【第55話】精鋭二十人
「黒田精肉店」の看板を広場に掲げてから五日後。
辺境伯府から、約束の「駐屯兵」がやってきた。
村の広場に整列したその集団を見て、俺は少し驚いた。
二十人の兵士たち。全員が揃いの黒い革鎧を着こみ、腰には使い込まれた長剣を下げている。
「グルルルルル……!」
突然、広場の脇から低い唸り声が響いた。ガルドだ。
見慣れない武装集団に警戒したのか、銀色の毛を逆立て、額の十字模様を青白く発光させている。魔法を撃つ直前の合図だ。
「魔獣だ! 構えろ!」
兵士たちが一斉に剣を抜き、殺気を放つ。素人目にも、ただの兵士ではないと分かった。辺境伯が直属の部隊から引き抜いた精鋭たちだ。
魔法の光が膨れ上がった瞬間、俺は慌ててガルドと兵士たちの間に飛び込んだ。
「待て待て待て! 剣を収めてくれ! こいつは村の……ええと、飼い犬だ! ガルド、お前も落ち着け。敵じゃない」
俺が鼻面を撫でて諭すと、ガルドは不満げに唸りながらも額の光を収めた。
だが、兵士たちは油断なく剣を構えたままだ。無理もない。どう見てもただの犬ではない。
その時、小さな足音が走ってきた。
「ガルド、いじめちゃだめ!」
ミーナだ。彼女は兵士たちの抜身の剣に怯える様子もなく、ガルドのふさふさした銀色の首にぎゅっと抱きついた。ガルドも長い舌でミーナの頬をぺろりと舐め、すっかり大人しい顔になる。
「……っ」
こんな小さな子供が、魔獣らしき生き物に懐き、守ろうとしている。その光景を目の当たりにして、兵士たちの殺気が毒気を抜かれたように揺らいだ。
「犬、か……。信じがたいが……そういえば、出立前に辺境伯様から伺った。この村では使役した魔獣を使って狩りをしていると」
部隊の先頭に立つ若い男が一歩前に出た。まだ油断なくガルドを観察しているが、俺の顔を見るとため息をつくように剣を鞘に収めた。それを見て、他の兵士たちも戸惑いながら剣を下ろす。
「貴殿が、辺境伯様から特別に協力を命じられた料理人か」
短い金髪に、真面目すぎるほどに引き締まった顔つき。年は二十代半ばくらいか。
「ああ、テッペイだ」
俺が頷くと、レオンは一つ頷き返し、俺の後ろに立っていた老人へと向き直った。
「ルーンハルト村長、ベルント殿とお見受けする。私は辺境伯府、第一親衛隊より派遣されたレオンだ。本日より、魔獣対策の特区防衛任務に就く」
レオンはベルントに対して、深々と一礼した。
辺境伯直属の騎士が、辺境の村長に頭を下げる。それだけで、彼らが辺境伯からどれほど厳命を受けてきたかが伝わってくる。
「……ご苦労じゃ。村を代表して歓迎する。さっそくだが、辺境伯様から『真の任務』については聞いておるな?」
ベルントが低い声で尋ねた。
レオンの顔が、わずかに強張った。後ろに整列している十九人の精鋭たちも、一瞬だけ息を呑んだのが分かった。
「はっ。我々二十名は……この村で、魔獣肉を食し、その身体的変化を記録、報告するようにと」
レオンの声は平坦だったが、隠しきれないウンザリした響きが滲んでいた。
彼ら親衛隊は、魔法が使える下級貴族の次男や三男で構成されていると聞いたことがある。平民と違い肉を食うことは許されているが、下級ゆえに回ってくるのは血抜きもされていない粗悪な肉ばかりだそうだ。それを不格好に焼いただけの代物は、獣臭くて硬いゴムのような味がするという。
彼らにとって肉とは「不味くて臭い、最悪の食べ物」なのだ。それを毎日食わされる任務と聞いて、心底憂鬱な気分なのだろう。
「顔がこわばってるぞ、隊長さん。そんなに肉が嫌いか?」
俺が尋ねると、レオンは鋭い視線を向けてきた。
「嫌いとは言っていない。だが、我々も味覚というものを持っている。あんな臭くて硬いものを……いや、辺境伯様の下命だ。いかなる苦行にも耐えてみせる」
「苦行ね。とりあえず、荷物を置いたらこっちに来てくれ。長旅で腹が減ってるだろ」
俺は焚き火の準備を指さした。
「最初の任務だ。俺の焼いた肉を食ってもらう」
一時間後。
広場には異様な空気が漂っていた。
焚き火の周りに、長机と丸太の椅子が並べられている。村の男たちが作った即席の食堂だ。
そこに座る二十人の兵士たちは、誰一人として口を開かない。まるで処刑を待つ罪人のように、青ざめた顔でじっと前を見つめている。
俺はその前で、巨大な鉄板を熱していた。クラウスが打ってくれた、特大サイズの厚板鉄板だ。
今日の食材は、ガルドが朝一番で森から引きずってきたレッドボア。豚に似た魔獣で、脂の甘みが強い。
包丁で分厚く切り出した肉に、塩と森胡椒を強めに振る。
さらに、村の近くで採れた香草——ローズマリーによく似た香りの草を細かく刻んでまぶす。
鉄板から白い煙が上がり始めた。適温だ。
「いくぞ」
厚さ三センチはあるレッドボアの肉を、鉄板に並べる。
ジュウウウウッ!
激しい音と共に、肉の焼ける匂いが広場に爆発した。
脂が鉄板の上で弾け、香草の爽やかな香りと混ざり合う。食欲を直接殴りつけてくるような、暴力的な匂いだ。
長机に座る兵士たちの肩がビクッと跳ねた。
彼らの顔に、明らかな動揺が走った。「俺たちが知っている肉の匂いと違う」とでも言いたげな混乱だ。
唾を飲み込む音が、あちこちから聞こえてくる。
「ひっくり返すぞ」
表面にこんがりと焼き色がついた肉を、手際よく裏返す。
両面にしっかり焼き目をつけたら、火の弱い鉄板の端へ移す。強靭な魔獣肉は、こうして余熱で休ませながらじっくりと中まで火を通すのがコツだ。こうすることで肉汁が閉じ込められ、驚くほど柔らかく仕上がる。
「よし、焼き上がりだ」
木の皿に、一切れずつ肉を乗せる。付け合わせはラッケルの塩ゆでだ。
ユーリやミーナたちが、兵士たちの前に皿を運んでいく。
目の前に置かれた分厚い肉塊。
兵士たちは皿を見つめたまま、微動だにしない。誰の手も動かない。
「食べないの?」
ミーナが不思議そうに首をかしげた。
静寂の中、レオンが立ち上がった。
悲壮な決意を秘めた顔で、腰の剣の柄に一度触れる。それから、テーブルの上に用意されていた木のフォークを握りしめた。
「……辺境伯様の下命である。私がまず、先陣を切る」
レオンは震える手でフォークを肉に突き刺した。
あの獣臭い味を覚悟するように目をぎゅっと閉じ、口へ運ぶ。
大きく口を開け、肉を噛み切った。
その瞬間。
レオンの動きが、完全に止まった。
目を見開き、宙を見つめている。咀嚼する顎の動きだけが、ゆっくりと、そして次第に速く、力強くなっていく。
「隊長……?」
「レオン殿、大丈夫ですか!?」
部下たちが青ざめて立ち上がる。
だが、レオンは彼らを制止するように片手を上げた。
そして、無言のまま、二口目にかぶりついた。
肉汁が口の端から滴り落ちるのも構わず、猛然と肉を貪り食う。
咀嚼し、飲み込み、また噛みちぎる。
そこには、精鋭部隊の隊長としての品格も、肉に対する嫌悪もなかった。ただ、目の前の極上の味に貪りつく一人の男がいた。
あっという間に巨大な肉塊を平らげたレオンは、皿を置き、大きく息を吐いた。
その顔は赤く紅潮し、目は異様なほど輝いている。
「隊長……いかが、でしたか?」
部下の一人が恐る恐る尋ねた。
レオンは部下たちを見回し、そして俺を見た。
「……すまない。テッペイ殿」
「なんだ? 焼き加減が気に入らなかったか?」
「いや」
レオンは真剣な顔で、皿を両手で持って前に突き出した。
「おかわりを、いただけるだろうか」
広場が静まり返った。
数秒後、十九人の兵士たちが、一斉にフォークを手に取った。
「う、うおおおお!」
「なんだこれ! なんだこの味は!」
「美味い! 止まらん、手が止まらん!」
先ほどの葬式のような空気はどこへやら。
広場は、野獣の群れが餌に群がるような熱狂に包まれた。
「慌てんな。今日の分はある。だが、毎日この量を食いたければ、お前らにも狩りと保存を覚えてもらうぞ」
俺の足元で、ガルドが『お前らも手伝えよ』と言わんばかりに鼻を鳴らした。
兵士たちは泣きながら肉を食っていた。
彼らが今まで食わされてきた「肉」とは別次元の、本物の味。細胞の隅々まで染み込ませるように、無言で頬張っている。
ベルントが、杖をつきながら俺の横に並んだ。
「……どうやら、先入観より食欲が勝ったようだな」
「人間なんてそんなもんです。美味い飯の前じゃ、理屈は吹っ飛びますよ」
「明日からは、彼らにも働いてもらうのだな」
「ええ。肉を食うなら、狩りも手伝ってもらいますよ。精鋭なんでしょ? ガルドの良い相棒になるはずだ」
鉄板の上で、新しい肉が音を立てて焼けていく。
黒田精肉店、ルーンハルト特区支店。
どうやら、最初の上得意客は、辺境伯の精鋭部隊になりそうだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。いよいよ物語も終盤です。明日から毎日2話づつ更新する予定です。最後までお楽しみください。




