4.もう一つの目
――アザンティ王国内でも屈指の実力を誇る精強な兵士たちは、襲い来る魔物を、その数に惑わされることなく圧倒していた。
兵士が、あるいはその貌霊が――剣を、槍を振るうたびに、地下都市の上空を群れて飛び回る、巨大な蝙蝠に似た魔物は、青黒い血をまき散らして落下する。
しかしそんな戦いの喧騒の中にあって、輪のように広がる兵士たちの中心――すっぽりとフードを被った小柄な人影だけは、何の動きも見せることなく、文字通り人形のようにただただ立ち尽くしていた。
「若様、魔物は逃走に入ったようです。追撃はいかがなさいますか?」
指揮官でありながら、他の兵士に混じり一心に剣を振るっていたオルフェは、副官の報告を受け、あらためて周囲を警戒しつつ剣を収める。
日頃から訓練は欠かさず、体力にもそれなりに自信はあるオルフェだったが、いざ気付いてみると、自身で驚くほどに呼吸が乱れていた。
だが彼は、すぐにその理由に思い当たる。
心の中でくすぶり続けるわだかまり――。自分で自分を何度も叱咤し、抑え込んできたそれを一時でも忘れようと、彼は戦いに没頭していたのだ。
戦いに勝つためではなく、ただ動くために動いていたのなら、この疲労も決して不可解なものではなかった。
(この期に及んでまだ、私は……)
「――若様? お怪我でも?」
「あ、ああ、すまない。大丈夫だ。――そうだな、深追いする意味はないが、放っておいてまた襲われるのも厄介だ。一隊を使って追い散らしておけ」
指示を受けた副官は、オルフェの様子に気を遣うのもそこそこに、すぐさま言に従って動き出す。
大きく息をついて気分を落ち着けながら、数人の兵士が生き残りの魔物を追い立てにかかるさまを見、続いて静かに立ち尽くす小柄な人影に目をやったオルフェは、群れから離れて戻ってくる一匹の魔物に気が付いた。
「しつこい奴め――!」
魔物の狙いが、まるで動きのない獲物――明らかに兵士たちよりも襲うのがたやすい、小柄な人影に向けられているのを悟ったオルフェは、収めたばかりの長剣を抜き放ちながら、他の兵士に先んじて走り出す。
「伏せろ!」
オルフェの怒声にも、そして近付く脅威にも何ら驚くことなく、冷静に指示に従って座り込む人影。
その頭上、覆い被さるように広げられた魔物の翼に刃を突き立てると、オルフェはそのまま地面に振り捨てる。
翼を切り裂かれ、地に転がった魔物は、しばらく耳障りな断末魔の鳴き声を上げていたが、それも僅かのこと、やがてぐったりと動かなくなった。
「……大丈夫か」
すぐ頭上で起こった荒事にも、やはり怯えるでも緊張するでもなく――人影はただ言われるまま、座り込んだまま、抑揚のない声でただ一言、「はい」と答える。
それは、この場にはおおよそ似つかわしくない、幼い少女の声だった。
そのまましばらく様子を見るも、ただじっと先の指示に忠実に、まるで動こうとしない少女に、オルフェは気遣うような響きをもった声をかける。
「………。もう、立ってもいいんだぞ」
しかし、それにもただ「はい」とだけ答えて立ち上がる少女の様子は、やはりどこか無機質だった。
「申し訳ありませんオルフェ様! お怪我はありませんかっ?」
「大丈夫だ、問題ない。私も――『鍵』もな」
不測の事態を受け、あわてて駆け寄ってきた兵士に手を挙げて応え、オルフェは少女の様子を確かめる。
深く被ったフードの下には、人形を通り越し、まるで死人のごとく虚ろな表情があった。
「……哀れな……」
誰にも――本人さえ口にしたかどうか判別できないほどに小さな声で、オルフェは、絞り出すようにたった一言、そうつぶやいていた。
*
――サイメル西岸地区、大通りが幾重にも交わり、多くの露店が賑わいを見せる中央広場。
日も傾き、気の早い露天商は早々と店を畳み始める中、いまだに商品を片付ける素振りも見せない露店の一つで、踊り子らしい薄衣をまとった若い女が足を止めた。
「おや、これはこれは……どうですお嬢さん、お一つ」
露店の奥に座した主人の男が、ランプに火を入れながら、広げられた装飾品を薦める。
一つ所に止まらず、さまざまな国や地域から集められたのだろう、多種多様なそれらの品は、宝石や貴金属による飾り付けはほとんどされておらず、宝飾品としての価値はないに等しかった。
だが、民芸品として見るならば、名うての職人の手によるものなのだろう、いずれも見事な出来映えだ。
「そうね、ロシュリムのものには飽きているから、それ以外でいいのがあれば。
――で、調子はいかがかしら?」
座り込んだ踊り子は装飾品をいくつか手に取り、何気ない調子で店主に問いかける。
「ええ……彼ならうまく潜り込みましたよ。顔が知られている中、どういう手段を取るのかと思いましたが……結局は、真っ正面から飄々と」
呆れたと言わんばかりに、店主は小さく肩をすくめた。
「そう。でもまあ、むしろさすがと言うべきなのかしらね。
まあ……向こうは向こうで、損得勘定の結果、何らかの利があると見て彼を受け入れたのでしょうけど」
まるで品物についての批評でもするように、踊り子は手にした貝殻の首飾りを小さく掲げてみせる。
対する店主の声のトーンが、やや下がった。
「ただ……厄介なこともあります。どうやら、彼の弟子の少年が騒動の中心に巻き込まれたようでして……『鍵』の逃亡の手助けをしているとか」
「あら。それはまた……困ったことになったものね。
不確定要素の介入は、些少のものであれ、ときとして事態を想定から大きく外れたものにしてしまう……私たちとしても、もともと不透明な先行きが、さらに引っかき回されることになるのはつらいところだわ」
「ええ……まったく。帝母様にいかにご報告申し上げたものかと……」
「そうね……けれどまあ、あまり悲観的になることもないのではないかしら。考えようによっては、弟子が巻き込まれたことで、彼の意欲が高まったとみることもできるでしょうし。
それに……帝母様のことだから、面白くなったとお笑いになるわ――きっと」
踊り子は貝殻の首飾りを身につけながら、さもこんな風に、とばかりにあでやかに笑って見せた。
それは形こそ笑顔であったが、しかし根本が完全に異なる、まったく別の表情だ。店主の背中を、ぞくりと冷たいものが走る。
「……報告は、すぐにも?」
知らず溜まっていた唾を飲み込み、探るように店主がそう問うと、踊り子はすぐさま、「ええ」と肯定した。
「私の貌霊に、距離は意味を成さないもの。霊子界を泳いで、ここと向こうを繋ぎ合わせる――私自身からすれば、ただそれだけのことなのだけれど。
……でもそうね、これが誰にでもできるなら、霊子界は世界中がやり取りする情報で氾濫することでしょうね」
「誰もが距離を無関係に連絡を取り合えるというのは、非常に便利な気がしますが……」
「そうね、便利でしょう。――でも私には、同時にそれはとても恐ろしいことに思える。そんなもの、およそ人ごときが正しい方向に御しきれるはずもないもの。
……それに、万が一にもそんなことになったら、私の希少価値がなくなってお払い箱にされてしまうわ。路頭に迷うのはゴメンよ」
一瞬は真剣な表情を覗かせるものの、踊り子はすぐに両手を挙げておどけてみせる。
「まあ、とにかくわたしは、今回の報告で首が飛ばないかが気懸かりなんですが」
「安心なさいな。わざわざあなたをおとしめるような報告はしないわよ」
「申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたしますよ。
――ところで、東岸……アザンティ側の方はいかがでしたか?」
「ああ、あちらはこっちと違って穏やかなものよ。予測通りに事が動いてる。アザンティ国王周辺も、ミルドアークの教王同様、テメニア王家に伝わる秘宝の探索、という彼らの話を疑っていないわ。よほどうまく偽装したのか……いえ、あの暗愚どもが相手では、その必要すらないかしらね」
そう言ってくすりと笑うと、踊り子は腰に下げたポーチから数枚の銀貨を取り出して、もとは首飾りがあった場所にそっと置いた。
店主はありきたりな礼を述べて頭を下げる。
「さて……いったい、彼らは何を受け継ぎ、何を求めているのかしらね。私は私で、もう少し探ってみることにするわ。
――それじゃ、また。良い品をありがとう」
小さく手を振って、踊り子は露店から離れ、昼間よりはよほど少ないが、それでも流れを作るほどには行き交う、多くの人々の中に紛れ込んでいった。




