【第59話】包囲
ルーンハルト村は、森と丘に挟まれたすり鉢状の地形にある。
かつてはその地形のせいで冬の冷たい風が溜まり、やせ細った土地だと言われていた。だが今、その地形は村を守る最高の「天然の要塞」となっていた。
「来たぞ! 丘の向こうから、兵士の影が多数!」
見張り台の上の若い衆が叫ぶ。
丘の稜線から、黒々とした人影が次々と姿を現した。その数はざっと見て三百から四百。正規軍ではなく、野盗に毛が生えたような荒々しい装備の傭兵団だ。
「……あれが、フェルゲン商会の金で雇われた連中か」
『黒田精肉店』の看板のすぐ下、防壁から十分に離れた安全な炊き出し場で大鍋をかき混ぜながら、俺は低く呟いた。
敵は、村を完全に包囲する陣形を取りつつある。だが、誰の顔にも絶望はなかった。
「フリッツ! 柵の補強は終わったか!」
「おう! 俺とヘルマンで、丸太のつなぎ目に鎹を打ち込んでおいた。破城槌でも持ってこねえ限り、簡単には破られねえ!」
大工のフリッツが、木槌を肩に担いで胸を張る。彼らが組み上げた丸太の防壁は、俺が市場で稼いだ利益で建て、不正徴税分の返還金で増強した代物だ。高さは三メートルを超え、表面には泥が塗られて火矢の対策もされている。
「クラウス! お前の道具はどうだ!」
「配置済みです! 防壁の外側には足止め用の鉄罠を数十個埋めました! 若い衆には、俺が打った簡易盾と投げ槍を持たせてあります!」
鍛冶屋のクラウスが、汗を拭いながら防壁の隙間から外を睨む。
村はもう、ただの農村ではない。職人たちの技術と、村人たちの知恵が詰まった立派な防衛拠点だった。
「ガルド! 森側は任せたぞ!」
「ガウッ!」
銀狼が低く吠え、森へ向かって跳躍した。
ユーリ率いる若い衆の伏兵部隊が、森の地形を利用して敵の側面を突く算段だ。圧倒的な索敵能力を持つガルドがいれば、森からの奇襲や伏兵の侵入は完全に封じられる。
「さて、レオン隊長。正面は任せていいか?」
「愚問だな」
広場の最前列。防壁の正門前に立ち塞がるのは、完全武装した二十名の精鋭――レオン率いる第一親衛隊だ。
「我らはこの三ヶ月、ただひたすらに魔獣を狩り、お前の作った肉を食らい続けてきた。その結果を、あの有象無象どもに見せてやろう」
レオンが剣を抜く。その瞳には、恐怖ではなく獰猛な光が宿っていた。
* * *
「おいおい、なんだあの立派な壁は。ただの貧乏村だって聞いてたぜ?」
丘を下ってきた傭兵団の頭目が、舌打ちをした。
彼らはザイデル公の本隊から離脱し、「禁忌の研究をしている村を焼き払え」という指示を受けてきた。農民など脅せばすぐ逃げるだろうと高を括っていたのだ。
だが、いざ村に迫ってみると、頑丈な防壁がそびえ立ち、その門の前には統率の取れた二十名の騎士が立ち塞がっている。
「ちっ、少しばかり護衛を雇ったか。だがこっちは四百だ! 数の暴力で押し潰せ!」
頭目の号令と共に、傭兵たちが一斉に門へ向かって突撃を開始した。
同時に、弓兵が後方から無数の火矢を放ち、傭兵団に混ざっていたザイデル派の下級貴族たちが威嚇の火球を打ち上げる。
火矢が防壁に次々と突き刺さったが、泥を厚く塗り込めた丸太はくすぶるだけで燃え広がらない。ニーナや子供たちが水桶を運び、待機していた若い衆がすぐさま火を叩き消していく。
「来るぞ! 盾を構えろ!」
レオンの号令で、二十人の騎士が一斉にクラウス特製の簡易大盾を構えた。
空から降り注ぐ火球が盾に直撃し、爆炎が上がる。
「ぎゃはは! 燃えちまえ!」
傭兵たちが下品な笑い声を上げた、その直後だった。
「――押し返せ!」
爆炎と煙を突き破り、レオンたちが飛び出してきた。
炎の熱波を至近距離で浴びたはずなのに、彼らは火傷こそ負っていない。鎧の隙間から煙が上がり、何人かは熱さに歯を食いしばっていたが、誰も倒れない。魔獣肉を食い続けたことで育ち始めた『魔法耐性』。以前の彼らなら、確実にここで膝をついていたはずだ。
「なっ……!?」
驚愕する傭兵たちの懐に、親衛隊が鋭い踏み込みで肉薄した。
彼らの剣撃は、傭兵たちが予想したより一歩も二歩も速い。重い鎧を着たまま信じられない踏み込みを見せ、次々と敵の武器を弾き飛ばしていく。
「ヒィッ! 正面が抜けねえ!」
「なら森側から回れ! 裏から火を放て!」
業を煮やした頭目が別働隊を森へ向かわせたが、そこからはすぐに絶望的な悲鳴が上がった。
「ダメだ! 森の中に巨大な銀色の狼が……! 足元には鉄罠が埋まってるぞ!」
正面の門はレオン隊の異常な粘りに阻まれ、突破口の森側はガルドと足止め罠に潰される。
四百の傭兵団は、たったひとつの開拓村を前に、何一つ有効打を与えられずにいた。
* * *
激戦が続く中、俺は後方の広場で絶え間なく包丁を振るっていた。
俺の戦場はここだ。
「ニーナ! スープの塩分をもっと濃くしろ! 汗をかいてる兵士には強い塩気が必要だ!」
「はいっ!」
「ミーナ! 交代で戻ってきた兵士に、この干し肉を渡せ! すぐにエネルギーになる特製の回復食だ!」
「うん! おっちゃん……あっ、テッペイ、任せて!」
大量の塩漬け肉を煮込んだ熱いスープと、俺が独自にスパイスを配合した干し肉の配給。
第一線で戦うレオン隊が後退してくると、ミーナたちがすかさずそれらを手渡す。
「うおォォッ! この肉のスープ、最高に沁みるぜ!!」
「よし、五分休んだ! 腹も膨れたし、もう一暴れしてくる!」
魔獣肉のスープを一気飲みした兵士たちは、荒い息を整えると、再び力強い足取りで最前線へ戻っていく。
本来、戦闘において最も恐ろしいのは「持久力の低下」だ。だが、この村の防衛隊にはそれがない。俺が供給し続ける『戦場食』が彼らの消耗を遅らせ、短い休息で再び前線に戻れるだけの力を与え続けているのだ。適切なローテーションと補給の循環が、圧倒的な持久戦を可能にしていた。
「おい……冗談だろ……」
傭兵団の頭目は、信じられないものを見る目で村の門を見つめていた。
数時間も激しい戦闘を続けているというのに、防衛する騎士たちの動きは全く鈍らない。それどころか、ローテーションで奥へ下がった兵士たちが、肉の匂いと共にすぐさま戦線へ復帰してくるのだ。
「ダメだ、頭! こいつら、疲れってものを知らねえ! これ以上は無理だ、部隊が保たねえ!」
傭兵団は所詮、金で雇われた烏合の衆だ。命を懸けてまで戦う義理はない。
想定外の損害と、底知れない村の力に恐怖を抱いた傭兵たちは、ついに武器を捨てて撤退を始めた。
「よしっ……! 押し返したぞ!!」
見張り台の若い衆が歓声を上げ、村の広場がどっと沸く。
俺も大きく息を吐き、エプロンで汗を拭った。村人全員の力で、圧倒的な数的不利を覆したのだ。
だが、その歓喜は長くは続かなかった。
「……テッペイ」
剣の血糊を拭いながら戻ってきたレオンが、険しい顔で西の空を指差した。
「あれを、見ろ」
レオンの指差す先。西の地平線の彼方、辺境伯の本隊が防衛戦を展開しているはずの『西の領境』の方角。
そこから、地平線全体を不吉に染め上げるような、どす黒い煙の柱が湧き上がっていた。
「火災か……? いや、距離を考えれば普通の煙の量じゃない」
「テッペイ……空だ。上を見ろ」
レオンの言葉に空を見上げると、西の空から一羽の鷹がよろけながら飛んでくるのが見えた。
その足には、べっとりと血で赤く染まった小さな布が巻き付けられていた。




