第6話:狩りの流儀
そのまま、狼と森に入った。
「狩ってやる」と言ったはいいが、前回ドライホルンを仕留められたのは罠のおかげだ。一人で森を歩いて魔獣と鉢合わせたら、今度こそ肉塊になる。だからこいつがいてくれるのは正直ありがたかった。ありがたかったが、怖い。昨日ゴブリンの群れを蹴散らした化け物だ。いつ機嫌を損ねて俺に牙を向けるかわからない。
狼は俺の斜め前を歩いている。ゆったりとした足取りだが、時折耳を動かして周囲の音を拾っている。護衛のつもりなのか、単に飯の出どころについてきているだけなのか。たぶん後者だ。
銀灰色の背中を眺めていたら、狼がふと立ち止まった。振り返って、俺をじっと見ている。金色の目が、俺の腰のナイフの辺り——いや、昨日焼いた肉の残りを包んだ葉っぱに向いている。
肉か。お前、肉が欲しいのか。
その目に、急に昔のことを思い出した。
子供の頃、実家で飼っていた雑種の犬がいた。ガルドという名前だった。親父がつけた。由来は知らない。でかくて、不愛想で、俺にだけ懐いた。そいつが毎日、精肉店の前でじっと座って、余った肉の切れ端をもらえるのを待っていた。あの時と同じ目だ。
「……ガルド」
口に出してみた。
狼の尻尾が一回、揺れた。
偶然だろう。名前なんてわかるはずがない。だが、悪い気はしていないみたいだ。
「ガルド。お前、今日からガルドな」
ガルドは鼻を一つ鳴らして、また前を向いた。承諾とも無視とも取れる反応だが、まあいい。俺が呼びやすければそれでいい。
森に入って一時間ほど歩いた時、ガルドが立ち止まった。
低く唸る。鼻が風上を向いている。何かの匂いを拾ったらしい。
俺もしゃがんで地面を見た。獣道がある。糞が落ちている。まだ新しい。近くにいる。
「あっちか」
ガルドの視線を追うと、茂みの向こうに動く影が見えた。薄紫色の毛皮。三本の角。ドライホルンだ。前に仕留めた獣と同じ種類だが、今度のは少し小ぶりだ。
ここで突っ込んでいっても勝てない。前回は罠があったから仕留められた。
「おい、待て」
ガルドに小声で言った。通じるかどうかわからない。だが、ガルドは動きを止めた。
俺は周囲を見渡した。獣道の先に、二本の木が近い間隔で立っている。あそこだ。蔓を使って罠を仕掛けられる。
三十分かけて、じいちゃん仕込みの吊り罠を張った。ガルドは黙ってそれを見ていた。金色の目が、俺の手の動きをじっと追っている。
「よし。あとはあいつをこっちに追い込むだけだ」
ガルドを見た。ガルドは俺を見た。
「……追い込んでくれ」
無茶なお願いだと思った。犬の躾もしたことのない肉屋が、野生の魔獣に指示を出している。
だが、ガルドは動いた。
茂みの裏側に回り込んで、低い唸り声を上げた。ドライホルンが驚いて飛び出す。当然、音のしない方向に――つまり、俺が罠を仕掛けた方向に逃げてきた。
獣道を走り抜けてきたドライホルンが、蔓を踏んだ。バチン。後脚が宙に吊り上がる。
だが、簡単にはいかなかった。吊られたまま、ドライホルンの三本の角が光り始めた。前にも見た。魔力だ。角の先端から紫色の光弾が飛び出し、近くの木の幹を吹き飛ばした。破片が頬をかすめる。
「うおっ……!」
近づけない。ナイフの間合いに入ったら、あの光弾で吹き飛ばされる。
ガルドが動いた。横から一気に飛びかかり、前脚でドライホルンの胴を押さえつけた。角の向きを地面に押し込む。光弾が地面に当たって土が弾けた。ドライホルンが暴れるが、ガルドの体重には敵わない。
角の光が弱まっていく。魔力が尽きかけている。
「今だ」
背後に回り込んで、首にナイフを入れた。急所を一発で断つ。
「……仕留めた」
手が震えていた。心臓がバクバクしている。一人じゃ絶対に無理だった。
ガルドが前脚をどけて、俺を見た。尻尾を一回振った。
解体を始めた。皮を剥ぎ、筋膜を切り、関節を外す。手が覚えている動作だ。肉屋の技術は、相手が何であろうと変わらない。
肉をブロックに分けながら、ガルドを見た。こいつにも取り分を渡さないといけない。追い込みをやってくれたのはガルドだ。タダ働きさせるわけにはいかない。
モモ肉を二つに分けた。片方をガルドの前に放った。
ガルドは匂いを嗅いだ。それから、生肉に鼻先をつけて、ふんと鳴らした。
食わない。
「おい、嫌いなのか」
そうじゃない。こいつは匂いを嗅いで、何かを待っている。
……まさか。
「焼いたやつじゃないと嫌だとか言わないよな」
ガルドが俺を見た。金色の目が「そうだが?」と言っている気がした。
「嘘だろ。お前、前に焼いた肉を食ったのは一回だけだぞ。一回食っただけで生肉拒否するのか」
ガルドは生肉の横に座って、動かなかった。
俺は頭を抱えた。焼いた肉の味を覚えた狼。生を食わないグルメな魔獣。
仕方なく、枝を集めて火を起こした。モモ肉を厚切りにして、枝に刺して火にかざす。
脂がじゅうと音を立てる。
ガルドの尻尾がぱたぱたと揺れ始めた。さっきまで微動だにしなかった巨体が、焚き火の方向ににじり寄ってくる。
「お前、わかりやすすぎるぞ」
焼き上がった肉をガルドの前に置いた。ガルドは一口で平らげて、もう一切れを催促するように鼻を鳴らした。
二切れ目。三切れ目。四切れ目。A級魔獣の食欲は底なしだった。モモ肉の半分がガルドの腹に消えた。
「おい、俺の分がなくなる」
ガルドは五切れ目に鼻を伸ばした。俺はそれを取り上げて自分の口に入れた。
旨い。味付けなしでも旨い。前に食べた時と同じだ。赤身が濃くて、噛むと甘みのある肉汁が広がる。
「半々だ。半分は俺のだ。わかったか」
ガルドは不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は催促してこなかった。
取り分は半々。追い込みはガルド、罠と解体は俺。焼くのも俺だ。
これが俺たちの狩りの形だ。肉屋と狼の分業制。世界一変な猟師コンビかもしれない。
残りの肉を葉っぱに包んで持ち帰った。村には内緒だ。肉食は禁忌だから、表では食えない。小屋でこっそり焼いて食う。ガルドの分も焼いてやる。
ガルドは村の外れ、柵のすぐ内側の隅に自分の寝床を決めたようだった。誰に言われたわけでもなく、そこに丸まって寝ている。村人は遠巻きに見ているが、近づこうとはしない。
「テッペイ、あの狼は大丈夫なのか」
ユーリが恐る恐る聞いてきた。
「大丈夫だ。腹が減ったら肉を催促してくるが、人は襲わない」
「肉を催促って、どうやって」
「俺の足元に座って動かなくなる。それが合図だ」
ユーリは半信半疑の顔をしていたが、ガルドが昨日ゴブリンを蹴散らしたことは村全体が見ている。怖がりつつも、頼もしいとは思っているらしい。
その日の夜、小屋でこっそりドライホルンの肉を焼いていたら、ガルドが壁の外から鼻を鳴らした。匂いで嗅ぎつけたのだ。
「来るな来るな。ばれるだろ」
しょうがないので、小屋の裏口からそっと出て、柵の外で焼いた肉を渡した。ガルドは嬉しそうに尻尾を振って平らげた。
こいつはもう生肉に戻れないだろう。焼き肉中毒の魔獣を生み出してしまった。
翌日も森に入った。今度はガルドの方から先に歩き出した。俺を待っているように振り返る。「来いよ」という顔をしている。
獲物はガルドが見つける。匂いで追跡する。俺が罠を仕掛ける場所を選ぶ。ガルドが追い込む。俺が仕留めて解体する。焼いて半分に分ける。
三日目には、もうこの流れが完全に噛み合っていた。
ガルドは俺が罠を仕掛ける間、黙って待つようになった。追い込む方向も、毎回きちんと罠の方に獲物を誘導してくる。一回目は偶然かと思ったが、二回目、三回目と同じことをやるので、理解しているとしか思えない。
犬の躾どころじゃない。こいつは、相棒だ。
「お前は賢いな」
ガルドは返事しなかった。ただ、焼いた肉を催促する目だけは雄弁だった。
ベルントは何も言わなかった。俺が毎日森に入って、毎晩こっそり肉を焼いていることに気づいていないはずがない。匂いは隠せないからだ。
だが、何も言わなかった。
あの男は見て見ぬふりをしている。禁忌を破っていることを知った上で、黙認している。
不器用な爺さんだ。




