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『異世界』について、エッセイを書いてきている。
冒頭では、背中合わせの『現実』として神域、霊域の存在を拾い上げ、心理的作用の『驚き』を通じ、やがて『美』に迄、その範囲を広げてきた。
ここ迄振り返ると『異世界』と言うのはその人個人ーー謂わばサピエンスとしての『美』を作用する世界を一人一人が持っていて、それが『異世界』(つまりArt)をつくり、またサピエンスは美を希求する力があるため、故にその『転び』等を通じて『美(つまり異世界)』を発見すると纏めたくなる。
つまり『異世界』はサピエンスが創り出す『美』であると言えし『エロース』により、求めるのだと言うことをプラトン哲学から、思考プロセスを借りてる事ができる。
そうなると、サピエンスが『異世界』を作り、求めるのは、ごく自然的なサピエンスの本能であると言える。
故にアニメーション、映画、小説等を媒体とも言えるメディア機器を通じて触れたくなるのも分かるし、背中合わせの『異世界』を探すのも理由が立つのは、尤もかも知れない。
さてでは、ここまで来ると、異世界は一体誰に微笑むのかという本題に触れていっても差し替えなくていいかもしれない。
ならばそれに、向かって筆を進めてゆきたい。




