【第64話】肉屋の戦場
時計の針を、俺たちが城の地下道に現れる三日前に戻す。
ルーンハルト村の広場では、血まみれの通信鷹が夜空へと飛び立つのを、村人たちが見送っていた。
「……これで、城のレオン様に内通者の正体は伝わるじゃろう」
村長の言葉に、周囲の大人たちも安堵の息を吐く。
ザイデル軍の夜襲を退け、捕らえた指揮官格の下級貴族から保身と引き換えに城への内通の手筈を吐かせた彼らは、自分たちの手で特区を守り抜いたのだ。
だが、広場の中心で腕を組んでいた俺の顔は晴れなかった。
「なぁ、村長。鷹が飛んだからって、あの城の連中の腹が膨れるわけじゃねえよな」
「それは……そうじゃな。敵に完全に包囲されておるのなら、兵糧の危機は免れまい」
「だよな。それに城下町の連中もだ。トーマスのおっさんには商売でずいぶん世話になった。戦いに関係ねえ街の連中まで巻き込まれてるなら、黙って見てられねえよ」
俺は、広場に積み上げられた麻袋や木樽――この数ヶ月で作り溜めた、膨大な量の干し肉や腸詰、燻製肉の山を見つめた。
「俺は行くぜ。あの城に、肉を届けに」
その言葉に、広場が静まり返った。
最初に口を開いたのは、巨漢のヘルマンだった。
「テッペイ、気持ちは分かるが……お前さんやガルドが抜けたら、また敵が来た時にこの村はどうなる? 守り切れねえぞ」
それは、村の大人たち全員が抱いていた当然の懸念だった。
今回の夜襲を無傷で乗り切れたのは、ヘルマンたちが築いた防衛網と、ガルドという規格外の戦力があったからこそだ。その要である彼らが抜ければ、村の防衛力は半減してしまう。
だが、その懸念を笑い飛ばしたのは、他でもない村の者たちだった。
エプロン姿のヒルダが、呆れたように肩をすくめた。
「心配しすぎだよ、ヘルマン。あんた見てたでしょ、さっきの夜襲。あいつら腰抜かして逃げてったじゃないか。もう来やしないよ、こんな怖い村。それに……」
ヒルダは、周囲に立つ村人たち――魔獣肉を食って屈強な体つきになり、自らの手で槍や農具を握って戦い抜いた大人たちを見回した。
「私たちはもう、ただ怯えて隠れてただけの開拓民じゃない。残った連中だけでも、野盗の二、三十人くらい簡単に追い払ってみせるさ。ねえ、みんな?」
「ヒルダの言う通りだ」
村長も深く頷き、俺の肩を叩いた。
「テッペイよ。お前さんの飯が、わしらの心と体を強くしてくれた。特区のことは案ずるな。お前さんは、お前さんの飯を待っている者たちのところへ行ってこい」
「村長……お前らまで」
俺は顔をくしゃくしゃにして笑うと、ガシッと頭を掻いた。
「へっ、頼もしくなりやがって。……よし、ユーリ! 若い衆を何人か見繕って、馬車に積めるだけ肉を積め! 塩もだ! それからガルド、お前も来い!」
「グルゥ!」
ガルドが頼もしく咆哮し、ユーリが「おう、任せろ!」と若衆たちを率いて馬車の準備に走る。
こうして、俺たちは村人たちに見送られながら、包囲網の敷かれた城下町へと向かった。
幸い、街道に溢れた避難民の列の中にトーマスのおっさんの顔を見つけ、無事に旧搬入用の裏道を聞き出すことができた。
* * *
――時は現在に戻る。
ファルケンシュタイン城、裏手の旧搬入用地下道。
「戦うのはお前らの仕事だが……腹を満たすのは俺の仕事だ」
限界まで肉と塩を積んだ馬車を前に言葉を失うレオンの案内で、俺たちは地下道から城の中庭へと馬車を引き上げた。
薄暗い中庭に出ると、俺は周囲を見回し、すぐに石畳の広い場所を指差した。
「よし、ここだ。おいレオン、薪を組んで火を起こすのを手伝ってくれ」
馬車の荷台から持参した巨大な鉄板と分厚い焼き網を引きずり出し、組み上げた薪の上に豪快にセットする。
「さあ、始めようぜ。飢えた兵士の胃袋を満たす、極上の肉の時間をよ」
やがて薪に火が回り、鉄板が熱を帯び始める。
飢えと疲労で絶望に支配されていた城内に、暴力的なまでに香ばしい匂いが広がろうとしていた。
前代未聞の――戦場での大バーベキュー大会の幕開けである。




