6.彼の求めるものは
「……ふむ、なるほど。我々の築いた隔離領域をヘタに作り替えたりはせず、上から覆うようにして、この封印施設を作ったのは間違いないようだ。
そして、時間経過による、ある程度までの人類の技術衰退を計算に入れた上で、時代の推移とともにさらに上塗りさせた……か」
――細い通路を進むワイズは、磨き抜かれた石材の壁にときおり手をかざしたりしながら、独り言のようにつぶやく。
「気付いたか? ケイナ。この縦横に走る小さな水路の意味に」
前触れなく話を振られたケイナだったが、あわてることなく小さく首を振った。
「いえ。役割がある気はしましたが……」
「これはな。さしずめ、『揺籃』を囲う檻といったところだ」
ワイズは足の下、ガラスに似た透明な素材で表面を覆ってある水路を、こつこつと爪先で蹴る。
「水の『流れる』という性質、そして水路を形作る素材の相性を利用して、いざというときには真言による命令一つで、水路そのものを瞬間的に、結界を形作る網へと変えられるようにできているわけだ。
これを築いた時代は、まだまだ建築技術はそれなりの高水準にあったという証拠だな。実用性と芸術性を兼ね備えたこの造形はなかなかに見事じゃないか。
……もっとも、Xナンバーが解放されれば、いかに霊子界に強固な結界を書き連ねようと、大した役には立たんだろうが」
「………。マスター、お伺いしたいことがあるのですが」
ケイナがぽつんとつぶやいた言葉に、ワイズは仕草で続けるよう促す。
「それほどまでに制御が利かないマクロファージのXナンバー……いったいどうやって、そんな存在の暴走を食い止め、隔離したのですか?」
「……ふむ。そのあたりはお前の記憶には記されていなかったか」
口もとに手をあてたワイズは、やおら答えを口にした。
「言うなれば、人身御供で、だな。……マクロファージの基礎設計者は記憶にあるな?」
「ミカ・クラリック博士……でしょうか」
「そうだ。我ら九賢人に加わることはなかったが、彼女は優れた霊子研究者だった。
その彼女が、Xナンバーの暴走の際、自らが依代となってその魂にXナンバーの中枢情報を刻み――そう、いわば貌霊として自分に結びつけたのだな。そうしてその命を絶つことで、無理矢理に活動を休止させたのだ。
誰よりもあれの危険性を知る彼女は、我々が対策を打つのが間に合わないと踏み、そのような強行策に出たのだろう。人身御供など、我らとしては納得できる幕引きではなかったが……少なくともそのときには明確な手もなかったからな、彼女の意志を尊重する意味でも、そのまま彼女の遺体と魂を保存し、隔離する領域を築いた――と、そういうことだ」
ワイズは小さく息を吐く。
めずらしく、その表情は険しさを覗かせていた。
「では、ミカ博士の遺体を破壊するとXナンバーが?」
「いや。遺体も、それに繋がれたままの魂の残滓も、すでに『死』という休止のメッセージをXナンバーの中枢に刻んでいる。今さらそれらを破壊したところで、Xナンバーは解放されんさ。同時に、その方法では消滅もさせられない、ということだが」
「では……Xナンバーを目指しているという者たちは、何を目的としているのでしょう。そこまでの知識がないだけなのでしょうか」
ケイナが小首をかしげると、ワイズは口もとで微笑んだ。
「知識か。それは確かにないだろう、世界改変によって我らとの間の歴史はほとんどが断絶しているのだからな。
しかし……人には知恵というものがある。
恐らくは古代サイメルの研究者だろうが、Xナンバーを解放するのに、実に見事な方法をその知恵をもって考案したのだ。私もまさかとは思っていたが……あらためてお前の同素体の反応を考えてみれば、どうやら杞憂で終わってはくれないようだ。
――ともかく、あれを目指す者たちがその方法を知っていることは明らかだ。ただの蛮勇でここへ来たのではない」
「方法……ですか。休止状態を解除しようと中枢に直に接続したりすれば、貌霊が食い尽くされて終わるだけでしょうし……」
何度も首をひねるケイナの小さな頭に、ワイズはぽんと手を置いた。
「分からないか、ケイナ? その目的のために、古代サイメルの研究者は恐らく奇跡に近い幸運の助けを得て、創り上げたのだろう――完璧なほどのお前の同族たちをな」
「わたしの……」
「しかし、フム、このままでは……。せっかく興味深い状態にある断罪騎を見つけたというのに、厄介なことになりそうだな。
――仕方ない、これ以上の干渉は避けたかったが……責任というものもある」
ワイズはケイナの頭を、やや乱暴にくしゃりとなでた。
「やはり彼と――直に顔を合わせる必要がある、か」
*
「――ふッ!」
短い呼気とともに、優雅な舞いのような動きから一転――カロンの双剣が、稲妻もかくやという速度で立て続けに、文字通りに閃く。
体勢を崩した兵士に今にも飛びかかろうとしていた、蛇のような表皮と頭部をもつ二匹の人型の魔物は、どちらもが首を飛ばされ、勢いのまま数歩歩いた後、ようやく自らの命が消えていることに気付いたように、ゆっくりと前のめりに倒れる。
「た、助かりました、剣聖殿!」
「こいつらは群れでの戦い方を心得てる。油断しない方がいいよ」
兵士の礼にそう忠告で返すと、続けてカロンは魔物の数に押されて劣勢にある兵士を見極め、すばやく救援に走る。
彼が旋風のように駆けるたび、圧倒的に多勢なはずの魔物が次々に屍と化していった。
まさしく剣聖の名にふさわしい一騎当千の戦いぶりに、数だけでなく統制も取れた魔物の、さらに個体ごとの意外なほどの手強さに苦戦していた兵士たちも奮い立ち、当初不利なようにも見えた戦況をどんどんと好転させ、魔物たちを押し返していく。
――そうして、一度大勢が決してしまえば後は早いものだった。
総崩れになった魔物たちは、それまでの優位など見る影もなくあっさりと、士気盛んな兵士たちによって駆逐され、流れ落ちる水に取り囲まれた、滝壺の中のような大広間は、もとの涼やかな喧騒を取り戻す。
「この魔物たちも、秘密に近付こうとする愚かな盗掘者を排除するための罠の一種……ってことですかねえ」
水が流れ落ちている堀を覗き込みながら、カロンはふむー、とうなる。
先の魔物の群れはこの、大広間をぐるりと取り囲む堀の中から這い出してきたのだが、これ以上何かがそこから顔を出すことはなさそうだった。
「……まあ、そういうことだろうな」
答えを返しながら、ユタンは額に浮いた汗を拭う。
周囲では、傷の治療や武器の手入れなど、兵士たちがそれぞれ戦闘後の処理をこなしていた。
そのうち、怪我らしい怪我もなく、余裕がある何人かは、早々に休憩を切り上げ、先遣隊として奥の調査に向かっていく。
「それにしても、随分と深くまで潜ってきていると思うんですが……なかなか件の少女に追い付きませんねえ。上の層では何度も近付けたというのに」
「今回ほどの大規模な戦闘は少ないとは言え、それでも何かと魔物の相手で時間を食ってはいるからな。
それに、自然と棲みついたような上層の魔物はともかく、このあたりの連中が、貴公も感じたように遺跡を築いた人間が意図的に配置したものだとするなら、恐らく『鍵』を持つ者は襲わないよう命令されているのだろう。それが遅れになっているというところか」
「ならいいんですがねえ……やっぱり美少年じゃないと寄りつかないのかなあ、とか思うと、オジサンとしてはちょっぴりショックなわけでして」
「……まあ、嫌われている我々と行動をともにしている時点で、好感を抱かれるかどうかは推して知るべし、といったところだな」
喉の奥で笑うユタンにカロンは、「ですよねえ……」と大きなため息をつく。
「それはともかく……その子が、まったく別の方向へ逃げている可能性はいかがです?」
「絶対にない、とまでは言わないが――その可能性は限りなく低いだろう」
落ち着いた様子で意見を述べるユタン。
その姿を、カロンは調子こそ普段と同じように、しかし仔細に観察し――それからあらためて、今度は周囲の兵士たちに視線を走らせた。
「どうかしたか?」
「いえ、皆さんムダのない迅速な行動、さすがだなあ、と感心しちゃいまして」
こんな状況なのにねえ、と続く言葉は心の中だけでつぶやき、カロンは微笑む。
――真に遺跡に眠る厄災を止めようとしているのなら、『鍵』をこれだけ長時間野放しにしておいて平気なはずがない……それがカロンの考えだった。
(あえて平静を装っているのだとしても、これだけの人数がいれば、一人は言動の端に動揺が出ていてもおかしくないはず……にもかかわらず、誰一人としてこの状況に脅威を感じている気配がない。
つまりは少なくとも、伯爵殿が教王に上申した目的は、厄災などとは関わりがないってことか。……でもまあ当然だね、あの王とは名ばかりの欲深な暗愚が、罪無き民を救うため厄災を止めたい――なんて、自らに何ら利するところのない殊勝な行動を、わざわざ許可するわけがないんだし。けれど――)
カロンは記憶の中のユタンの言葉を反芻してみる。
厄災について述べていたユタンの様子には、それが少なからず真実に触れている気配があったことを、これまで多種多様の人間と接してきたカロンは、経験から感じ取っていた。
(……ということは、ここに眠っているのはまさしく物騒極まりない『厄災』なわけだ。だけどそれにもかかわらず、誰より伯爵自身にこの状況を危ぶむ様子がないってことは、彼が望むものとはすなわち、厄災そのものである、と見るべきだろうね。
けれど――はっきりとした証拠はなく、さらに『鍵』の正体についてもいまだ不明。さらに、もう一方――アザンティ側、イレンス子爵の役割についてもまだ不明瞭……となると、さすがに、この場で伯爵殿を叩っ斬ってさっさと終わりにしてしまう――ってわけにもいかないか。……さて、この先どうするかねえ)
「剣聖殿。そろそろ我ら本隊も動こうと思うが。貴公は大丈夫か?」
「……ええ、子供に嫌われるというショックからも、オジサン何とか立ち直りましたし。いつでもいいですよ」
思索を中断させられても何らあわてることなく、さらに、ほんの一瞬でも殺意を抱いたとはとても思えない人好きのする表情で、ユタンの問いにうなずくカロン。
しかし思索の名残からだろう、ユタンの顔を見てふと思いついた彼は、何歩も歩かないうちに何気なく尋ねる。
「ところで伯爵様。お母様は、テメニア王女の側仕えをしていらしたのでしたね?」
「? ああ。母が自ら話すこともなかったので、先に言ったように、私も最近まではただの宮仕えだと思っていたわけだが。……それがどうかしたのか?」
「ああいえ、大したことではないんですけどね。テメニア王家の方々が国家解体の後どうなったのか、お母様から詳しく聞いてらっしゃるなら教えていただこうかな、とか思いまして。
――実は僕、その頃は南の方にいましたから、一般的な風聞しか知らないんですよ」
カロンの言葉に、つまらないことを、とユタンは鼻を鳴らした。
「……その一般に知られている話がすべてだ。
王城バルコニーでの国家解体宣言直後、王は自ら短剣で胸を突いて自害し、二人の王女はバルコニー下へと身を投げた。
王の死相は憤怒と憎悪に塗り固められ、王女たちもまた、その砕けた無惨な顔に、往時の美貌の名残は欠片もなかったという……。
そうして、テメニア王家は完全に途絶えた――それだけだ」
「では、お母様はそのことで、教国そのものを恨んでいたりはしなかったのですか? テメニア解体にあたって、王女から様々な品を下賜されるほどの仲だったのでしょう?」
バカバカしいと言わんばかりに、ユタンは口の端で笑う。
「もしそうだったなら、父のもとへ嫁ぐことなどあるまい。
そもそも、元テメニアの人間ということで、母は叛意などがないか、それなりの期間、国から動向を監視されていたはずだからな。その上で問題ないと判断されたのだ、かつての主人のことは仕事と割り切っていたのだろう」
「……そうですか。――あ、いや失礼、本当につまらないことを聞いてしまったようで」
「まったくだ。貴公がこんな俗物めいた話に興味があったとは意外だな」
「いやー、世間の評判がどうあれ、本質は徹頭徹尾俗物ですので、僕」
おどけた様子で肩をすくめるカロン。
対してユタンは、それ以上は何を言うでもなく歩を進める。
――大広間を越え、開け放たれた両開きの扉を二つほど抜けた先には、円筒形に広がる滝の内側に沿って螺旋を描いた、下り階段があった。
十メートル程度とさして長くはないその階段を下りきり、これまでとは一転してくすんだ色合いの短い通路の果て、一際大きな扉を抜けると、遺跡はまた新たな顔を見せた。
「へえ……これは、また」
カロンは他層でもそうだったように、また感嘆の声をもらさずにはいられなかった。
――そこに広がっていたのは、地の底でありながら、地上へ戻ったかのような錯覚を起こさせる光景だった。
実際にそうであるかは不明だが、素朴な煉瓦造りに見える壁材と、そこへ絡みつくツタを初めとして……。
土敷きの床のあらゆる場所を飾り立てる、小さい可憐な花をつけた植物。
明らかに自然物を意識して作られている小川。
枝葉を広げて立ち並ぶ樹木。
足下の土から顔を覗かせる踏み石――などなど、構成する要素の一つ一つが、のどかな自然を直接運び込んだもののようだったのだ。
しかし当然ながらそこに太陽はなく、上を見上げればガラスに似た限りなく透明な材質の天井越しに、青空に代わって、さらに上方からの何らかの光を反射しながら、美しい水が静かに波打っている。
さながら、ここが水底に沈んだ庭園であるように。
そしてその光景は同時に、貌霊を通し、霊子界を見るときの光景――構成真理そのものが視覚化された『光る水』に沈んだ世界――を模したものにも見えたのだが、欠素者であるカロンには、そこまでは判別のしようがなかった。
「遺跡の中らしく、煉瓦っぽい壁やら木立やらが迷宮を構成していることを除けば、何というか……庭園、ですねえ。さしずめ、空中ならぬ水中庭園――といったところですか」
「庭園というよりはむしろ霊園、だろうな」
言って、ユタンは通路の一角を指差す。
白い花を付けた下生えが囲むそこには、墓石めいた丸形の石が並んで鎮座していた。
「……なるほど」
ユタンの説に素直にうなずいて同意するカロン。
そこへ、小径とも表現できそうな通路の奥から、金属質の翼を備えた鳥が淡い光の轍を残しながら高速で飛び込んでくる。
以前、ユタンが尖鋼翼と呼んだ召操型の貌霊だった。
『閣下、目標を発見しました! 現在追跡中です!』
「よくやった。――聞いたな? 一隊はただちに応援に向かえ!」
尖鋼翼の報告を受け、即座に指示を飛ばすユタン。
尖鋼翼はすぐさま詳しい案内に向かおうとするが、カロンの問いかけがその動きに割り込んだ。
「失礼、僕の弟子は少女に同行していますか?」
『いえ、一人です。間違いありません』
尖鋼翼を通しての兵士の答えに、カロンはうなずいて礼を返す。
用は済んだと見たのか、尖鋼翼は一隊の先導へと戻った。
(アルは合流していない――か。さて、どうしたものかな。
穏便に聞き出せる情報はあらかた引き出したはずだし、これを理由に別行動を進言して側を離れた方が、後々動きやすいかな?……いや、けれどもそうすると、いざというときに出遅れる可能性もある――。
そうだねえ、ここは、同行できていることを最大限に利用して、どんなものであれ、伯爵殿が事を成そうとする直前まで、側で行動を見極めた方が賢明、かな……)
「……フム。少女に同行していないからと言って、油断はできませんねえ。
あの子のことです、伯爵を一点集中で狙ったときのように、隠れて好機を窺っている可能性も充分ありますから。警戒は怠らない方がいいと思いますよ」
自らのこの先の行動を決める、わずかな自問自答の時間を、すんなりと別の思考によるものに見せかけるカロン。
一方、それに気付いたのかどうか――ユタンは特に問いただすこともなく、カロンにうなずき返した。




