【第33話】仕込み
グスタフが村に来たのは、クラウスに手紙を出して五日後だった。
ゲルハルトの馬車から降りてきた男は、腕が丸太のように太く、胸まで伸びた顎髭が風に揺れていた。背中には革の工具袋を担いでいる。
「テッペイ。クラウスの手紙を読んだぞ。新しい酒を造るんだって?」
挨拶もなしだった。目が笑っている。酒の話に飢えた犬の目だ。
「グスタフ親方。わざわざ来てもらって申し訳ない」
「申し訳ないなら酒をくれ。馬車の中で喉が干上がった」
クラウスがミードを一杯持ってきた。グスタフが一口飲んで、眉が上がった。
「おい。味が変わったぞ。前より香りが強い。何をした」
「村にいるニーナという女性が香草の配合を変えたんです。半乾きの状態で入れると香りが残ると」
「ほう。大した腕だな」
グスタフは二杯目を飲み干してから、ようやく腰を落ち着けた。
「それで。蒸留酒とやらの話を聞かせろ」
俺は知っていることを話した。酒を熱すると蒸気が出る。その蒸気を管に通して冷やすと、元の酒より強い酒が取れる。それだけだ。
「……それだけか」
「それだけだ。形も温度もわからない。だから親方の知恵を借りたい」
グスタフが顎髭を引っ張った。しばらく黙っていた。
「面白いな。俺は若い頃、あちこちの醸造所の釜や配管を作る仕事をやった。ブランツの親父にも、ハルマンの爺さんにも、酒の造り方を散々聞いた。醸造の原理はわかる。酒は糖を発酵させてできる。発酵すると酒精が生まれる。その酒精だけを取り出す方法があると、そういうことだな。実は蒸留釜なら見たことがある。あちこちの酒場で出す安い火酒を作るのに使っていた。ただし、臭くて飲めたもんじゃない。あれは薬と変わらん」
俺が言った以上のことを、一瞬で整理した。
「壺の口を狭くして、蒸気が逃げないようにする。そこから管を伸ばして、管の周りを水で冷やす。蒸気が冷えれば液に戻る。理屈は通る。ただし、完全に塞ぐのは駄目だ。管が詰まれば釜が破裂する。蒸気の逃げ道は必ず残す」
グスタフが地面に指で図を描き始めた。俺が前にクラウスに見せたものより、はるかに精密だった。
「管は銅がいい。曲げやすくて、熱の伝わりが良い。継ぎ目から漏れないよう、錫で塞ぐ。クラウス、銅板は持っているか」
「ドルンから取り寄せます。三日で届きます」
「壺は陶器じゃなく、銅で作った方がいいかもしれん。火の回りが均一になる。焦げも防げる」
グスタフの目が完全に変わっていた。酒飲みの目ではなく、鍛冶師の目だ。
「テッペイ。材料は何を使う」
「この村の畑で採れた麦と果実だ。特別な堆肥で育てている。味が濃い」
「見せろ」
畑に連れていった。グスタフは麦の穂を一つ摘んで、掌で揉んだ。粒を指先で潰して、鼻に近づけた。醸造所で覚えたやり方だろう。
「香りが強い。こんな麦は見たことがない。これで酒を仕込めば……」
グスタフが振り返った。顎髭の奥で、口角が上がっていた。
「テッペイ。俺はしばらくこの村にいるぞ。帰れと言っても帰らん」
「飯は出す。酒も出す。その代わり、最高の蒸留器を作ってくれ」
「当たり前だ」
蒸留器の完成を待つ間に、やることは二つあった。一つは麦の原酒の仕込みだ。蒸留するには、まず麦から酒を作らなければならない。グスタフの指示で麦を水に浸し、発酵を始めた。蒸留器が完成する頃には、原酒が使える状態になるはずだ。
もう一つは、前から気になっていた別の仕込みだ。
モーリーの乳だ。
モーリーはチビを産んでからまだ乳が止まっていない。毎朝、チビの分を残してもヒルダが壺二杯ほど搾れる。いつまで続くかはわからないが、出るうちに使い道を考えておきたい。
前の世界で、チーズの作り方を見たことがある。テレビの料理番組だったか。牛乳を温めて、酢を入れる。固まった塊を布で絞る。それだけで簡単なチーズができる。
この世界に酢はある。ニーナが果実から作った果実酢だ。
やってみた。
搾りたての乳を鍋で温める。沸騰する手前で火を引き、果実酢を少しずつ加える。白い塊が浮いてきた。布で漉して、重しを載せて水気を切る。
翌朝、布を開いた。
白い塊がそこにあった。手で割ると、しっとりとした断面が見えた。
一口食べた。
「……チーズだ」
前の世界のパニールに近い。酸味がある。ほんのり甘い。果実酢の風味が残っていて、熟成チーズとは別物だが、これは間違いなくチーズだ。
薄く切って、鉄板に載せた。表面がこんがりと色づいたが、形は崩れない。外は香ばしく、中はしっとりしている。焼いても溶けないのがこのチーズの特徴だ。
「テッペイ、それ何だ」
ユーリが鼻をひくつかせて近づいてきた。
「食べてみろ」
一切れ渡した。ユーリが口に入れた。目が丸くなった。
「何だこれ。外がカリッとして、中はしっとりで、しっかり味がある。乳の味がするけど、乳じゃない」
「牛の乳から作った。チーズという」
「チーズ……」
ユーリがもう一切れ手を伸ばした。
これを酒のつまみにする。焼いたチーズ、塩を振ったチーズ、香草を混ぜたチーズ。ミードにも合う。蒸留酒にも合うはずだ。
手札が一つ増えた。まだ足りないかもしれない。だが、一つずつ揃えていけばいい。
鍛冶場から金属を叩く音が聞こえてくる。グスタフとクラウスが蒸留器の部品を作っている。
畑では、ヒルダの世話する蜂が花を飛び回っている。ニーナが新しい香草を乾かしている。
この村の全員が、それぞれの持ち場で仕込みを進めている。
前の世界では、俺一人で何とかしようとして、結局何もできなかった。今は違う。一人ではできないことを、みんなでやっている。
鍛冶場の槌音が、少しだけ心強く聞こえた。




