10.対峙する師弟
――少女が歩を進める。
小さな靴音が、反響して幾重にも広がり、少女のもとへ戻ってくる。
――さらに、歩を進める。
反響した靴音もまた、戻ってくる――まるで彼女を、責めるように。
「………どこ………」
東へと進み続けたピュティアは、やがて廃都の街路を抜け、見上げるほどに大きな門をくぐり、その先に現れた宮殿のような、明らかに他とは異なる建物にまでやって来た。
しかし……。
「……どこなの……」
――まだ、見つからない。求めているものに、出会えない。
不安が募る。……だが、足は止まらない。
こっちだ、と自らの内で言葉にならない何かが告げるたび、戸惑う理性を引きずって、足はまた前に一歩を踏み出していく。
天井だけが妙に高い回廊に、靴音が止むことなく反響する。
入り込んだ宮殿のような場所は、材質そのものからして廃都を形成していた石材とは違うのか、肌寒ささえ感じる、無機質極まりない空気を生み出していた。
その冷たさがまた、靴音の響きに不穏な気配を付け加え、ピュティアの不安を煽り立てる。
それは彼女には、まるで人の声のように聞こえていた――嘲る声、苛む声……自らを責めるいくつもの声に。
しかし逃げ出そうにも、足を動かせばそれだけ、浴びせられる声は増える。だから彼女は不安を抱いたまま、何かに背を押されるまま、ただ前へと進んでいく。
やがてピュティアの前に現れたのは、円形に大きく開けた広間。
そして――その中央に空いた縦穴と、穴に沿ってさらに下層へと続く螺旋階段だった。
「……あ……!」
螺旋階段を前にした瞬間、彼女は一層目の溜め池のことを思い出す。
あのとき、何かが彼女だけに、形のない声で『開く』と言った。そしてそれは、今も彼女を導くものと同じだと……そう感じたのだ。
いや、そもそもこうして導かれるようになったのはいつからだっただろう。
こうしてあらためて気付いてみれば、もうずっと――いつからとはっきり分からないぐらい前から、ずっと、内なる何かが手を引き、背を押していたように思えてくる。
そして――。
ようやく彼女は、自分の中でくすぶる不安の正体に気が付いた。
――自分が捜し、求めているのは何なのか。この先で出会えると、予感めいたものが告げるのは本当に彼なのか。それとも……?
「……アル……。アル……っ!」
心の内が――自分自身が、分からない。その疑念こそが、不安そのものだった。
だが今の彼女に、語りかけてくる形のない声以外に、すがるものなどなかった。いや、自らに疑念があり迷うからこそ、その疑念の根幹でありながらも、しかし明確に道を指し示す導きに、身を委ねざるを得ないのか。
ただ一度だけ、何があるわけでもない後方を、後ろ髪を引かれるような思いで振り返ってから――。
ピュティアは、ゆっくりと……深淵へ続く階段に、一歩を踏み出した。
*
(くそ、ピュティア……!)
――地下都市の街路の果て。
城門跡らしき大きな門を越えた先で、瓦礫の一つに身を隠しながら、アルファートは前方の様子を探っていた。門のはるか先には、もとは王城らしい巨大な輪郭が、ぼんやりと暗闇に浮かんでいる。
その手前には、恐らく離宮と思われる立派な建物があり、まずそこまで行くには、もとは巨大な内堀だったのだろうが、今は水がないか極端に少なくなって巨大な亀裂のようになっている空洞、その上に架かる広く立派な石橋を渡るしかなさそうだった。
そして、今アルファートが隠れている場所から石橋へと至るまでの、かつての前庭らしき場所には、これまでピュティアを追い続けていたミルドアークの兵士たちが、思い思いの武器を手に、周囲を警戒している様子が見て取れる。
(奴らが、ピュティアを……!)
息を潜めて様子を窺いながら、アルファートは拳を固く握り締めていた。
――アルファートが目覚めたとき、そばにピュティアはおらず……ただ、水がたっぷり詰まった水筒と、彼自身何かの機会に見た覚えのある、毒に効くという白い薬草が落ちているだけだった。
そのくせ、治療を受けたように身体から毒は抜け、傷も癒えていた――それらの事実から彼は、薬草と水を見つけて戻ってきたピュティアが、ちょうどそのタイミングで現れた追っ手に捕まったに違いないと踏んだ。
きっと、傷を負い、毒に苦しむ自分を助けるのを条件に、追っ手に素直に従うのを約束したのだ――と。
――あれだけ自分を助けることに必死になってくれていたピュティアだ、そんな選択をしてもおかしくない……。
そう思い至ればなおのこと、自分の不甲斐なさに悔しがる時間ももったいないとばかり、アルファートは走り出していた。
そして、ミルドアーク兵の痕跡を探し、その後を追って――ようやくこの城門近辺で追い付いたのだ。
(! あれは……!)
多くの兵士たちの中にピュティアの姿を捜していたアルファートは、前庭の奥、石橋のたもとの辺りに、他より目立つ人物がいるのを見つける。
細部の違いはあれ、それなりに画一的な実戦仕様の防具をまとった兵士たちとは明らかに違う、壮麗さを重視した儀礼的な造りの装備を身に付けたその人物は、若いながら、何人もの兵士に指示を出しているところから、彼らのリーダー――それも国では高い地位にあることは明白だった。
(あれが、兵士たちが言っていた『閣下』か……!)
今なら奇襲をかければ、取り押さえることも可能だと思えた。
拘束する上で最も使い勝手のいい短剣は今手もとにないが、素手でもできないわけではない。
(それに、いざとなれば……)
アルファートは、爪先を立てるようにして、すばやく強く踵を跳ね上げ、すぐさま下ろす。――すると、金属製のすね当ての裏から膝の方へと、鋭い針のような刃が突き出された。
万が一のときのためにと、すね当てに仕込んである暗器だ。
(使わずにすむなら、それが一番だけど……)
同じ動作を繰り返して暗器を戻し、アルファートはあらためて注意を『閣下』へと向ける。
(拘束すれば、ピュティアを解放するよう取り引きできるはず。でも、その後は……?)
今すぐ、ここで仕掛けるべきかどうか――思考を巡らせるアルファート。
しかし、その答えが出る前に、彼の背後で何者かが声を上げた。
「お、お前はっ!」
気付けば、死角から瓦礫を迂回して来ていたらしい兵士が、驚きに目を見開いて彼を指差している。
「くっ――!」
見つかった――そう思った瞬間には、アルファートの体は動いていた。
応援を呼ぼうとしていた兵士の顎を蹴り上げ、一瞬のスキを作ってから、瓦礫に手を掛けて飛び越えると、他の兵士が異変に気付く前に、一気に目標であるリーダーの青年――ユタンのもとへと疾駆する。
「な――っ!」
ユタンが気付いたときには、すでにアルファートは彼に肉薄していた。
そして、反射的にユタンが抜剣しようとしたところを、刃が鞘から抜けきらないうちに柄頭を蹴りつけて押し戻し、動きを封じると、間髪容れず顎に掌底を叩き込む。
「ぐっ……!」
よろめくユタン。
そこへ、アルファートはさらに腹部に肘打ちを入れ、上体をまるで自分に負ぶさるような格好で前のめりにさせると、自らの肩にその頭を固定し、腰から背中を勢い良く跳ね上げた。
固定された頭を中心に、ユタンの体は宙に円を描き――背中から地面に叩きつけられる。
身構える余裕もなく投げ倒されたユタンは、衝撃に一瞬ながら、完全に動きを止めた。
その空白の時間を使って、アルファートは周囲の兵士が動くより早く双剣を一振り抜き放ち、切っ先を倒れたユタンの喉に突き付けるや、兵士たちを「動くな!」と一喝した。
「ま、まさか、そちらから現れるとはな……。だがなるほど、見事な体術だ、少年」
苦痛に顔を歪めるのもわずかの間、ユタンは余裕をもってアルファートを見上げる。
しかしアルファートは何ら動じることなく、辺りの兵士の動きを視線で牽制しながら、自らの要求を口にした。
「ピュティアはどこだ。あの子を解放しろ!」
「……なに……?」
怪訝そうに眉を寄せるユタンだったが、やがて、声を上げて笑い出した。
「残念ながら、それはできない相談というものだよ。
――なにせ、彼女は我々のもとにはいないのだから」
「――! でたらめを言うな!」
一瞬の動揺を悟られまいと、アルファートは語気を強める。
しかし、ユタンの態度は揺らがない。
「本当だとも。我々も、彼女を捜している最中なのだよ……君と同様にな」
「それを信じろって言うのかっ?」
「なら、私を人質にして辺りを探してみるといい。それとも、手っ取り早く拷問にでもかけてみるか? どちらでも、結果は変わらないがな」
「……そんな、それじゃあ……」
アルファートは混乱していた。
ユタンは嘘をついているようには見えない。なら、ピュティアはどこへ行ったというのか。薬草まで手に入れておいて、それを置き去りにしたまま、どこへ……。
――心の惑いは、わずかなスキを生んだ。
そして、その生じたスキに――甲高い金属音が割って入った。
「――ッ!」
後方――石橋の方から飛来した何かが、アルファートの剣を弾き、ユタンの喉もとからその切っ先を大きく逸らしたのだ。
この好機を逃さず、ユタンはすばやくアルファートの足下から離れて立ち上がる。
「……詰めが甘かったな、少年」
ユタンの無事を確認した兵士たちは、いっせいに銃弓を構え、四方八方から思い思いに狙いを付けた。
「くそっ、まさかこんな……!」
逆に動きを封じられ、歯噛みするアルファート。
そんな彼の足下に、鈍く銀色に光る物体が転がっていた。今しがた剣を弾き、彼の邪魔をした短剣だ。
その短剣は、見覚えがある――どころか、触らずとも指が感触を感じられるほどのものだった。
「これは、ぼくの――」
「せっかくプレゼントした物なんだから、今度は落とさないでほしいねえ」
その場に響いたのんびりとした声に、アルファートは弾かれたように石橋の方へと視線を向ける。
そして――信じられない、という驚愕の表情のまま、ぽつりとつぶやいた。
「……し、師匠……?」
「いつも先を行ってるみたいだからって、ムリを言って先行させてもらったら、まさか今度は後ろから来るとはねえ。いや、そんな期待の裏切り方はしなくていいんだけどなあ」
やれやれと大げさに肩をすくめながら薄闇の中から現れたのは、アルファートには見間違えようもない、彼の師、カロンの姿だった。
「しっかしねえ、アル? 僕はこんなドへんぴな所を待ち合わせ場所に指定したつもりはないんだけどねえ。変更するにしたって、未踏の地下遺跡のまっただ中とか、マニアックにもほどがあるってモンだよ。
まかり間違っても、女の子をデートに誘うとき同じミスはしないようにね。……いやでも、そんな、何の試練かって難題をクリアできるほどのコなら、ぜひともお嫁さんにって感じなのかな。んー、いやいや、それにしたって限度ってものが――」
いつもの調子で語るカロンだったが、アルファートの耳にはまるで届いていなかった。
「ど、どうして師匠が、ここに……それも、ミルドアークの兵士と一緒に!」
「ん? それはまあ、この人たちに協力しているからさ――」
カロンの雰囲気が一瞬にして、まるで別のものに変化した。
敏感に察知したアルファートは、背筋にぞくりと冷たいものが走るのを自覚する。
「アル、ちょっとばかりヤンチャが過ぎる君を捕まえるために……ね?」
「な――っ」
絶句するアルファート。
しかしすぐさま沸き上がってきた怒りが、カロンに感じていた畏怖を払い除け、言葉となってほとばしった。
「バカなことを言わないで下さい! こいつらは自分たちの目的のために、罪もない子をさらうような連中なんですよ!」
「……では聞くけどね、アル。君はこの人たちの目的を知ってるのかい?」
「! それは……!」
諭すようなカロンの言葉に、アルファートは口ごもる。
その雰囲気やピュティアの話から、良からぬことを企んでいる、という認識はしているものの、具体的にそれがどういうものなのかと問われれば、答えられるはずもなかった。
「いいかい? アル。彼らミルドアーク聖礼軍は、古代の人間が地下深くに封じたという厄災から、サイメルを守るために行動しているんだ。そして、君とともにいた少女は、その厄災へと至るという『鍵』を持っているんだよ」
「――付け加えて言わせてもらうなら、我々はあの娘をさらったわけではない。保護したのだよ――村が盗賊によって焼き討ちに遭い、皆殺しにされるところをな。どうも誤解されているようだが」
カロンの後を継いで言葉を紡ぐユタン。
彼らの言う『鍵』という単語には、アルファートも思い当たる節があった。しかし、だからといって彼らを正当化するものではないと、とっさに反論する。
「でも、厄災なんてピュティアは望んでいない! あの子はただ、家族のもとへ帰りたいだけなんだ!」
「本人の意思の問題ではないのだよ。『鍵』は厄災に導かれる。現に、今まで自分を守ってきてくれた味方のはずの少年、君の前からも姿を消しているじゃないか? だからこそ我らは、あれを保護するために全力を尽くしているのだ――そう、場合によっては邪魔をする君を排除してでも、とな」
「…………」
アルファートは口をつぐんで押し黙る。
うつむき加減のその表情は、落胆しているようで――同時に、静かに何かを覚悟しているようでもあった。
「……ああ、そうそう、ところで伯爵。この先、あの王城らしき場所への橋は崩落していて進めそうにありませんでしたが、そこの離宮らしき建物の中で、下りの螺旋階段と小さな足跡を見つけましたよ。
――やはり彼女は、さらに下層へと進んだようですねえ」
カロンの報告に、ユタンは小さくうなずき、アルファートを見やる。
「そうか、ご苦労。――さて、剣聖殿。手際よく……とは言い難いかも知れないが、こうして弟子も無事に保護でき、貴公の目的も――」
「無事に保護、ですか。――さて、それはどうでしょう」
ユタンの発言をさえぎるカロン。
その視線は真っ直ぐ、アルファートのそれと交わっていた。
「――師匠。どうあっても、この人たちの味方をするんですか」
「ああ。僕は彼らのことを信用しているし、弟子の行動が、サイメルの人たちを危険にさらすというのなら……それを止めるのが、師匠としての責任だからね」
「……そうですか。でもぼくは――ぼくはやっぱり、この人たちを信用できません。
それに、約束したんです、あの子と。……必ず、助けるって。だから――」
カロンを見据えたまま、ゆっくりと、もう一方の双剣も抜き放つアルファート。
臨戦行為と取れる行動に、周囲の兵士たちは銃弓を構え直すが、ユタンが腕を伸ばしてその動きを制した。
「師匠が、ぼくの前に立ちはだかるというのなら。――師匠、ぼくはあなたを退けてでも……先へ進みます」
「そう。ところでアル――昨日僕が酒場で言ったこと、覚えているかな?」
どこか楽しそうに笑いながら――カロンもまた、双剣を抜き放った。
「そう、剣を振るう理由――。今の君には、見えてきているんじゃないかな?」
「たった一つ。あっけないほど単純で、簡単なものなら」
「それでいい。……実は僕、君とこうやってちょっとばかり本気で戦う日を、楽しみにしていたんだよねえ」
ゆらりとカロンが構えを取る。
同時に、裂帛の気合いとともにアルファートは地を蹴った。
――地下の空洞に、凄絶な金属音が響き渡る。
「んー、気合いの乗ったいい打ち込みだ。期待通りで嬉しいね。
ところで、その血の跡、結構な出血だったようだけど、傷は大丈夫かい? 毒は?」
双剣と双剣、合わせて四つの刃が互いにぶつかり合い、火花を散らす鍔迫り合いの中、カロンは問う。
「心配には……及びません……っ!」
「ふむ……確かに大丈夫そうだね。良かったよ、そうじゃないと――オジサン、張り合いがない」
カロンは満足そうに微笑んだ――かと思うと、アルファートの呼吸から、その力がわずかに乱れる刹那の瞬間を見切り、必要最低限の動きと力だけで鍔迫り合いの拮抗を崩して、アルファートを押し返す。
そして間髪容れず、体勢の崩れたところに鋭い前蹴りを喰らわせて弾き飛ばした。
「断罪騎はどうしたんだい? アル。僕のことは気にしなくていい、使え。良いハンデだ」
「……分かりました」
アルファートは意識を集中させ、断罪騎を顕現、その身に絡鎧する。
先の限界使用から、まだ精神がその活力を回復していないのではないかと一瞬危惧するものの、それはまったくの杞憂であると言わんばかりの安定した力が、彼の中にみなぎっていた。
「はああああっ!」
石橋の上を風を切って突進する断罪騎。迎え撃つカロン。
刃のみならず、足や拳といった体のあらゆる部位を利用する、壮絶な技と技の流れるような交錯――甲高く響く金属の叫声を背景にしたそこへ、白く燃える刃と銀に輝く刃の閃き、闇に咲き乱れる赤と橙の火花、そして軌跡を刻む青くきらめく残像が、目もくらむような彩りを添える。
やがて――。
貌霊の有無による純粋な力の差が現れ始めたのか、カロンがじりじりと後退を続け、石橋の中央辺りまで至ったところで、四つの刃は再び真っ向からの鍔迫り合いへともつれ込む。
「たった数時間のうちに、ずいぶんと腕が上がったんじゃないかい? 今まで何度も手合わせしてきたけど、一番いい動きだよ……! 気迫の問題、かな……っ?」
「退いて下さい、師匠……ッ! ぼくはあの子を……助けなきゃならないんだ――ッ!」
断罪騎の、兜のような装甲の奥で光るアルファート本人の瞳。その強い光を真正面から受け止めながら、カロンは不敵に微笑む。
「それは本心からの言葉? それとも――罪滅ぼしのために、かい?」
「――っ!」
明らかな動揺を見せるアルファート。カロンはそのスキに断罪騎の双剣を払い除け、鍔迫り合いを打ち切った。
「やっぱりねえ。もしかしたらと思ったけど、まだ揺れてるのか」
「そんなことは……! ぼくは、ぼくはピュティアを――!」
ピュティアはあのとき――彼が自らの心情を懺悔のような形で吐露したとき、何も悪くはないと――ちゃんと彼女自身を見てくれていたと言ってくれた。
しかし、自責の鎖は、いまだその心を素直に受け取ることを拒んでいた。彼は明確な言葉を形にすることができず、断罪騎と同化したその中で、唇を噛む。
カロンは小さく首を振った。
「やれやれ、まったく、頑固というか生真面目というか鈍いというか。――皮肉にも第三者にはよく見えるんだけどねえ。しかしそうか……今はこれ以上は期待できない、かな」
「………!」
「まあいい。そうだね、そろそろ終わりにした方がいいかな」
カロンの体が、ゆらりと揺れた――。
アルファートが、断罪騎との絡鎧によって感覚が増大している彼が、たったそれだけを認識したその瞬間。
辺りの空気を、その流れを――空間ごと断ち切るような、神速の凶刃が閃いた。
「――――!」
――見切ったわけではない。そもそも、見切れるようなものではなかった。
ただ、経験に裏打ちされた勘と本能に従うような、ほとんど無意識の動きで、断罪騎は正確に首を落としにきていた斬撃を受け止める。
貌霊を絡鎧している以上、食らったところで本当に首が落ちることはない。しかしそれほどのダメージを受ければ、昏倒程度ですまないのは目に見えていた。肉体は無事でも、精神が砕け――何ら変わりのない、明確な死を迎えるだろう。
自分という存在を、不意打ちのように、見えない場所から触っていった死――。
その果てなく深い冷たさに、普段の実戦でもほとんど感じたことのない類の恐怖が、アルファートの心中でそろりと鎌首をもたげようとする。
「う――あああっ!」
しかし、それを認めればすべてが終わるのは分かっていた。
だから彼は、余計な思考をかなぐり捨てようと、腹の底からの雄叫びで自らを奮い立たせ、恐怖そのものを斬り払おうとするかのごとく、猛然と反撃をしかける。
明らかに、手数で勝っているのは断罪騎だった。
しかし、その攻勢の合間に繰り出される、一手一手がまさしく必殺の威力をもったカロンの反撃が、断罪騎を徐々に押し返し――やがて、欄干もない石橋の端へと追い込んだ。
「く……そ……!」
正面からの交差一閃を受け止めながら、アルファートはちらりと背後を確かめる。
菌類の光の届かない闇が、そこには大口を開けて待ち構えていた。
反射的に、落ちるのを恐れて、受け止めた双剣を身体ごと押し返そうとする――その瞬間。
「……さよならだ、アル」
断罪騎が前傾姿勢になったところを狙い澄まして、カロンは膝を跳ね上げる。
その膝頭には、短くも鋭い、針のような刃が光っていた――いざというとき、超接近戦で使用するため、アルファートのそれと同様、すね当てに仕込まれていた暗器だ。
「――――!」
実践はほとんどしたことがないが、それでも知っていたからこそだろう、断罪騎はすんでのところで勢いを殺して踏み止まる。
だが、しかし――その動きまでもがカロンの計算の範疇だったことを、アルファートは師の表情から理解した。
無理に動きを制止したせいで不安定になったところを、カロンはもとより当てるつもりなどなかった膝、その膝から下をするどく振り抜き、断罪騎の胸元を蹴り飛ばす。
「あ―――」
ふわりと体が浮くのを、アルファートは他人事のように自覚していた。
このままでは落ちる――と、何とか体勢を持ち直そうとする。
しかし、カロンがそれを甘んじて許すはずもなかった。彼は額がぶつかるほどに肉薄し――そして肩でドン、と……断罪騎を虚空へと押し出した。
「師……匠――っ!」
何かを問うように名を呼び、思い切り手を伸ばして――。
しかし何をつかむこともできず、蒼穹の騎士は、無限の広がりを見せる暗黒へと吸い込まれていった。




