【第37話】徴税官
朝から空気が重かった。
雨ではない。風もない。ただ、何かが近づいてくるような気配があった。
ユーリが畑から走ってきた。
「テッペイ、馬車だ。二台来てる。村の入り口に止まった」
行商人の馬車とは違う。ゲルハルトの来る日でもない。
ガルドが俺の足元で毛を逆立てた。知らない人間の臭いを感じている。
まずい。兵士がいる。あのでかさの魔獣が村にいると知れたら、何をされるかわからない。
「ユーリ、ガルドを森に隠せ。絶対に見つかるな」
ユーリが頷き、ガルドの首を抱えて裏の森へ走った。ガルドは一度だけ振り返ったが、ユーリに引かれて木々の間に消えた。
村の入り口に行くと、ベルントがもう立っていた。腕を組んで、前方を睨んでいる。
二台の馬車から、男たちが降りてきた。先頭の男は四十がらみ。痩せていて、顎が尖っている。灰色の外套を羽織り、腰に革の書類入れをぶら下げていた。その後ろに、兵士が四人。短槍を持っている。
「ルーンハルトの村長はどなたか」
顎の尖った男が言った。声に愛想がない。最初から喧嘩を売りに来たような目だ。
「儂だ。何の用だ」
ベルントが前に出た。
「ハルテン徴税管区の徴税官、ブルクハルトと申します。本日は、この村の納税状況の監査にまいりました」
徴税官。聞いたことのない男だ。だが、ゲルハルトが前に言っていた。市場街に厄介な連中がいると。こいつがそうか。
「監査だと。税はきちんと納めている。ゲルハルトに預けて、毎月届けさせている」
「存じております。ただ、最近この辺りの辺境の村で申告漏れが見つかりましてね。管区全体で確認を取っている次第です」
笑みのない顔だった。口元は動いているが、目が笑っていない。汗もかいていない。馬車で何時間も揺られてきたはずなのに、外套に皺一つない。人間というより、帳簿に足が生えて歩いてきたような男だった。
嘘だろう。管区全体で一斉にやるなら、他の村にも行っているはずだ。近隣のハイデ村やブレンナー村からの移住者がうちにはいる。そんな話があれば、とっくに伝わっている。馬車二台に兵士四人をつけて、うちの村だけに来ている。
ブルクハルトはベルントを見ず、俺の後ろに目を向けた。村の中を見ている。新しい建物、広場、畑、井戸の手押しポンプ。値踏みするような目だった。
「随分と立派になりましたな。辺境の寒村が見違えました」
その一言で確信した。こいつは村のことを知っている。誰かから聞いている。
ベルントの家に通された。ブルクハルトは腰を下ろすと、革の書類入れから帳面を何冊も出した。兵士二人が入り口に立った。残りの二人は外で待っている。
「では、まず今期の生産物の申告を確認させていただきます」
ベルントが台帳を出した。この村では、ベルントが税の計算と記録を全てやっている。几帳面な男だ。数字に狂いはない。
ブルクハルトが台帳を受け取り、一枚ずつめくった。めくるたびに、口の端が少し動く。何かを見つけたというより、最初から結論を決めてきた顔だった。
「麦酒の生産が記載されていませんが」
「うちの村では麦酒は作っていない」
「では、蒸留酒は」
俺とベルントが目を合わせた。
「蒸留酒は作っている。だが、これは今期から始めたばかりだ。まだ申告の時期ではない」
「そうですか。しかし、生産を開始した時点で申告の義務がございます。領地法の第十七条、醸造に関する特別課税の対象となります」
ブルクハルトが帳面の一つを開いた。細かい文字がびっしり書かれている。
「醸造税。蒸留酒の場合、生産量一壺につき銅貨三十枚。加えて、醸造設備に対する設備税が年間銀貨五枚。さらに、市場への卸売には流通許可税が必要でして、年間銀貨三枚」
ベルントの顔が固まった。
「そんな税は聞いたことがない」
「領地法は複雑ですからな。辺境の村では把握されていなくても無理はありません。ですが、知らなかったでは済みません」
俺は黙って聞いていた。拳を握りしめていた。前の世界の税務署を思い出した。帳簿をひっくり返されて、知らなかったでは通りませんと言われた日のことを。
だが、あの時はまだ法律があった。ルールがあった。ここには何もない。こいつが法律だ。
「それだけではありません。村の人口が増加しておりますね。八十七人から二百人を超えていると。人頭税の追加分が未納です」
「人頭税は毎期きちんと——」
「八十七人分は確認しております。しかし、増加分の百十三人分が未申告です。一人あたり銅貨二十枚。合計で銀貨四十五枚と銅貨十枚」
ベルントが声を絞り出した。
「移住者の分は、移住した時期から日割りで計算して、次期にまとめて納める約束になっている。前の徴税官もそれで認めていた」
「前の担当者の裁量は、私の管轄ではありません」
「ならば、せめて初回は注意でよいのではないか。蒸留酒の申告にしても、知らなかったのだから——」
「注意で済む規定はございません」
ブルクハルトの声に抑揚がなかった。淡々と数字を重ねてくる。感情がない。
「さらに、無申告に対する追徴課税がかかります。申告を怠った場合、本税の五割増しが追徴分として加算されます」
五割増し。聞いたこともない。
「そんな規定は——」
「領地法の施行細則にございます。村長がご存知ないのは仕方ありません。しかし、知らなかったでは済みません」
ベルントが机を叩いた。
「もうよい。全部でいくらだ」
ブルクハルトが帳面を開き直した。指で数字を追いながら、淡々と読み上げた。
「まず蒸留酒。これまでの生産量を十五壺と認定します。一壺銅貨三十枚で、銀貨九枚。設備税が銀貨五枚。流通許可税が銀貨三枚。人頭税の未申告分が銀貨四十五枚と銅貨十枚。さらに耕作面積の拡大と新築家屋の土地再査定が銀貨二十五枚。ここまでが本税で、銀貨八十七枚と銅貨十枚です」
一気に並べ立てた。こちらに考える隙を与えない。
「これに無申告分の追徴五割を加えます。合計で、銀貨百三十枚と銅貨四十枚」
部屋が静まり返った。
銀貨百三十枚。村の共有金庫には、半年間の交易で貯めた銀貨が百枚近くあった。新しい水路を引くため、山羊と鶏を増やすため、使わずに残していた金だ。それでも足りない。三十枚足りない。
「今すぐ払えと」
「本日中にお納めいただければ、延滞金は発生しません。猶予をお求めになる場合は、延滞金として月に一割が加算されます」
一割。借りたら最後、雪だるまだ。
ベルントが目を閉じた。長い沈黙だった。六十年この村を守ってきた男の背中が、初めて小さく見えた。
「……金庫にあるだけ出す。足りない分は——」
「現金が不足している場合に限り、領地法では現物納付も認められております」
ブルクハルトが穏やかな声で言った。穏やかに聞こえた。
「村長のご負担を少しでも軽くするため、今回はその制度をご利用になるのがよろしいでしょう。穀物、保存食。銀貨相当の物品で充当いたします。査定は公正に行います」
善意のような顔をしていた。自分で首を絞めておいて、縄を緩めてやると言っている。
ブルクハルトが保管庫を見て回った。兵士が扉を開ける。麦の袋が並んでいる棚を一瞥して、帳面に書き込んだ。
「麦一袋を銅貨十枚で査定します」
ベルントが顔色を変えた。
「待て。市場では一袋三十枚で売れる。ゲルハルトとの取引でもそうだ」
「ここは市場ではありません。運搬費と品質劣化を差し引いた査定です」
三分の一だ。銀貨三十枚分の食料を奪うのに、市場価格なら麦五十袋ほどで済む。だがこの査定なら百五十袋以上持っていかれる。保管庫の麦がほとんど消える。
「塩漬けの瓶は一つ銅貨五枚。乾燥根菜は束ごと銅貨三枚」
誰も何も言えなかった。
俺が口を開いた。
「食料を全部持っていったら、この村は飢える。子供もいる。老人もいる。それでもか」
ブルクハルトがこちらを見た。初めて目が合った。何の感情もなかった。
「税の納付義務と、村の事情は関係ございません」
ベルントが金庫を開けた。銀貨を数えるベルントの手が、かすかに震えていた。銀貨百枚。金庫の底が見えた。
ブルクハルトは銀貨を受け取ると、丁寧に数え直した。
「残りは銀貨三十枚と銅貨四十枚分ですね」
兵士が保管庫に向かった。麦の袋、塩漬けの瓶、乾燥させた根菜の束。村の冬支度の蓄えが、次々と馬車に積まれていく。
ニーナが走ってきた。
「あれは来月の分の——」
ユーリがニーナの腕を掴んで止めた。兵士は短槍を持っている。
その時、森の方から低い唸り声が聞こえた。
背筋が凍った。ガルドだ。
村の空気を感じ取っている。みんなの怒りと恐れ、見知らぬ人間の臭い。ガルドにとっては敵の気配だ。
ブルクハルトが森の方を見た。
「今のは何ですか」
「野犬です」
俺は即答した。声が裏返らなかったのが奇跡だった。
「森が近いので、たまに出ます。人は襲わないんで」
ブルクハルトはそれ以上興味を示さなかった。帳面に目を落とし、食料の数を数え始めた。
クラウスが拳を握りしめていた。エルストが子供を抱えて立ちすくんでいた。村中の人間が、馬車に積まれていく食料を見ていた。何もできなかった。
ブルクハルトが領収書を書いた。
「確かに。では、今後は蒸留酒の生産台帳をつけてください。四半期ごとに提出していただきます。次の査定は三か月後です」
三か月後。つまり、また来る。また同じことをされる。
ブルクハルトが馬車に乗り込む前に、一度だけ振り返った。村を見渡すような目だった。品定めではない。もう値段がついたものを確認する目だ。
馬車が去った後、村は静かだった。
誰も動かなかった。馬車の轍の跡だけが、広場の土に残っていた。
ユーリが俺の隣に立っていた。何も言わなかった。
クラウスが保管庫の前に立っていた。扉が開いたまま、中はがらんどうだった。棚の隅に麦の袋が数個と、割れかけた瓶がいくつか残っているだけだ。昨日までぎっしり詰まっていた蓄えが、消えていた。
エルストが低い声で言った。
「俺たちは何をしたんですか。畑を耕して、井戸を掘って、家を建てた。飢えないように、冬を越せるように、毎日働いた。それが悪いことだったんですか」
誰も答えなかった。
ニーナが子供を抱いたまま、保管庫の前に座り込んでいた。来月の麦が入っていた棚を見つめている。
「テッペイ」
ユーリの声が震えていた。
「俺たちが頑張るほど、こういう目に遭うのか。村が豊かになったから、こいつらが来たんだろう。貧しいままなら、見向きもしなかった。豊かになったら搾り取りに来る。じゃあ、どうすればいい。頑張るなってことか。平民は貧しいままでいろってことか」
答えが出なかった。前の世界でも、稼げば稼ぐほど払う額は増えた。だが、少なくとも計算の根拠は確認できた。納得できなければ異議を申し立てる場所もあった。ここには、それすらない。一人の男が帳面を開いて、好きな数字を書き込めば、それが税になる。
ベルントが家の前に座り込んでいた。膝に手を置いて、動かない。
「ベルント」
声をかけた。返事がなかった。
「テッペイ」
しばらくして、ベルントが顔を上げた。目が赤かった。
「儂は六十年この村にいる。税が重い年もあった。不作の年もあった。だが、こんなやり方は初めてだ。あれは税ではない。あれは——」
言葉が途切れた。ベルントの拳が震えていた。
俺はベルントの隣に座った。
前の世界で、税務署に入られた日を思い出していた。あの時も何も言えなかった。帳簿を見せて、領収書をもらって、頭を下げて帰った。正しいことをしていたのに、何一つ守れなかった。
今もそうだ。
村のために稼いだ金が、一人の役人の帳面で消えた。合法だと言われた。知らなかったではすまないと言われた。食料まで持っていかれた。子供の食う飯まで。
「テッペイ。一つ聞きたい」
ベルントが静かに言った。
「なぜ、あの男は急にこの村に来た。六十年、徴税官が村まで足を運んだことは一度もない。いつも書類を送って、金を届けて、それで済んでいた」
俺も同じことを考えていた。
タイミングが出来すぎている。マルタの店に麦火酒を入れた。ビアスとレンツが戻った。三軒の店が商会の麦酒なしで商売を始めた。その直後に、徴税官が村に来る。
「商会だろう」
「……やはり、そう思うか」
ベルントが立ち上がった。膝が震えている。だが、目は据わっていた。
「次に来たら、同じようにはさせん。儂はもう、黙って払わん」
その声に、六十年分の怒りが籠もっていた。
俺は何も言わなかった。ただ、頷いた。
商売では潰せないから、権力で潰しに来た。商会のやり方だ。前の世界でもあった。大手が地元の店を追い出す時、直接手を汚さない。行政を使う。法律を使う。正しさを装って、相手の足元を崩す。
だが、前の世界では泣き寝入りしかできなかった。
ここでは、まだ手がある。何ができるかはわからない。だが、まず敵を知らなければならない。
ゲルハルトに会う。ブルクハルトの背後にいる人間と、この領地の法がどうなっているのか。全部知る必要がある。
黙って搾られるだけの肉屋は、前の世界で終わりにした。




