↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双剣戦記 -泡沫の揺籃-  作者: 八刀皿 日音
二章  思いが、路が、交わる遺都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/34

8.その面影に


 ……暖かく、柔らかな初夏の陽射し――。

 ……優しく、涼やかな早朝のそよ風――。

 清楚な色調の部屋、清潔なベッドの上でそれらに抱かれ、そしてそれらを抱いて身を横たえる静かで――しかし穏やかな明るさを感じる姿。

 その姿が、少年にとっての母の肖像だった。

 ――かあさま、かあさま。

 少年はベッドに駆け寄り、背伸びをしてベッドを覗き込む。

 その黒く大きな瞳は、きらめく陽光を受けてなお一層無垢に、あふれる好奇心を隠そうともせず美しく輝いていた。

 ――あらあら。そんなに騒いだら、アネットが起きちゃうわよ?

 母はくすりと笑い、腕の中ですやすや眠る赤ん坊の頭をそっとなでた。

 少年は今にも口を突いて出そうだった、えー、という大声をあわてて両手でふさいで抑え、あらためて小声で不満をもらす。

 ――え〜。やだよ、アネットおきるとうるさいんだもん。

 ――赤ちゃんは泣くのが仕事だもの。それとも、アネットのことはキライ?

 少年は大声の代わりに首をぶんぶん横に振る。

 そして、恥ずかしそうにうつむき加減につぶやいた。

 ――……スキだよ。ねてるとかわいいし、いもうとだもん。

 優しく微笑み、嬉しそうにうなずく母は手を伸ばすと、ゆっくりと丁寧に、少年の頭をなでる。

 ――そうよ。あなたはわたしの愛しい息子。そして、この子はわたしの愛しい娘。だからあなたたちは兄妹なの。何があろうと……家族なのよ。

 ――うん。じゃあぼく、やくそくするよ。アネットはぼくがまもるって、やくそくするよ。かあさまやとうさまがいないときでも、ぼくがまもるって。やくそくするよ。

 ――うん。約束ね。ありがとう……アル。



 ――そうだ……母さんとの、約束。なのにぼくは、アネットを……。

「違う。違う……。それがアネットのためだって、ぼくは……」

 それが自分の発した声だと、アルファートはすぐには理解できなかった。

 頭がぼうっとして、起きているのか寝ているのか、夢か現実か、境界線がぼやけ、思考が定まらない。

 だがそんな状態を、いやに間近で聞こえる少女の声が、一気に覚醒へと導いた。

「アル、アル……だいじょうぶ? おきた?」

「ピュ、ティア……?」

 声がずいぶんと間近に聞こえたのも当然のことだった。

 アルファートはいつの間にか、ピュティアにおぶさるような格好になっていたのだ。そしてそのまま、ずるずると引きずるように運ばれていた。

「アル、たおれたから。でも、ピュティアじゃ……おんぶ、できなくて」

 ふうふうと息を継ぎながらピュティアは話す。

 アルファートがいかに華奢といっても、男の体だ。しかも年齢による体格の違い、さらには双剣のような装備の重量もある。たとえ引きずるだけでも、幼い少女には相当な重労働であることは明白だ。

(つまり、ピュティアは……毒のせいか疲労のせいか、何にしても一時的に意識を失ったぼくを助けて……?)

 事態を把握したアルファートは、ピュティアをいち早くこの重苦から解放しようと、全身に力を込め、手足を動かそうと試みる。

 しかし、恐らくは毒によるものだろう、全身を襲う強い痺れは、鎖でがんじがらめにされたかのように、彼に一切の自由を与えない。

「い、いいんだよ、ピュティア……もう、降ろしても。嬉しいけど、重いよね……?」

「ダメ。アル、おろしても、うごけない」

 ピュティアは怒ったような口調で拒否し、一歩、また一歩と歩みを進める。

「大丈夫……ぼくなら少し休めば、また動けるようになるよ。だから、ピュティア――」

 一瞬言い淀んで、アルファートは唇を噛む。

 かろうじて自由の残る口もとに、悔しさや情けなさといった感情が集中したのだろう、必要以上に力がこもり、血がにじんだ。

「ぼくを置いて……キミだけでも、先へ進むんだ。このままじゃ、追い付かれる……。でも今のぼくじゃ、キミを守って戦えないから……」

「ダメ……アルも、いっしょ」

 ピュティアは首を振った。長い黒髪の一部が、アルファートを叱るように顔を打つ。

「不安、だろうけど……。大丈夫だよ、さっき言ったみたいに、ぼくも……少し休んで動けるようになったら、すぐに……後を追うから」

 アルファートは、つとめて明るく声を絞り出す。

 だがその提案の実現が容易でないことは、誰より彼本人がよく分かっていた。

 体の状態から鑑みるに、この毒は相手の自由を奪うことが目的の致死性の低いものらしいので、時間とともに回復する可能性は充分あるだろうが――しかしそれは、数時間、あるいは数日という長い期間じっと体を休めていられれば、の話である。

 一応、砂嵐と魔物の群れによってそれなりに追っ手の足止めはできているはずだが、それだけで、毒が抜けるほどの時間を稼げているとは到底考えがたい。

(けど、だからって……あきらめちゃダメだ。完全でなくとも体が動いてくれるなら、うまく立ち回れば何とか戦えるはずだし、追っ手が携帯している薬を奪うことだってできるかもしれないんだ……。そうだ、あきらめるな……)

 毒と疲労両方によるものだろう、熱っぽくぼうっとする、ともすればまたふっと意識を失いそうになる自分を必死に叱咤し、アルファートは決意を固める。

 そしてもう一度、彼はピュティアに自分を置いて先に行くように促すが、やはりピュティアは首を横に振った。

「ピュティア……お願いだから。今のぼくじゃ、とてもじゃないけど……キミを助けながら戦う余裕は……ないんだ。だから――」

「ダメ。アル、たすけるの。ピュティアが。……たすけるの」

 そう主張するピュティアの声には、アルファートが驚くほどに力が込められていた。

「どうして……。どうして、そんなに……」

「だって、アル、たすけてくれたから。……はげまして、まもって、たたかってくれたから。ピュティア、しらないこなのに、ずっと、たすけてくれたから。

 だから……こんどはピュティアのばん。ピュティアが、アル、たすけるの」

 ふうふうという荒い呼吸を交えながら、しかしピュティアの言葉には何の揺らぎも――迷いもなかった。

「ピュティア……」

「アルは? どうしてたすけてくれるの? ピュティア、まだきいてない」

 すぐ横にあるアルファートの顔、その目をじっと見据え、ピュティアは尋ねる。

 ……地下に下りてすぐのころ、まったく同じ質問をされて、しかし答えるヒマがなかったことをアルファートは思い出す。

 そして、あらためて答えるべきかを再び思案した後、やがて彼は、ピュティアの真っ直ぐな瞳に押し切られるように、意を決して口を開いた。

「ピュティア、ぼくはね……キミに、アネットの――妹の面影を見たんだ」

「……にてるの? ピュティアと」

「年格好は……同じぐらいだね。でもね、そういうことじゃ……ないんだ」

 アルファートは自分の胸の奥の奥が、ちくりと痛むのを感じた。

 それは毒によるものではない――大して痛いわけでもないのに、むしろ毒やケガよりずっと苦しくなる――そんな痛みだ。

「……言ったよね、ぼくが……妹を置いて家を出たこと。それは、自分で決めた――こうした方がいいんだ、って決めたことだったけど……でも、ぼくは……今でも、それで本当に良かったのか、迷ってる……いや、後悔してるんだ。

 ――そう、約束だったのに……母さんとの。アネットを守るって……ぼくが守るって、約束したのに、ぼくは……!」

「アル……」

「だから――ゴメンよ。きっとぼくは、心の底から、キミを……助けようとしたんじゃない。

 妹を重ねたキミを……助けることで、妹を、置き去りにした……その罪滅ぼしになるんじゃないかって……心のどこかで、考えてる。

 そう、何よりもまず……自分の中の後悔を、どうにかしたかっただけなんだよ……」

 荒い息の下、吐き捨てるように言って、アルファートは目を閉じる。

 ――あらためて口に出してみると、それは一層の自己嫌悪を呼び起こした。

 これまでのピュティアに対する言動、そして助けたいという思い、それらすべてがどうしようもなく白々しいものに感じられて――いっそ、こうしているうちにまた意識を失い、愛想をつかしたピュティアが置き去りにしてくれればいいのに、とさえ思う。

 だが、ピュティアはそれを首を横に振って、即座に否定したようだった。

 また彼女の黒髪が、今度は起きろと言わんばかりに、閉じたまぶたを打つ。

「そんなことない。アル、わるいことしてない」

「――ピュティア……」

 アルファートは目をまたたかせて、すぐそばにあるピュティアの顔を見る。

 そこにあったのは――これまで彼女が見せてきたものとは明らかに何かが違う、穏やかで柔らかく、暖かく、そしてどこまでも優しい……慈しみをたたえた表情だった。

「アル、ちゃんとみてくれてた。ピュティア、ちゃんとみてくれてたよ、ずっと」

 ピュティアのその言葉は、アルファートの胸の痛みに、直接、そっと手を当ててくれるかのようだった。

「……あ――。ありがとう、ピュティア。ありがとう……」

 アルファートは、ありがとうと何度も繰り返す。このときばかりは、自分が弟で、優しい姉に慰められているような――そんな気がしていた。

 そのとき――唐突に、ピュティアの膝がかくんと崩れた。

「ピュティア――っ!」

 転ぶ、と瞬間的にアルファートは理解したが、反応しようともまともに動かない手足では、倒れるピュティアを抱きとめて守るどころか、自分の姿勢を整えることすらできず、少女の小柄な体を押し潰すような形で無様に倒れ込んだ。

「ピュティア、大丈夫……っ?」

 自身も石畳にしこたま頭を打ちつけたが、それよりも下敷きにしたピュティアを早く解放しなければと、アルファートは不自由な四肢にありったけの力を込め、何とか寝返りを打って体をどかせる。

「うん……ピュティア、だいじょうぶ……」

 勢いあまって、というよりは、力が抜けて、という転び方だったおかげだろう。

 ピュティアも特にケガらしいものはなく、服の土ぼこりをはたき落としながら、ゆっくりと立ち上がる。

 しかし、さすがに人一人を運ぶ重労働に限界が来たらしく、大丈夫と告げてからしばらくの間、両膝に手を置いて大きく肩で息をしながら、必死に呼吸を整える。

「アル、ごめん……いたかった……?」

「ぼくは、大丈夫……だから。それより……ピュティア、これ以上は無理だよ……もういいから、今はとにかく、先に行くんだ……」

「……アル、いったよ……あきらめない、って。だから、ピュティアも、あきらめない」

 ふうふうと息を継ぎながらなおも頑固に拒否するピュティア。

 しかし、そうかと思うと彼女は、何かに気を取られたらしく急にふっと顔を上げ、きょろきょろと首を動かした。

「……みずのおと、する……」

「水音……?」

 アルファートもできる限り耳を澄ましてみるが、無防備に頭を打ったショックか、毒の影響の一つか、鈍い耳鳴りのようなものがして、とても遠くの音など拾えそうにない。

「うん。たぶん、あっち」

 方角で言えば南と思われる方向を見、指さし、そして何か思いついたらしくピュティアは一人うなずいて、仰向けで倒れたままのアルファートに近付き、その体をよいしょよいしょと引きずって近くの民家跡らしい石壁にもたれかけさせた。

「アル、まってて。みずのところ、いってくる。おじじとおばば、おしえてくれたから、ピュティアも、やくそう、わかるから。おみずと、やくそう、とってくる」

「え……あ、待って、ピュティア! ピュティアっ!」

 ピュティアはアルファートのベルトから空の水筒を取ると、制止の声に耳を貸さず、南へ向かう街路を駆けていった。

 後を追おうにも体は満足に動かず、小さな背中は赤いリボンを余韻に残して、あっという間に薄闇の向こうに消えてしまう。

(どうする……?)

 ――置いて行かれるのは構わなかった。そもそもそう望んでいたのだから。

 しかし、ピュティアが戻る気でいるとなると、話はまるで変わってくる。追い付いてきた追っ手と鉢合わせになったりすれば、一緒にいるときに見つかるよりも状況は悪くなりかねない。

 だが、ピュティアの行動も決して間違いとは言えなかった。決して確率は高くないだろうが、首尾良く解毒作用、あるいはそれに準ずる効果をもった薬草が見つかれば、状況はずっと好転するのだ。

(這ってでも後を追うか……? いや、それならひと思いに断罪騎(ダンザイキ)を絡鎧(ユナイト)して駆け抜けた方が……。

 でもそれで、合流する前に、変なところで維持に限界が来たりしたら……。

 けどそれなら這っていくのも一緒だし、むしろこのまま待っていた方が……いや、ダメだ、それじゃ最悪の場合……ああ、くそっ――!)

 アルファートは舌打ちする。

 耳鳴りはどんどんひどくなり、内側からの脈動する頭痛が思考を妨げていた。

 何とか動いてくれた左手で頭を抑え、息を整えようとするが、いつしか平衡感覚まで異常をきたしたらしく、波打ち、歪む視界に目が回り始める。

(ダメだ……このままじゃ……)

 もはやピュティアの後を追うどころではなくなっていた。

 今にも切れてしまいそうな意識の糸をただ必死に繋ぎ止めることしかできず、苦悶するアルファート。

 その視覚も聴覚もまともに機能しなくなり、意識も混濁とし始めた状況で……しかし彼は本能によるものか、自分に近付く気配があることを感じ取った。

 ――そしてそれが、決してピュティアではないことも。

(まずい、今は……このまま、じゃ――)

 もはや見えているとは言えない状態の目を、その方向へ向けるアルファート。そうして、ぼやけた視界に、かろうじて人影を捉えるが――

(だれ、だ……?)

 その正体を判別しきる前に、彼の意識は、引きずられるまま闇へと沈みこんでいった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。