【第31話】ミードの評判
ハルテンの市場町に着いたのは昼過ぎだった。
ゲルハルトの馬車から降りて、見慣れた石畳の大通りを歩く。今回はユーリも一緒だ。布や革の仕入れを頼んである。ガルドは村で留守番だ。A級魔獣を街に連れて行けば大騒ぎになる。何度来ても、ここの人の多さには慣れない。ルーンハルトが二百人になったとはいえ、五千人の街とは比べものにならない。
今日の用事は一つ。マルタに会いに行く。
銅の杯亭の扉を開けると、昼飯時の喧騒が飛び込んできた。席はほとんど埋まっている。マルタがカウンターの奥で鍋をかき混ぜていた。長い木匙を持ち上げて舐め、何かを足し、またかき混ぜる。
「マルタ、来たぞ」
「見りゃわかるよ。座ってな。今手が離せない」
マルタは振り返りもしなかった。忙しい時はいつもこうだ。この女に遠慮という概念はない。
カウンターの端に座って待った。ゲルハルトは店の裏手に壺を下ろすと、別の用があると言って馬車で出かけた。
しばらくして昼の波が引くと、マルタが皿を片づけながら俺の前に来た。
「で、持ってきたのかい」
「壺六つ。裏に下ろしてある」
「六つか。足りるかね」
マルタが腕を組んだ。
前に干し果実の礼として届けた一壺のミードが、想像以上の反応を呼んでいた。マルタが常連客に少しずつ飲ませたところ、翌月には「あの甘い酒はまだあるのか」と聞く客が絶えなくなったという。
「あんたが持ってきたあの一壺、少しずつ試しに飲ませたんだよ。そしたら全員が同じことを言った。『もう一杯くれ』。止めても聞かない。一晩で壺が空になった」
「蜂蜜の甘さがあるのに、後味がすっきりしている。花の香りが鼻に残る。こんな酒は飲んだことがないと、口を揃えて言うんだよ」
花の香りはニーナが調合した香草のおかげだ。蜂蜜と清水だけでは甘すぎる。香草を少量加えることで、飲んだ後に花畑を歩いたような余韻が残る。前の世界で飲んだクラフトミードの記憶を頼りに、何度も配合を変えた。
「それで、値段の話がしたいんだが」
「あんたはいくら欲しい」
「酒の相場がわからん。マルタならいくらで買う」
「壺一つで銀貨一枚。杯売りにすれば壺一つから二十杯取れる。一杯銅貨五枚で出す」
壺一つの仕入れが銀貨一枚、つまり銅貨五十枚。杯売りで銅貨百枚。差し引き五十枚がマルタの取り分だ。麦酒より高いが、干し果物を買うのと同じくらいだから、庶民にとっても手が届く。マルタにとっても悪くない利幅だ。
村で作る原価を頭の中で弾いた。蜂蜜はヒルダの巣箱から取れる。清水は山の湧き水。香草はニーナが村の周りで摘んでくる。壺の代金と手間賃を入れても、銅貨十枚もかからない。運搬はゲルハルトの馬車に相乗りできる。最初の卸値としては十分だ。
「銀貨一枚でいい」
「決まりだね」
マルタが手を叩いた。
俺は裏口から壺六つを運び入れた。三つはすぐに使う分、残りの三つは貯蔵室だ。涼しい石壁の部屋に壺を並べると、マルタが蓋を開けて匂いを確かめた。
「香りが前のより強い。配合を変えたのかい」
「ニーナが香草の乾燥時間を調整した。生のままより、半乾きの状態で入れたほうが香りが残るとわかった」
「ニーナってのは賢い女だね。今度連れてきな」
その夜は、銅の杯亭に残って客の反応を見た。
マルタが「新しい酒が入った」と声をかけるだけで、常連が集まった。前回の試飲の味が忘れられない客たちだ。木の杯に琥珀色の液体を注ぐと、カウンター越しに首を伸ばす男が何人もいた。
一口飲んだ男が、隣の男に杯を押しつけた。
「飲んでみろ。麦酒とは別物だ」
隣の男が飲んだ。目が変わった。
「……甘い。だが、酒だ。こんなのは初めて飲んだ」
その言葉が隣の席に伝わり、その隣に伝わった。壺一つ目は二刻で空になった。マルタがすぐに二つ目を開けた。
「テッペイ。近いうちに、面倒な連中が来るかもしれない」
「面倒な連中?」
「ビアスとレンツ。二つ隣の居酒屋と、通り向こうの食堂だ。二人とも、前からうちがあんたのドレッシングやらで評判を取ってるのを気にしてたんだよ。そこに試飲で出した甘い酒の噂が広まって、今日うちの店に来て、仕入れ先を聞き出そうとしやがった」
マルタの声が苛立っていた。
「教えてないだろうな」
「当たり前だ。だが、あんたがゲルハルトの馬車で来たのは見られてる。そのうち、直接あんたのところに来るだろう」
「どうする。他の店にも卸すか」
「すぐには全部は無理だ。銅の杯亭が最優先。他の店は、増産の目処がついてからになる」
「当然だ。うちが先だからね」
マルタが当たり前の顔で言った。だが、組んでいた腕がほどけていた。
カウンターにもたれて、空になった壺を見た。旨いものが人を動かす。それは前の世界でも、この世界でも変わらない。コロッケの試食で行列を作ったあの日と、やっていることは同じだ。
「テッペイ」
マルタの声が低くなった。
「一つ言っておく。この街の酒はフェルゲン商会が仕切っている。麦酒も蒸留酒も、あそこを通さずに流通させた店はない」
「俺のミードは、どこも通していないが」
「だから言ってるんだよ。今は量が少ないから見逃されているだけだ。これだけ評判になれば、必ず目をつけられる。あそこの連中は、旨い話を嗅ぎつけたら絶対に手を出してくる」
マルタの目が据わっていた。
「どうしろと」
「今は何もするな。だが、商会から声がかかった時に慌てるな。あいつらの条件を鵜呑みにしたら、最後にはお前の取り分は何も残らない」
前の世界のスーパーとの取引を思い出した。最初は好条件を提示され、契約した途端に値引きを要求された。断ったら棚から下ろされた。
「忠告、覚えておく」
マルタが鼻を鳴らした。
「覚えておけじゃない。身に刻んどけ。この街で商売するなら、あんたの旨い酒だけじゃ守れないものがある」
俺はミードの残り香が漂う杯を置いた。旨いものを作る。それだけでは足りない。前の世界でも同じ失敗をした。だが、今度は同じ轍は踏まない。
帰り道、夜風が冷たかった。ゲルハルトの倉庫に戻ると、仕入れを終えたユーリが待っていた。
「どうだった」
「売れた。もっと作らなきゃいけない。蜂の巣箱を増やせるか、ヒルダに相談してくれ」
「わかった」
ユーリは嬉しそうだった。この男は、村が良くなる話を聞くといつも目が輝く。
だが、俺の頭の中にはマルタの言葉が残っていた。
フェルゲン商会。覚えておく。




