5.生い立ち
何とか追っ手を振りきったアルファートたちは、方向感覚とコンパスを照らし合わせながら、ひたすら東へ――もとは都市の中央部らしい方角へと、移動を続けていた。
上層から降り立った塔の周辺はそれほどでもなかったが、現在彼らがいる場所は、かつて天井を形成している地盤がはがれ落ちたりしたのだろう、土砂が積もり、小山のようになって道を塞いでいる所がいくつもあった。
それを、ときに迂回し、ときに崩れかけた建物を足場にして乗り越えたりしながら進んでいた二人はしかし、続いて現れた障害に、しばし足を止めてしまう。
彼らの眼の前には、見渡す限り広々と、小山どころではない高さにまで積み上がった土砂が、それこそ壁となって行く手をさえぎっていたのだ。
「アル……これ、のぼれない……」
「うん、そうだね……登るのは危険だと思う。あとは……」
周囲の様子を調べ、やはり土砂の山があったり、大きな亀裂があったりで、迂回するのも楽ではなさそうなことを確認すると、アルファートはその山になかば埋もれた形で建っている、もとはそれなりに大きなものだったらしい建築物へと向かうことにした。
「……どうするの?」
「うん、これだけの土に埋もれながら形を保ってるってことは、向こう側へ抜けられる通路なんかもまだ残ってるかも知れないからね」
まるでここを通れと言わんばかりに口を開いた、アーチ型の入り口をくぐる二人。
幸いにして光る菌類はここにも生えていて、特に明かりを点けなおしたりする必要はなさそうだった。
ぼうっとした光に照らし出された周囲は小さな部屋で、もとがどういった場所だったのかを推測するようなものは何ら見受けられない。
しかし、そんなことより今問題なのは、そこから内部を移動する通路が生きているかどうかだったが――。
「あ、アル、あれ! とおれそう」
前方を指差すピュティア。
その先、壁の一角に、肝心の東へと向かう廊下が見える。他の通路は崩落しているようだったが、幸いにも、そこだけは無事なようだった。
アルファートは「行ってみよう」とうなずき返すと、周囲への警戒は怠りなく、ピュティアとともにその廊下へ足を進める。
廊下は大人なら二人並ぶのがやっとという程度に狭く、体格のいい人間なら窮屈な思いをしそうだったが、アルファートたち二人はその点はさほど問題はなかった。
ただ、等間隔で空けられた窓枠の向こうがすべて土であることが示すように、完全に土中に埋まった場所にいるためか、この数時間ずっと地下にいるにもかかわらず、あらためて息苦しさのようなものを感じてしまう。
(……それにしても……)
光る菌類のぼんやりとした明かりが、廊下のずっと先まで続き、途中で塞がっている様子のないことに安堵しながら、しかしアルファートはふと疑問を覚えていた。
――塞がっていないのはおかしいのではないか、と。
かつて窓だった場所に、左右どちら側からも土が迫り出している以上、それが廊下の中にまでなだれ込まないはずがないのだ。……にもかかわらず、廊下の土砂は隅の方に少しばかり溜まっているだけで、通行に支障が出るほどのものはない。
(そういえば、初めに下りてきたあの塔も、中はほとんど土が溜まってなかった。土に覆われていたのが上の方だけだったから、そもそもこことは埋もれ方に違いがあるのかも知れないけど……やっぱり綺麗過ぎたような気がする。
じゃあ……もしかして、誰かが一度この地下都市を奥まで進んで、その上で一度戻って入り口を封印したってこと? 東岸と西岸を結ぶ秘密の通路を独占するために?)
口もとに手をやりながら、アルファートは考えを巡らせる。
(いや――そうじゃない。東西を結ぶ地下通路、それが意味をもつのは、東と西にそれぞれ別の国の勢力が及んでいるからだ。だから、サイメルがテメニアの首都だった二十数年以前じゃ、大した意味なんてないはず。
そして、その後この遺跡は誰にも発見されていなかったはずだし、現に誰かが足を踏み入れたような形跡はまるでない……多分、最低でも数十年は。
……ということは、つまり――この地下遺跡には、何か、他の秘密がある……?)
アルファートの視線は、自然と、いつの間にか彼を追い抜いて少し先を歩く、ピュティアの小さな背中に向けられていた。
(もし……もしも、だ。あのとき感じたように、ピュティアがこの地下遺跡への入り口を開くための、何らかの『鍵』だったのなら……何か知っているんだろうか。
いや、でも――よくよく考えれば、遺跡に封印が施されたのは間違いなくこの子が生まれるよりずっと前のはず……。
じゃあ、あれは偶然? 教国の兵士がこの子を追うのも、別の理由なのか……?)
眉間に皺を寄せてうなっていたアルファートは、ふと、ピュティアの髪に結ばれた赤いリボンがほどけかかっていることに気が付いた。
それが本当にただのリボンならまだしも、家族から送られた大切な宝物であることを知る彼は、あわてて少女を呼び止める。
「あ、待ってピュティア。――ああ、振り向かないで、そのままで」
「……アル、どうしたの?」
「リボンがほどけかかってるんだ。結び直してあげるから、ちょっとじっとしてて……」
アルファートはその場に膝を突くと、リボンを一度完全にほどいてから、あらためて以前と同じになるよう、頭の中でイメージしながら丁寧に結び直し始める。
「これはピュティアの宝物だろ? 早いうちに気付けてよかったよ」
「うん。ありがとう、アル」
「いいよ。――よし、できた。どうだい?」
アルファートに言われて、ピュティアはリボンの結び目に手を伸ばす。
「……おばばがやってくれたみたい。アル、じょうず」
「そう? よかった。よし、じゃあ行こうか」
立ち上がって歩き始めるアルファート。
何度かリボンの結び目をもてあそんだあと、駆け足気味にそのすぐとなりに並んだピュティアは、彼の顔を見上げながら尋ねた。
「アル。アルの、おじじとおばばは……?」
「ん? ぼくの……?」
言ってすぐ、アルファートは彼女の尋ねるところが、正確な意味での祖父母のことではなく、家族そのものを指していることを理解する。だが、
(いや……どちらでも同じか)
彼はどこか自嘲気味に笑うと、ぽつりと口にした。
「……知らないんだ、ぼくは。本当の家族のことは、なにも」
「…………?」
小さく首をかしげるピュティア。その頭にそっと手を置き、彼は静かに口を開く。
「ピュティアの生まれる前の話だから、知らないだろうけど。今から十五年ほど前に、大きな戦争があったんだ――」
――それは、現在では『罪賢戦争』の名で呼ばれる、人と魔との想像を絶する激しい争いだった。
大陸中央部に位置し、美しい湖と森を擁する穏やかな小国、サーラキール――そんな美しい国の君主にふさわしい、穏健で誠実、賢者の呼び名も高かった当時の国王ガーウェスが、突如、地獄の底より這い出したかのようにおぞましく、恐ろしく、凶悪な魔物の群れを率い、周辺諸国への侵略を開始したのがその発端だった。
いち早く、これが大陸の存亡に関わる危急の事態であることを察した、北のロシュリム帝国を初めとするいくつかの国々は、国家間の利害を超えて手を結ぶべきだと大陸中の国に働きかける。
その結果、結ばれた同盟により、多くの人々が団結して魔の軍勢に立ち向かうことになった。
ほとんどの国が参加した大同盟の意義は大きく、サーラキール周辺の小国がいくつも壊滅に追いやられるような事態に陥ろうとも、人々は絶望に沈むことなく、互いに助け合い、戦いに臨むことができた。加えて、剣聖カロンを初めとする、伝説となるほどの戦いぶりを示す冒険者たちの出現もあり、最悪の出来事として歴史に名を残す激戦でありながら、結果として人間たちはわずか一年程度で元凶であったガーウェス国王を討ち取り、戦争を終わらせることに成功する。
……だが、かつての面影を失い、焦土と化したサーラキールだけでなく、大陸のほとんどの国が、人的、物的両面において多大な損害を受け、その傷が曲がりなりにも癒えたと言えるようになるまで、実に十年近い年月を要するのだった。
「おうさま、どうしてわるくなったの? はじめから?」
難しい話だったかな、とアルファートが後悔するよりも早く、ピュティアは質問を浴びせてくる。
言動はその外見以上に幼いものながら、実のところピュティアは頭が良く、何事も理解が早い――。
薄々感づいていた少女の才が、やはり間違いないと確信できたアルファートは、ピュティアに対する認識をあらためることにした。
必要以上に言葉を噛み砕いたりしなくても、この子は理解できるんだ、と。
「ガーウェス王がそんなことをした理由は……誰にも分からないみたいなんだ。
ただ、神様――アイオン様がこの世界を創られたとき、それを邪魔した『九柱の悪魔』っていう存在がいた、ってお話は知ってるかい? その強大な悪魔たちの力と魂が宿ってる、『罪禍』と呼ばれるものがあるそうなんだけど……その罪禍のせいなんじゃないか、って一般的には言われてるね。大勢の、しかもとても強い魔物を自由に操るなんて、とても人にできるようなことじゃないから。
……でも、そもそも罪禍がどんなものなのか、どんな形をしているのか、っていうのは誰も知らないから……だから、ガーウェス王に何があったのか、本当に分からないんだ」
アルファートはゆっくりと語る。
創世の神話と九柱の悪魔の話は、世界に生きるほとんどの人間が子供のうちから聞かされる類の物語だったが、彼がもしかしたらそうではないかと考えたように、ピュティアはそれを初めて聞いたらしく、真剣な面持ちで何度もうなずいていた。
「……それで、ね。そのひどい戦いの中、焼かれて滅んだ小さな村で、たった一人生き残ったのが……生まれたばかりのぼくだった。
そしてぼくは、当時師匠の仲間の一人だった女の人に拾われて、アルファートという名前をもらったんだ」
「そのひとは?」
「その母さんはぼくがうんと小さい頃、ぼくを連れて結婚したんだけど……ぼくが四つの頃に妹を産んですぐ、病気で亡くなったよ。
それで、ぼくは二年前、以前から母さんのお墓にお祈りに来ては、そのついでにぼくに剣を教えてくれていた師匠に頼んで、家を出たんだ――父さんも亡くなって、残される妹が一人きりになるのを分かっていながら……ね」
自嘲気味に笑うアルファート。
ピュティアはただじっと、その顔を見上げていた。
「――ああ、大丈夫だよ。母さんが嫁いだのは、それなりに裕福な家だったから。世話をしてくれる人もいるし、妹は充分生きていける。……そうだね、今頃はぼくのことなんて忘れて、元気にやってるはずだよ。
――まあ、そういうわけだから、ぼくは――」
「だから、しらない? おじじとおばば……ううん、かぞく。かあさんと、そのこは、かぞくじゃない? ほんとの」
ピュティアの真っ直ぐな問いに、アルファートは思わず足を止める。
「それとも……ちがうのは、アル?」
「え………」
一瞬、アルファートは言葉を失った。
ピュティアの指摘は、戦災孤児であるという、彼の心の中に確かにありながら奥底に沈められていた負い目と、幼い妹を残して家を出た理由を、そこに求めていたという、もう一つの負い目――その二つを、真っ直ぐに貫いていた。
そもそも初めから、ピュティアは血の繋がりなどで縛られない、もっと大きな意味での『家族』を口にしていたのだろう。だからこそ自然に至った答えであり、初めから意図したものでないのは間違いない。
だがそれが、アルファートに、心に秘めた罪――彼自らが罪だと断じている罪――を、正面からあらためて自覚させたことは事実だった。
彼は少しだけ思いを巡らせたあと、ゆっくり首を振る。
「――そうだね……。ピュティアの言う通りかも知れない」
「アル……」
「ごめんよ、つまらない話をしちゃったね。――行こう」
何かに急き立てられるように足を踏み出すアルファート。
追っ手がいつ追いつくか分からないから、と自分に言い聞かせるものの、それがまた建て前に過ぎないことを彼は自覚している。
――今はただ、これ以上、心をさらにざわつかせるようなことは、何も考えたくなかった。




