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サピエンス科学『異世界原論』ーー異世界は誰に微笑むのか  作者: 江戸川Q
異世界は誰に微笑むのか
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 そもそも『新しい知』とは何を言っているのかだが、話をガリレオガリレイについてーーというよりも、彼が書き上げた著作から、それを引き出したい。


 彼の主著『天文対話』(1632年)や『新科学対話』(1638年)に関わることであるが、この『天文対話』『新科学対話』の両著作は当時イタリア人が実際に話していたイタリア語の対話形式で書かれた本で、当時の「学術書というのはラテン語で書くもの」という学術的伝統の殻を打ち破り、彼自身が「nuove scienze」(「新たな知(識)」)と呼んでいた。


 晩年の1638年に出版した著書『新科学対話(新科学論議)』では、それまでの伝統的な自然観を覆す「二つの新しい科学(材料の強度・静力学と、落体や振子などの動力学)」が提唱され、近代物理学と実験科学の新しい知が切り開かれたのが定説である。


 その事は、正にサピエンス科学(サイエンス)における『発見』でもあり、社会のアップデート、ボトムアップに繋がることであるのだが、つまり「nuove scienze」(「新たな知(識)」)と言うのは、伝統の殻を打ち破る為の知識と言える。


 所謂、社会が活発な流動性をなくし、固定して停滞をしてくると人は、安定を伝統にすり替える。

 

 つまり『新しい知』は、そうした社会のアップデートやボトムアップに欠かせないサイエンス科学(サイエンス)であり、それはとりもなおさず、サピエンスひとり一人に備わっている『発見』の産物である。


 しかし、だからといって裸足の中年男性(おっさん)が、そんなガリレイの様な『新しい知』を備えて行動したのか?と、言うかもしれない。


 唯の奇行ではないか?と言うのが当たり前かも知れないが、奇行も中世戦国時代では、『傾奇者』『婆娑羅』と呼ばれ、当代随一の人物が成している。前田慶次、佐々木道誉然りであろう。


 言いたいのは、もしかすると彼にとっては、何か発見があり、それ故に自身の内面に『新しい知』が起こり、行動していたならばーー、これが「そうであるかもしれない」と言う理由である。


 唯、弁解の為に言っておきたいのだが、あくまでもそれは彼が精神的疾患をもっていない、正常な中に於いて自らの『新しい知』で、奇行をしているということが、勿論、前提である。






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