今回の議会での強引な裁定により、議長の座を狙う者の攻撃材料は増え、その地位は少なからず不安定になるだろう。だがそれでも、彼に選択の余地はなかった。
もし逆らえば、ロシュリムは真相を自分たちに都合のいいように曲げた上で暴露し、彼だけを背信罪による商権の永久剥奪という、地獄の底へ突き落とすのは間違いない。
「しかし、なぜ帝母様はこのような指示を出される? 今回の二国の行動が多少なりと不審であることは確かだが、ならばこそ、我らの守備隊に追求させるべきではないのか?
二国が何かを企んでいるとして、このサイメルがそのどちらかの手に渡るようなことになれば、ロシュリムが、私を通してこの街を掌握することもできなくなるというのに」
議長の問いかけに、踊り子の姿をした翠光はふふっと艶やかに笑った。
『それはあなたの知るところではないわね。……ただ、帝母様は無粋な横槍を入れられるのがお好きではないの。
とにかくあなたは、万が一にも他の議員が勝手な行動を取らないように、くれぐれも目を光らせておいて』
「……分かっている、従うとも。それが帝母様のご希望である以上はな」
*
――ピュティアは煉瓦風の壁に背を預けてぺたりと座り込むと、膝を抱えて大きく息を吐いた。
頭上で空の代わりに輝く水面を除けば、ごく自然な土や草や木々の、目をなごませる色合いや懐かしい匂い、小川の控えめなせせらぎは、否応なく彼女に、山中の小さな村で老夫婦と過ごした平穏な日々を思い起こさせる。
「おじじ……おばば……」
そっと膝に顔を埋めるピュティア。
――彼女にとっての記憶とは、まさしく老夫婦との生活そのものだと言ってよかった。
実のところ、それ以前のものではないかと思われる、断片のような記憶もあるにはあったが、そのほとんどが、塗りつぶされた闇をあらためて目を見開いて見つめているようなもので、記憶と呼べるようなものではなかったのだ。
だから、気が付けば自分とともに生活していた老夫婦、そしてあのどことも知れない場所の小さな村が、彼女のすべてだった。
最も新しい記憶に残る老夫婦は、すっかり白くなった髪をしているが、今思い出せば、それがはっきりと黒かった頃には、二人は彼女に大切な役目があると言い続けていた。そしてその頃は特に大事に扱われていたものの、それはまるで高価な人形を扱うかのようなものであり、良くも悪くも、思い出と呼べるようなものは何も作られなかった。
変わり始めたのは、二人の髪に白いものが混じり始め、役目のことなどまるで口にしなくなってからだった。
これまでの人形のような扱いは徐々に鳴りを潜め、よく笑い、そして笑いかけてくれるようになった二人――その頃からようやく彼女は、二人とともに過ごす時間を大切に思うようになっていた。楽しいという感覚を、理屈抜きに実感できるようになっていた。
そして初めて手に入れたそれは、壊れることなくこの先もずっと続くものだと信じていたのだ――そう、ほんの数日前までは。
「………っ」
膝を抱く手に、自然と力が籠もる。
眠っている間に、村から自分を連れ出した一団――その一番上の地位にいる人間が、自分の大切な役目とやらに関係があることに、こうしてあらためて記憶を手繰り寄せることで、ようやく彼女は思い至っていた。
しかしその大切な役目というのは、していて楽しい話ではなかったし、何より老夫婦ももう随分と長い間そのことに触れようとしなかった。だから、役目の話自体すっかり忘れていたし、いきおい、その内容となれば、本当に聞いたことがあるだろうか、というぐらいに記憶をたどるのが困難だ。
……だがそれでも、なぜか分かったのだ――自分をあたたかい思い出から引き離した男が、その役目に関わる人間だということが。
そしてその理由が、今こうして一人、遺跡を奥へ奥へと歩き続けることを強いる、内なる声と想いに、どこかで繋がっているということが。
もはや彼女は、自分を導き突き動かす内なる想いの先に、アルファートがいないことには気が付いていた。しかしだからといって、逆らい、振り切ってしまうことができないくらいに、その感覚も大きなものだった。
なぜなら――そのどちらもが等しく、なくしたものを求める気持ちだったからだ。
「……おじじ……おばば……」
ピュティアは優しくそっと、自らの髪に揺れる赤いリボンを指でなぞる。
それは宝物だ、何よりの。大好きなおじじとおばばがくれたもの。そして――
「……アル……」
大好きになった少年が、彼女のためにと、手ずから結び直してくれたものだから。
「アルぅ……!」
声に出すと、無性に逢いたくなった。
色んな事を思い出し、考えて、ぐちゃぐちゃになりそうな頭を、そっとなでて欲しかった。大丈夫、と言って欲しかった。
しかし、そんな彼女の混沌とした思考を打ち切ってくれたのは、優しい手でも、穏やかな声でもなかった。
これまでに何度も聞いた、金属の擦れ合う耳障りな音――兵士たちの鎧が立てる音――近付いてくるその音が訴えかける危機が、皮肉にも彼女を思考のぬかるみから引き上げるきっかけになったのだ。
反射的に立ち上がると、音がするのとは反対側に向かって駆け出すピュティア。
奇しくもそれは、彼女の内なる声が――想いが導く方向と、まったく同じだった。




