第21話:二度目の市場
二度目の市場町行きの朝、予想外のことが起きた。
「あたしも行くよ」
ヒルダが荷物を抱えて立っていた。
「男三人で商売なんて、客が寄りつかないだろう。前回だってユーリがサクラやらなきゃ誰も来なかったんだ。接客は女がやるもんだよ」
ユーリが口を開きかけたが、ヒルダに睨まれて閉じた。
「……別にいいだろ、テッペイ」
ユーリが小声で言った。俺も異論はない。ヒルダの言う通り、いかついおっさんと若い男二人の店に、この世界の客がふらっと寄ってくるとは思えない。
「ヒルダ、頼む」
今回の商品は四種類。ドレッシングの瓶が十二本。ポテトチップスを油紙で包んだものが二十袋。フライドポテト用のラッケルとナッツ油。そして卵焼き用の卵を三十個。五日分を藁に包んで貯めておいた。卵は日持ちする。フライドポテトと卵焼きは現地で調理する。出来立てが旨いからだ。
二日かけて、ゲルハルトの馬車で市場町ハルテンに着いた。前回と同じ場所に店を出す。
「テッペイ、今日は品数が多いな」
ゲルハルトが荷を降ろしながら言った。
「前回の反応を見て、いけると思った」
「いけるも何も、あの日は昼前に完売しただろう。今日はもう少し長く売れるといいが」
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店の準備を始めた。木の台に商品を並べる。ドレッシングの瓶。油紙に包んだポテトチップス。その横に、鍋を火にかけてナッツ油を熱する。フライドポテトと卵焼きは注文を受けてから作る。
「ユーリ、声かけ頼む。前回みたいにやってくれ」
「おう、任せろ」
ユーリが通りに出て、声を張り上げた。
「いらっしゃい、旨い調味料があるぞ! 野菜にかけるだけで——」
通り過ぎる客が、ユーリをちらりと見て、目を逸らした。
「——別の味になる。いや、あの、一口だけでも……」
誰も止まらない。ユーリの声がだんだん小さくなる。
ヒルダが腕を組んで見ていた。三人目の客が素通りしたところで、ヒルダが前に出た。
「はいはい、ちょっとどいて」
ユーリを押しのけて、ヒルダが通りに立った。
「ちょっとそこの奥さん! 昨日の晩飯、旦那に何か言われなかった?」
歩いていた中年の女が足を止めた。
「え?」
「うちのドレッシング使ってみな。旦那が黙って三杯食うから」
女が笑った。
「何それ、面白いね。見せてよ」
ヒルダが女を店まで案内して、小さな木の匙で試食させた。ドレッシングをかけた野菜を一口。
「……おいしい。何これ」
「だろう? 野菜にかけるだけ。料理の腕は関係ない。誰がやっても旨くなる」
「一本ちょうだい」
最初の一人が買うと、それを見ていた別の客が近づいてきた。
「おい、あの店だ! 前に旨い調味料を売ってた店!」
声を上げたのは、前回買ってくれた客だった。中年の男で、市場の仲買人らしい。
「前に買ったやつ、家族に大評判でな。また来ると思って探してたんだ。もう二本くれ」
リピーターだ。一度味を知った客が戻ってきた。
そこからは早かった。前回の客が何人か戻ってきて、その客が連れを呼び、連れがまた別の客を連れてくる。ユーリの時とは比べ物にならない速さで人が集まった。
「ユーリ、何ぼさっと見てるんだ。フライドポテト揚げろ」
「お、おう」
ユーリが鍋の前に立って、ラッケルを油に入れる。ジュワッと音がする。揚がったポテトを紙に包んで塩を振る。
「はい、フライドポテト。揚げたてだよ」
ヒルダが客に手渡す。客が一本食べて目を丸くする。
「何だこれ! 芋がこんなに旨いのか!」
「でしょう? うちの自慢だよ」
ヒルダの接客は堂に入っていた。
俺は奥で卵焼きを焼いていた。ナッツ油を引いた鍋に、溶いた卵を流す。塩を少々。木の棒で巻いて形を整える。一口サイズに切って、試食用に並べる。
「おっちゃん、それ何?」
若い女の客が覗き込んだ。
「卵焼きだ。食ってみるか」
一切れ渡した。女が食べて、顔がほころんだ。
「柔らかい……。卵ってこんな味なの?」
「油で焼くと変わるんだ。一皿どうだ」
「買う!」
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昼過ぎには、全て売り切れた。ドレッシング十二本で銀貨十二枚。チップス二十袋で銀貨十枚。卵焼きとフライドポテトで残り十三枚。合計三十五枚。
前回より品数を増やしたのに、前回と同じ時間で完売した。
人だかりが散っていく中で、一人だけ動かない男がいた。商人風だが、何も買っていない。台の上の空き瓶を、数えるような目で見ていた。
「ユーリ。あの男、前から居たか」
「は? どの男だ」
振り返った時には、もう人混みに溶けていた。
「テッペイ、これは……」
ゲルハルトが腕を組んで唸った。
「次は倍の量を持ってこい。いや、三倍だ」
「作れるかどうかが問題だ」
ヒルダが汗を拭きながら笑っている。ユーリはへとへとだ。揚げ物を続けて腕が油まみれになっている。
片付けを始めた時だった。
「ちょっと待って」
声がした。低くて、よく通る声だ。
振り向くと、背の高い女が立っていた。肩幅が広くて、腕が太い。日に焼けた顔に、はっきりした目鼻立ち。年は三十半ばか。エプロンの紐が肩からずれている。
見覚えがあった。昼前に来て、ドレッシングを二本とポテトチップスを三袋買っていった女だ。あの時はただの客だと思っていた。
「さっきの商品、店で出してみたんだよ」
「店?」
「あたしはマルタ。この先の通りで居酒屋をやってる。『銅の杯亭』って店だ」
「テッペイだ。辺境の村から来ている」
マルタが腕を組んだ。
「昼にポテトチップスを客に出してみた。あっという間になくなった。ドレッシングを野菜にかけたら、残り物の野菜が全部はけた。あんな反応、見たことないよ」
マルタの目は真剣だった。
「あたしの店に、あんたの商品を卸してくれないか」
「卸す?」
「大量に。毎月でも」
マルタが身を乗り出した。
「あたしの店は市場で働く連中が集まる店でね。食材はこの街だからそこそこ揃う。スパイスだって金を出せば手に入る。だけど、やれることが少ないんだよ。煮るか、焼くか。卵は茹でるだけ」
「油は?」
「灯りに使うもんだと思ってた。あんたの店を見て驚いたよ。油で揚げるなんて初めて見た。卵をあんなふうに料理するなんて思いつきもしなかった」
マルタの目が据わっている。
「あたしだけじゃない。この街の誰も知らないことを、あんたはやってる」
俺はマルタを見た。この女は本気だ。自分の店で実際に試して、客の反応を確かめた上で来ている。
「量の問題がある。今は村で三人で作ってるから、市場に出す分で精一杯だ」
「じゃあ増やしな。人を雇うなり、道具を揃えるなり。あたしが安定して買うから、損はさせない」
マルタの声は大きくて、通りの客が何人か振り返った。
ヒルダが横から口を出した。
「テッペイ、この人の話、聞いてみたら?」
「聞いてるよ」
「聞いてるだけじゃなくて、店を見に行きなよ。どんな店か見ないと判断できないだろう」
ヒルダの言う通りだ。
「マルタ、店を見せてくれるか」
マルタがにやりと笑った。
「来な。一杯おごるよ」
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「銅の杯亭」は市場のはずれにあった。
石造りの一階建てで、扉は開け放たれている。中に入ると、木のテーブルが五つ。椅子は簡素だが頑丈そうだ。カウンターの奥に厨房が見える。
夕方前だというのに、客がちらほらいる。荷運びの男や、市場の売り子たちだ。全員が大きなジョッキで何かを飲んでいる。
「何を出してるんだ」
「麦酒と、豆を煮たスープと、黒パン。あとはゆで卵と、野菜のサラダ。それがうちのメニューだ」
マルタが肩をすくめた。
「この街の食い物屋はどこも似たようなもんだよ」
カウンターに座って、麦酒を一口飲んだ。薄い。麦の風味はあるが、水で割ったみたいだ。こんなもんか。スープも飲んだ。豆と塩だけの味だ。旨くはないが、腹にはたまる。ゆで卵は塩もかかっていない。サラダは野菜を切っただけだ。
「なるほど」
「わかるだろ。うちの客はみんな重労働だ。汗をかいて、腹を空かせて来る。それなのに出せるのがこれだけだ。もっとガツンとくる飯があれば、客は増える。あたしはそういう料理をずっと探してたんだ」
マルタの目が真剣だった。
俺はテーブルを見回した。素朴だが、清潔だ。マルタは店をきちんと回している。客の扱いも慣れている。この女なら、商売相手として信用できる。
「マルタ、一つ聞いていいか」
「何だい」
「毎月どれくらいの量がほしい」
マルタの目が光った。
「ドレッシングは月に二十本。フライドポテトの材料は毎週分。卵焼きも同じだ。あと、あのポテトチップスってやつ、あれは酒のつまみに最高だ。五十袋は出る」
「五十?」
「うちの客を舐めるんじゃないよ。腹の空いた男が何人来ると思ってる」
思わず笑った。
「すぐには無理だ。村の生産量を上げないといけない。だが、やれるように考える」
「待ってるよ。あたしは気が短いが、旨い話には忍耐強いほうさ」
マルタが大きな手を差し出した。
握手した。ごつい手だ。力が強い。
「テッペイ、あんた面白い男だね。辺境の村の男にしちゃ、目が違う」
「よく言われる」
「嘘つけ」
マルタが笑った。大きな声で、腹の底から笑う女だった。
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その夜は市場町の安宿に泊まった。翌朝、ゲルハルトの馬車で出発した。帰りも二日かかる。
荷台で、ユーリが早々に寝ている。ヒルダは起きていた。
「テッペイ」
「何だ」
「あの女主人、気に入ったんじゃないの」
「商売相手としてはいい相手だ」
「あたしが聞いてるのはそういうことじゃないよ」
ヒルダがにやにやしている。
「馬鹿言うな」
「はいはい」
ヒルダは笑いながら、荷台に寄りかかって目を閉じた。
馬車が街道を走る。懐の袋に銀貨三十五枚。前回の二十二枚を大きく超えた。商品を増やした分だけ売れた。次は倍にしても売れるだろう。
だが、倍にするには材料がいる。ラッケルの畑を広げる。ナッツの収穫を増やす。卵を産む鶏を増やす。全部、村の力を上げないといけない。
それに、マルタの注文に応えるなら、もっと根本的な問題がある。
道具だ。
フライパンがない。鍋は薄くてすぐに歪む。ミンサーもスライサーもない。料理を進化させるには、この世界にない道具が必要だ。
鍛冶職人に直接会って、図面を見せて、一から説明しなければ作れない。
村に戻ったら、ゲルハルトに鍛冶の街のことを聞こう。
馬車が揺れる。街道の木々が後ろに流れていく。




