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ーー『読書』
この言葉には広い意味で、『書』を読むと言う意味である。つまり文字を通じて他者の思想、知識、物語、経験を追体験する行為である。
なので学問書籍もそうだが、小説、エッセイ、随筆、或いは古代の象形文字の解読等も広く含まれる。
ならば何も『小説』が『読書』とは違うと言えないのではないか?と元の非難があると思う。
然しサピエンス科学として『発見』という観点から『読書』を規定すると、小説は物語の世界創造であり、他者経験を追体験するーー謂わば、文字による疑似体験であり、ひいては想像に依る映像文学であり、『新しい知』を発見する科学とは言えないと言う事である。
確かにゾラ、カフカ、カポーティ、ヘッセ等、文学世界における優れた作家による作品が多くあるのは知られている。
別にそれら著作が何ら劣っているなどとは言ってはいない。
言いたいのは『発見』よりも物語性の疑似体験に重点を置く『小説』は、サピエンス科学として『読書』の定義には含むことはないと言っているだけであり、例えばある思想、知識等の主題を『小説』という形で社会に提案し、伝えようとする方法の違いによる著作は、実は『小説』ではなく、『新しい知』であると理解していただきたい。
例えば、前述したヘルマン・ヘッセの諸本は幾つか小説の体をとっているが、謂わば人間とは何かを問いかける『知』であるのでサピエンス科学としては『小説』ではない。
つまり長く書いたが、…娯疑似体験により出来上がる作品の多くを『小説』と言いたく、それらをサピエンス科学の中で『読書』と言わないと言う事なのである。
では、また話を『異世界』に戻したい。




