第22話:雛と金
市場町から戻った翌日、ベルントが俺を呼んだ。
「テッペイ。売上の話をしよう」
焚き火の前に座った。ユーリとヒルダもいる。
「銀貨三十五枚だ。前回の二十二枚と合わせて、五十七枚。ゲルハルトへの礼に五枚、市場の出店料と宿代で三枚。手元に残るのは四十九枚ほどだ」
ベルントが頷いた。
「四十九枚。この村が半年で稼ぐ額だ。で、その金をどう使う」
俺は考えていたことを話した。
「マルタの注文に応えるには、生産量を上げないといけない。まず鶏の雛を買いたい。卵が増えれば商品が増える。それから、鍛冶職人を探してフライパンと包丁を作ってもらう。道具がなければ、これ以上の料理は作れない」
ベルントが黙っていた。
「テッペイ。一つ聞く」
「何だ」
「畑の水やりはどうする」
その一言で、空気が変わった。
ユーリが口を開いた。
「今は俺とカイルで毎朝、小川から水を運んでいる。桶で十五往復。畑が広がった分、二十往復になった。腰が限界だ」
ユーリの声に疲れが滲んでいた。
ベルントの声は静かだったが、重かった。
「鶏も道具も大事だろう。だが、水がなければ畑が枯れる。畑が枯れたら、売る芋がなくなる。芋がなくなったら、商売も終わりだ」
「……そうだな」
ベルントが正しい。商売の前に、畑がある。畑の前に、水がある。基盤がなければ、何も成り立たない。
「水路を引けないか」
ヘルマンが口を開いた。
「小川から畑まで、木の樋を渡す。傾斜を使えば、水は勝手に流れる」
「それにはどれくらいかかる」
「木材は森から切り出せる。だが、樋の継ぎ目を止める金具がいる。それと、小川の取水口に石を積む作業。二人で十日。金具は……鍛冶に頼むしかない」
結局、鍛冶職人がいる。水路にも、道具にも、鍛冶の技術が必要だ。
「金は限りがある。全部は一度にできない」
ベルントが言った。
「だから聞いている。テッペイ、お前は何を優先する」
俺は考えた。商売人の頭は「道具」と言っている。マルタの注文に応えれば、毎月安定した収入が入る。だが、村長の目は「水」と言っている。水がなければ、この冬を越せない。
「……水だ」
ベルントの目が少し緩んだ。
「水路の金具を鍛冶に発注する。鶏の雛も買うが、少数にする。道具は……もう少し待つ」
「わかった」
マルタには待ってもらうしかない。「旨い話には忍耐強い」と言っていた。あの女なら、事情を話せばわかってくれるだろう。
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三日後、ユーリとヒルダと三人で市場町に向かった。ゲルハルトが村に来るのは月に一度だ。次の訪問まで待てない用事は、自分の足で行くしかない。村から市場町ハルテンまで徒歩で二日。往復四日の旅だ。
用事は四つある。水路の金具をゲルハルトに仲介してもらうこと。鶏の雛を買うこと。マルタに納品を少し待ってほしいと伝えること。それと、次の出店用の塩と黒麦粉を仕入れること。金具は樋の継ぎ手や締め金だから、既製品で間に合う。ゲルハルトなら鍛冶の街に伝手がある。だが、フライパンやミンサーといった専用の調理器具は違う。この世界に存在しない道具だ。図面を見せて説明しなければ伝わらない。それは次の課題だ。ユーリは道中の護衛。街道にゴブリンが出ることがある。ヒルダは鶏を選ぶ目を持っている。弱い雛を掴まされたら元も子もない。
市場町で一日かけて用事を片づけた。ゲルハルトに金具の仲介を頼んだら、「鍛冶の街に知り合いがいる。十日もあれば届くだろう」と請け合ってくれた。マルタには事情を話した。「水路が先だ。道具はもう少し待ってくれ」と言ったら、あの女は腕を組んで「ふん、まともな判断だね」と笑った。
家畜市では、ヒルダが雛を一羽ずつ手に取って確かめた。足の色、目の輝き、羽の艶。十羽を選んで銀貨二枚。一羽あたり銅貨十枚の計算だ。安くはないが、卵を産み始めれば元は取れる。
ヒルダが藁を敷いた籠に雛を入れた。ぴよぴよと鳴く小さな塊が十個、藁の中でうごめいている。
「かわいいねぇ」
ヒルダが目を細めた。この女は鶏の世話が好きだ。村の鶏も、ヒルダが毎日世話をして卵を産ませている。
帰り道は長かった。市場町から村まで、徒歩で二日。行きと同じく途中で一泊する必要がある。
街道の外れで野営した。焚き火を起こして、ユーリが見張りに立った。
夜中に、雛が鳴き始めた。
ヒルダが飛び起きて、籠を確認した。
「冷えてる。雛が冷えてる」
春とはいえ、夜の森は冷える。雛は体温を保てない。親鳥がいれば腹の下に入れるが、親はいない。
ヒルダが自分の上着を脱いで、籠の上にかけた。それでも鳴き止まない。俺は籠を焚き火の近くに寄せた。ユーリが風除けの枝を立てた。
朝になって、籠を開けた。
三羽が動かなくなっていた。
ヒルダが籠の中を覗いて、唇を噛んだ。
「……ダメだった」
小さな体が、藁の上で固くなっている。まだ温かい。さっきまで鳴いていたのに。
「寒さか」
「たぶん。それと、揺れだ。運ぶ途中でずっと揺れてた。弱い子は持たなかった」
ヒルダの声は平坦だった。泣いてはいない。だが、目が赤い。鶏の世話を任されている女だ。命を預かっている自覚がある。
「七羽か」
十羽が七羽になった。三割が消えた。
ユーリが黙って穴を掘った。三羽を埋めた。
「次は春の暖かい日を選ぶ。運ぶ時は布で包んで、体温を保つ。それと、途中で休憩を多くとる」
「ああ」
ヒルダが立ち上がって、残った七羽の籠を抱え直した。
「この子たちは、絶対に育てる」
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村に戻ると、ヒルダが鶏小屋の隅に新しい藁を敷いて、七羽を一羽ずつ中に移していた。慣れた手つきだった。だが、手が少し震えている。
俺はそれを見て、娘の美咲のことを思い出した。
美咲が高校一年の時、学校で飼っていた兎が死んだと言って泣いていた。俺は「命を預かるってのはそういうことだ」と言った。正しいことを言ったつもりだった。だが美咲はそれ以上何も言わず、部屋に入ってしまった。
あの時、美咲が欲しかったのは正論じゃなかった。一緒に悲しんでくれる誰かだった。俺はそれがわからなかった。肉屋の親父は毎日何十キロもの肉を捌いていて、命を扱うことに慣れすぎていた。
ヒルダが最後の一羽を小屋に入れて、立ち上がった。
「ヒルダ」
「何」
「三羽のこと、すまなかった。俺がもっと早く布を用意しておけばよかった」
ヒルダが振り返った。少し驚いた顔をしていた。
「……あんたのせいじゃない」
「それでもだ。次は失敗しない。お前が選んだ七羽は、全部育てる」
ヒルダが口を引き結んで、頷いた。
夜、小屋の中で天井を見ていた。ガルドが足元で寝ている。
美咲の時は、正しいことしか言えなかった。ヒルダには、少しだけ違うことが言えた。正論じゃなく、一緒に背負う言葉を。
四十八年と少し生きて、ようやくわかったことがある。人は正しさじゃなく、隣にいてくれる奴に救われる。
「美咲。親父は少しだけ、マシになったかもな」
ガルドが鼾をかき始めた。うるさい。だが、嫌じゃない。
明日は水路の設計をヘルマンと詰める。鶏も育てないといけない。やることだらけだ。だが、それは生きている証拠だ。




