第23話:鍛冶の街
金具が届いた。ゲルハルトに頼んでから十日。約束通りだった。
ヘルマンが金具を一つずつ確かめた。樋の継ぎ手、締め金、取水口の留め具。全部揃っている。
「これなら使える。水路にかかる」
ヘルマンとカイルが水路を進めてくれる。その間に、俺はもう一つの問題に取りかかる。
調理器具だ。
ゲルハルトに鍛冶の街のことは聞いてあった。村から東に丸一日歩いた先にある小さな街で、ドルンという。近くの山で良い鉄が取れるから、昔から鍛冶職人が集まっているらしい。
木の板に炭で図を描いた。フライパンは単純だ。浅い鉄の皿に長い柄をつけたもの。厚みは指の半分ほど。火の通りを均一にするためだ。ミンサーのほうが厄介だった。筒の中に螺旋の刃を入れて、肉を押し込むと細かくなって出てくる。何度描き直しても、見たことのない人間に伝わるかどうか自信がない。
ユーリと二人で出発した。ヒルダは鶏の世話がある。ベルントに行き先を伝えると、「気をつけて行け」とだけ言った。
一日歩いて、日が暮れかかった頃だった。丘を越えると、少し先の斜面に煙が見えた。
丘の斜面にへばりつくように建物が並んでいる。石造りの低い建物ばかりだ。あちこちから煙が上がり、金属を叩く音が絶え間なく響いている。
ドルンは煙と音の街だった。
安宿に一泊して、翌朝から工房を回った。
最初の工房は通りに面した大きな店だった。白髪の親方が鉄の棒を叩いている。俺たちに気づいて手を止めた。
「何だ」
「こういう道具を作ってもらいたい」
木の板を見せた。フライパンの図だ。
親方がしばらく眺めて、板を返した。
「何だこれは」
「フライパンという道具だ。底が平らで浅い鉄の皿に、長い柄がついている。食い物を焼く」
「食い物を焼く道具なら鉄鍋がある。そこの通りで売ってるぞ」
「鍋とは違う。底が平らで縁が低い。油を引いて、食い物を直に焼く。均一に熱が通るように底の厚みが——」
「悪いが、興味がない。よそを当たってくれ」
それで終わりだった。
二軒目は農具専門の工房だった。若い職人が図を見て首をかしげた。
「うちは農具専門でな。悪いが他を当たってくれ」
三軒目。大柄な親方が腕を組んで、俺を上から見下ろした。
「あんた、どこから来た」
「南の辺境の村だ」
「辺境の百姓が、見たこともない道具の図面を持って来て、作れだと?」
親方の口元が歪んだ。
「料理だ。食い物を作る道具が——」
親方が笑った。声を上げてではなく、鼻で。
「百姓が、料理だと? 百姓は畑を耕していればいい。料理は料理人の仕事だ。何を勘違いしている」
ユーリが横で拳を握りしめたが、俺が首を振った。ここで揉めても意味がない。
四軒目は小さな工房だった。痩せた職人が図面を見て、初めて顕を上げた。
「作れなくはないが、試作だからな。銀貨五十枚だ」
五十枚。村の半年分の稼ぎだ。ふっかけるにも程がある。
「……考えさせてくれ」
そう言って店を出た。考えるまでもない。払えるわけがない。
四軒回って全滅だった。フライパンの説明で全部終わる。ミンサーの図は出す機会すらなかった。
通りのはずれの井戸端に座って、水を飲んだ。
「テッペイ、腹が立たないのか」
「立つよ。だが、職人の気持ちもわかる」
見たことがない道具を、見たことがない人間が持ち込んで、作ってくれと言う。信用がない。実績がない。俺が親方の立場でも断る。
精肉店の時もそうだった。親父が倒れて、二十歳で店を継いだ。新しい仕入れ先を開拓しようと老舗の問屋に飛び込んだら、門前払いだ。「まず十年やってから来い」と言われた。悔しくて、一週間眠れなかった。
十年やった。二十年やった。そのうち向こうから電話が来るようになった。
信用は一日では作れない。だが、作れないわけじゃない。
「帰るぞ、ユーリ」
立ち上がった時だった。
「あの」
声がした。振り向くと、若い男が立っている。十代の終わりか、二十歳になるかならないかだ。手が煤で黒く汚れている。さっき三軒目の工房で、親方の後ろにいた見習いだ。
「さっきの図面、もう一回見せてもらえませんか」
「いいが、お前の親方に断られたぞ」
「親方は頭が固いんです。でも俺、気になって。あの平たい皿みたいなやつ、食い物を焼くって言ってたでしょう。どんな食い物を焼くんですか」
「いろいろだ。卵を焼く。野菜を炒める。油を引いた鉄の上で焼くと、見たことも聞いたこともないような旨い料理ができる」
見習いの喉が、ごくりと動いた。
「旨い料理……」
「外は香ばしく、中は柔らかく仕上がる。鍋じゃできない料理だ」
見習いが図面を食い入るように見つめた。指で鉄の厚みの線をなぞっている。職人の指だった。
「俺、クラウスっていいます。その料理、いつか食べさせてもらえませんか」
「ああ。だがその前に、一つ聞いていいか」
「何ですか」
「どうしたら、この街の職人に作ってもらえると思う」
クラウスが首をかしげた。少し考えてから、言った。
「正直に言うと、難しいです。親方たちは腕に自信がある分、知らないものには手を出さない。特にうちの親方は」
「何か手がかりはないか。職人が喜ぶものとか」
「喜ぶもの……」
クラウスが笑った。見習いらしからぬ、人懐っこい笑い方だった。
「酒ですかね」
「酒?」
「この街の職人は、みんな酒が好きなんです。仕事が終わったら酒場に集まって、夜遅くまで飲んでる。いい酒を持っていけば、話くらいは聞いてもらえるかもしれない」
「いい酒か……。この街の酒は旨いのか」
「うーん、俺はそんなに飲まないんでわからないけど、親方たちはいつも『もっと旨い酒が飲みたい』って言ってます。麦酒しかないから、毎日同じ味で飽きてるみたいで」
麦酒しかない。そして、その麦酒が旨くない。水で割ったみたいだと俺は思ったが、この街の住人にとってはあれが普通の酒なんだろう。だが俺は、旨い酒の味を知っている。
酒飲みが不満を抱えているなら、そこに付け入る余地がある。
酒か。俺は醸造のプロじゃない。だが、村には蜂蜜がある。ヒルダの巣箱から、少しずつ蜂蜜が溜まってきていた。蜂蜜と水を混ぜて、パン種か干し果実を放り込んで発酵させれば、ミードという酒になる。前の世界で飲んだことがある。甘くて、度数も高い。麦酒とは別物だ。干し果実は、マルタの店で分けてもらえるかもしれない。
作れるかどうかはわからない。だが、試す価値はある。
「クラウス、もう一度来る。その時は、この街の職人が飲んだことのない酒を持ってくる」
クラウスが目を丸くした。
「酒ですか? 旨い料理だけじゃなく、酒も作れるんですか」
「作れるかどうかはこれからだ。だが、旨い酒があれば、話を聞いてもらえるんだろう?」
クラウスが大きく頷いた。
「絶対来てくださいね。俺、待ってますから」
クラウスが工房に走って戻っていった。
ユーリが横で笑っている。
「テッペイ、お前酒も作れるのか! ならもっと早く作ってくれよ、村のみんな喜ぶぞ」
「作れるかどうかはこれからだ。だが、客が欲しいものを持っていく。商売の基本だろう」
帰り道は長かった。足が重い。だが、頭の中では蜂蜜酒の仕込みが始まっていた。
蜂蜜の量、水の割合、発酵の温度。知識はあやふやだ。失敗するかもしれない。だが、鍛冶職人の喉を唸らせる酒が作れたら、道は開ける。
あの目を思い出す。クラウスの、旨い飯に飢えた目。そして酒場で薄い麦酒を文句言いながら飲んでいる職人たち。
肉屋の親父は、腹を空かせた人間を放っておけない。




