第8話:森の宝石
狩りと解体とスープ作り。それが俺の毎日になった。
肉は俺とガルドで食い、骨は村のスープにする。単純なルーティーンだが、充実はしている。ただ、一つだけ不満がある。
塩しかない。
スープに塩。肉に塩。以上だ。
精肉店の頃は、みりんがあった。酒があった。醤油があった。胡椒があった。ニンニクがあった。生姜があった。それらを使ってどんな食材でも化けさせることができた。
だがここには岩塩しかない。塩は命の次に大事な調味料だが、それだけでは限界がある。
スープの味に変化をつけたい。肉にもっと旨味を乗せたい。
森に、何かないか。
そう思い始めたのは、ガルドとの狩りが軌道に乗った頃だった。
狩りの後、肉を捌いている時に、ふとあたりを見渡してみた。食虫植物もいる、グルートホルンとかいう象の化け物もいる危険な森だ。だが、よく見ると、足元には雑草が生い茂っている。岩の陰には苔が張っている。木の幹には何かのキノコが生えている。
植物に詳しくはない。だが、肉屋の経験が言っている。食材は、意外と近くにある。
翌日から、狩りのついでに植物を観察するようにした。
三日目だった。
ガルドが高い草の茂みを迂回しようとしたが、俺はあえて踏み込んだ。草むらの奥に、何か黒い実をつけた低木があった。
一粒、摘んで鼻に近づけた。
「……胡椒?」
違う。胡椒よりずっと複雑な香りだ。柑橘に似た爽やかさと、土の匂いが混ざっている。嗅いだことのある匂いだが、日本にはないやつだ。
恐る恐る、噛んでみた。
口の中でじんわりと広がる辛味。胡椒に似ているが、もっと奥行きがある。後味に甘みが残る。
「これは使える」
独り言が出た。
大量に摘んだ。袋代わりに大きな葉を折りたたんで、できるだけ多く持ち帰った。
小屋に戻って、骨スープに一粒だけ砕いて入れてみた。
香りが変わった。一粒で、スープの印象がガラッと変わる。塩だけの単調な味が、複雑な奥行きを持ち始めた。
「森胡椒、と呼ぼう」
誰に言うでもなく、名前をつけた。
味見は、当たりばかりじゃなかった。
白い小さな実を齧った時は、三十秒ほど舌の感覚が消えた。慌てて吐き出して小川の水で口をゆすぐ俺を、ガルドが少し離れた場所から見ていた。「だから止めたのに」という顔だった。
お前、知ってたなら先に言え。いや、言えないのか。狼だから。
その次に見つけたのは、当たりだった。
細い茎に、小さな紫の花をつけた植物だ。引き抜いてみると、根の部分が太く、白い。噛んでみると、強烈な辛さと刺激がある。
ニンニクに近い。だが、ニンニクより刺激が強くて、後味に苦みがある。
「地辛」
これも名前をつけた。根ごと持ち帰り、すりおろして肉に塗ってみた。焼くと、辛みが飛んで、香りだけが残った。肉の臭みを消し、旨味を引き出す。下味の素材として抜群だ。
試しにガルドにも食べさせてみた。
いつもの肉なら一口で丸飲みするくせに、今日は途中で動きが止まった。鼻をヒクつかせて、もう一口。もう一口。いつもより明らかに丁寧に食っている。食べ終わると、尻尾をいつもの倍くらい大きく振って、こちらを見た。「もうないのか」という目だ。
お前、味の違いがわかるのか。A級魔獣ってのは舌も肥えてるらしい。
こうなってくると、楽しくなってきた。
コツもわかってきた。ガルドが匂いの強い草の前で立ち止まることがある。全部が使えるわけじゃないが、あいつの鼻が反応するものは大抵クセがある。クセがあるということは、調味料になる可能性がある。
植物の宝探しだ。市場で掘り出し物の枝肉を見つけた朝と、同じ匂いがする。
四日目、一週間目と、少しずつ素材が増えた。
七日目に、鮮やかな赤い実をつけた低木を見つけた。一粒かじると、口の中がきゅっとすぼまるほど酸っぱい。梅とレモンの中間のような鋭い酸味だ。潰して汁を絞ると、透明に近い薄紅色の液体が取れた。
酢じゃないが、酸っぱいから「赤酢」と呼ぶことにした。
この汁を少量、スープに垂らすと味が引き締まる。肉に塗って焼くと、表面にわずかな甘みと酸味のコーティングができた。
これで調味料が三つになった。
森胡椒、地辛、赤酢。
たった三つだが、岩塩しかなかった頃とは全く別の料理ができる。
その日の夜、焚き火の前で肉を焼きながら、三つの調味料を全部使ってみた。地辛をすりおろして肉に塗り、森胡椒を砕いて振りかけて焼く。焼き上がりに赤酢を一振り。
「……旨い」
声が出た。
塩のみの焼き肉とは別物だ。肉の味を殺さずに、香りと酸味が加わって、深みが出た。精肉店の頃、特製のつけ合わせで使っていた塩麹焼きに近い感覚がある。
ガルドが鼻をヒクつかせて、俺の手元をじっと見ている。
「待て。お前の分も焼く」
ガルドに一本渡した。ガルドはいつもより熱心に食べた。A級魔獣も、旨い飯には素直だ。
翌日、スープに全部試してみた。
骨のスープに森胡椒を砕いて入れ、地辛をほんの少量すりおろして加え、最後に赤酢を一滴。
飲んだ瞬間、思わず手が止まった。
うまい。ちゃんとうまい。
塩だけの頃と比べると、格段に違う。三つの素材が絡み合って、複雑な味になっている。これはもう、素朴な骨スープじゃない。
村人に出したら反応が変わった。
「なんか今日のスープ、いつもと違う」
「辛い。でも旨い」
「後味が全然違う」
みんな椀を傾けて、最後の一滴まで飲み干した。いつもは一杯で満足して帰る人たちが、今日は「おかわりはないのか」と聞いてくる。
ミーナが「今日のスープ、一番好き」と言った。
俺は黙って次の鍋の仕込みに入った。
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夕方、帰り道のことだ。
森の端に差し掛かったとき、突然、前方の茂みが揺れた。
俺は反射的に立ち止まった。ナイフに手をかける。
茂みの奥から、低くて太い唸り声がした。
心臓が飛び出そうだ。グルートホルンより大きい気がする。
だが次の瞬間、俺の隣を何かが音もなく通り過ぎた。
ガルドだ。
村への帰路についていたはずのガルドが、いつの間にか俺の横に並んでいた。前傾姿勢で、茂みを正面から見据えている。唸り声を上げた。
茂みが静止した。しばらく沈黙が続いた後、茂みの奥の気配がゆっくりと遠ざかっていった。
俺はそのまましばらく固まっていた。
「……おい」
ガルドに声をかけた。
ガルドは何事もなかったように、また前を歩き始めた。
俺はガルドの後を追いながら、頭の中で記憶をたぐった。
そういえば、ここ最近、ガルドが狩りの帰り道に必ず俺の近くにいる。最初は気にしていなかった。肉が目当てだから近くにいると思っていた。
だが今、ガルドは肉を持っていない俺の横に立って、茂みの気配を追い払った。
「お前、俺を護衛してたのか?」
ガルドは振り返らない。ただ、耳が少し後ろに倒れた気がした。
俺はその背中を見ながら、何も言わなかった。
肉につられただけかもしれない。たまたまかもしれない。
でも、なんとなく、そういうことにしておくのがいい気がした。
明日も森に入る。もっと素材を探す。
この銀色の背中がそこにいる限り、俺は森を歩けると思った。
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