第20話:秘密のコロッケ
朝一番に、ガルドと森に入った。
「今日は多めに頼む」
ガルドが鼻を鳴らして走り出した。三十分もしないうちに、ドライホルンを一頭仕留めて戻ってきた。いつもの薄紫の毛皮と三本角。もう見慣れた獲物だ。
ナイフで手早く解体した。肩ロース、バラ、モモ。部位ごとに分けて、骨と筋を丁寧に外す。この作業だけは誰にも負けない。十八で親父の店に入ってから、何千頭と捌いてきた。
今日使うのはモモ肉だ。赤身が多くて脂が少ない。コロッケに入れるなら、脂が少ない方が衣と合う。
村に戻って、まな板の上にモモ肉を置いた。
ナイフで細かく刻む。ミンチにしたいが、ミンサーがない。だから包丁の背で叩いて、さらに刻んで、また叩く。地道な作業だが、肉屋は慣れている。
十分ほど叩き続けて、粗挽きのミンチができた。
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次はラッケルだ。
茹でて、熱いうちに潰す。木の匙の背で押して、粗くマッシュにする。完全に滑らかにはしない。少し芋の塊が残るくらいの方が、食感が出る。
潰したラッケルに、挽肉を混ぜた。
比率が問題だ。肉が多すぎると、割った時に肉の色が見える。匂いも出る。少なすぎると、ただの芋団子だ。
三対七。肉が三、芋が七。
混ぜてみた。色は芋のクリーム色に、わずかに赤みが入る程度。これなら、外からは芋の団子にしか見えない。
塩と、少量の森胡椒を加えた。混ぜて、丸めて、小判型に整える。
次は衣だ。
本来なら小麦粉、溶き卵、パン粉の三段階だが、パン粉がない。小麦粉もない。
代わりに黒麦の粉を使った。水で溶いて衣にする。その上に、黒パンを乾燥させて砕いたものをまぶした。パン粉の代用だ。粗いが、揚げれば固まる。
卵は使える。ヒルダに今日採れた分を全部もらった。六つ。鶏の数が少ないから、これが一日の限界だ。黒麦の粉、溶き卵、砕きパン。三段階の衣がなんとか揃った。
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ナッツ油を鍋に入れて火にかけた。
油の温度を見る。木の棒を突っ込んで、細かい泡が出るまで待つ。温度計がないから、泡の出方で判断する。精肉店時代、揚げ物は何百回とやった。体が覚えている。
最初の一個を、そっと油に入れた。
ジュワッと音がして、衣が泡立つ。いい音だ。焦らず、触らず、じっくり揚げる。
三分。衣がきつね色に変わった。
箸の代わりに木の棒二本で掴んで、油から上げた。熱い油が滴る。
木の皿に置いた。こんもりとした小判型の揚げ物。外側はカリッと黄金色。見た目は完全に芋の揚げ物だ。
ナイフで半分に割った。
断面を見た。クリーム色の芋の中に、茶色い挽肉が散っている。肉の香ばしい匂いが立ち上る。
「……来た」
一口食べた。
衣のサクサク感。芋のホクホクした甘み。そして、噛んだ瞬間に広がる肉の旨味。三つが口の中で一つになる。
コロッケだ。紛れもない、コロッケの味だ。
精肉店で売っていたあの味。パン粉は違う。肉の種類も違う。だが、構造は同じだ。芋と肉と衣。この三つが揃えば、コロッケになる。
目が熱くなった。
三十年間毎日作っていたものが、異世界でも作れた。あの商店街の、ショーケースに並べていた一個六十円のコロッケが、ここにある。
残りも揚げた。全部で十五個。芋が多いから数は作れる。卵六つと衣でぎりぎり足りた。
揚げたてを皿に並べていると、ガルドがどこからともなく現れた。鼻をひくつかせて、皿の横にぴたりと座る。尻尾が振れている。
「おい、まだ熱い。冷めてから食え」
聞いていない。ガルドが一個くわえて、そのまま噛んだ。
次の瞬間、口を開けて首を振った。舌を出して、ハフハフと息を吐いている。揚げたての油が口の中で弾けたのだろう。
「だから言ったろうが」
ガルドが恨めしそうな目でこちらを見た。だが、コロッケは離さない。口の中でハフハフやりながらも、夢中でかぶりついている。熱さより食い気が勝ったらしい。あっという間に平らげた。
「……食い意地だけは一人前だな」
一個分、村の取り分が減った。十四個。まあいい。こいつが一番の功労者だ。
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夕飯の時間に、コロッケを広場に出した。
「新しい料理だ。食ってくれ」
ベルントが最初に手を伸ばした。村長が先に食べる。それがこの村のルールだ。
一口齧って、ベルントの眉が上がった。
二口目を齧った。咀嚼しながら、目を閉じた。
ベルントの目が一瞬、鋭くなった。何かに気づいたような顔をした。だが、何も言わなかった。黙って三口目を食べた。
ユーリが次に食べた。一口で顔が変わった。
「テッペイ……これ、やばいぞ。ラッケルがこんなに旨くなるのか」
「だろ」
カイルが食べた。ヒルダが食べた。ヘルマンが食べた。老人たちが食べた。
十四個のコロッケが、あっという間になくなった。一人一個の計算だが、足りない。全員の顔がそう言っている。
「こんなもの、食ったことない」
ヒルダが言った。
「芋の揚げ物のはずなのに、何か違う。この旨さは芋だけじゃない」
「もっと作れないのか」とカイル。
全員が食べ終わったのを確認して、俺は口を開いた。
「種明かしをする。あの中にはドライホルンの挽肉が入ってる」
一瞬、広場が静まった。
ユーリが最初に反応した。
「……肉? あれに肉が入ってたのか?」
「芋が七、肉が三だ。衣をつけて揚げれば、見た目は芋の揚げ物だ。外からはわからない」
ヒルダが自分の手を見つめた。さっきまでコロッケを持っていた手だ。
「道理で旨いわけだ。芋だけであの味は出ない」
ベルントは黙っていた。食べた時に目が鋭くなったのを、俺は見ていた。
「もっと作れないのか」とカイル。
「衣に使う卵が足りない。鶏の数を増やさないと、量産は無理だ」
「鶏なら、市場町で雛を買えるだろう」
ユーリが言った。なるほど。次の市場町行きで、雛を買ってこよう。卵の生産量が増えれば、コロッケも量産できる。
村人たちが盛り上がっている横で、ベルントだけが静かだった。俺と一瞬、目が合った。何も言わない。だが、あの目は「後で話がある」と言っている。
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夜、ベルントが俺を呼んだ。
二人きりで焚き火の前に座った。
「テッペイ。あの揚げ物の中に何が入っていたか、俺にはわかっている」
「……ああ」
「外には出すな」
「わかってる。市場に出すのは、ポテトチップスとフライドポテトと卵焼きだけだ。コロッケは村限定にする」
ベルントが頷いた。だが、その顔は硬いままだった。
「テッペイ。一つ、はっきり言っておく」
ベルントの声が低くなった。
「俺はお前に感謝している。飯が旨くなった。商売が始まった。皆の顔が明るくなった。それは認める」
「だが?」
「だが、この村を危険に晒すなら話は別だ」
ベルントが俺をまっすぐ見た。
「俺たちはずっとここで暮らしてきた。貧しくても、静かに、誰にも目をつけられずに。それが一番安全だった。お前が来てから、いろんなことが動き始めている。それ自体はいい。だが、動きすぎれば、バイエルの騎兵団が来る」
「騎兵団?」
「辺境伯の直轄部隊だ。税の徴収、禁忌の取り締まり、反乱の鎮圧。何でもやる連中だ。あいつらに目をつけられたら、村は終わる」
火が爆ぜた。
「テッペイ。お前のことは信用している。だが、もしお前の商売が原因でこの村に騎兵団が来るようなことがあれば——」
ベルントが言葉を切った。
「その時は、村から出て行ってもらう」
この男は村長として、村を守ることだけを考えている。俺より古く、俺より深く、この土地に根を張っている。
「……わかった」
反論はしなかった。ベルントの言い分は正しい。俺はよそ者だ。村に居候させてもらっている立場だ。
「慎重にやる。約束する」
ベルントが立ち上がって、家に戻っていった。
俺は焚き火の前に残った。ガルドが横に来て、丸くなった。
コロッケの衣のかけらが地面に落ちている。ガルドがそれを舐めた。
「お前にはちゃんと丸ごと一個やったろうが」
ガルドは知らん顔をして、もう一度地面を舐めた。
空を見上げた。明日は、二回目の市場町行きの準備を始めよう。今度はポテトチップスとフライドポテトを持っていく。卵焼きも量を増やす。
商品が増えた。売り場の作り方も変える必要がある。ゲルハルトに相談しよう。
異世界の肉屋は、少しずつ動き出している。




