第18話:新しい畑
市場町から帰った翌朝、畑に出た。
ラッケルの種を蒔く。小さな茶色い粒を、魔物肥料で肥えた土に一つずつ埋めていく。甘い根菜の種も。香草の苗も。全部、昨日買ってきたものだ。
「テッペイ、それは何の種だ」
ユーリが横から覗き込んだ。
「ラッケルだ。市場町で買った。根菜で、粉っぽくて煮崩れするらしい」
「煮崩れするなら使いにくいだろう」
「煮るんじゃない。別の使い方をする」
ユーリが首を傾げた。どう使うかは、育ってからのお楽しみだ。
魔物肥料の畑は相変わらず異常だった。前に蒔いたサラダ菜は一週間で食べられる大きさになった。黒麦も穂が重い。カブは拳三つ分を超えて、四つ分に迫っている。
この土の力なら、ラッケルもすぐに育つはずだ。
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種を蒔き終わって、一人になった時、ふと昨日のことを思い出した。
騎士が使っていた魔法。手から光を放ち、地面を隆起させ、魔物を仕留めた。あれは本物だった。
この世界には魔法がある。魔物がいる。貴族が支配している。
今さらだが、本当に異世界に来たんだと実感した。最初に森で目覚めた時は、夢か何かだと思っていた。グルートホルンに追いかけられた時も、ガルドに出会った時も、どこか現実感がなかった。だが、魔法を目の前で見て、ようやく腹の底から理解した。
ここは、俺がいた世界とは違う場所だ。
そこで、一つ思い出したことがある。
娘の美咲が子供の頃、よく見ていたアニメだ。日曜の夜、リビングのテレビで流れていて、俺もなんとなく一緒に見ていた。異世界に転生した主人公が、とんでもない力を授かって無双する話だった。確か、スライムか何かに転生したやつだ。美咲が「お父さん、これ面白いよ」と言って、俺は「肉屋がスライムになってどうする」と返した記憶がある。
あのアニメの主人公は、転生した時に神様からチート能力とやらをもらっていた。
ということは。
もしかして、俺にも何かあるんじゃないか。
周りに誰もいないことを確認した。ガルドは昼寝している。ユーリは搾油場にいる。
右手を前に突き出した。騎士がやっていたように。
「……ファイヤーボール」
何も出ない。
「ウォーター……なんとか」
何も出ない。手のひらが乾いているだけだ。
「サンダー……ボルト?」
静寂。風が吹いた。草が揺れた。それだけだ。
もう一回だけ試した。今度は両手を組んで、地面に叩きつけた。騎士がやっていたやつだ。
地面は何も起きなかった。手のひらが痛いだけだった。
「……くそ」
やっぱり何もない。チート能力なんて、ない。
四十八で死んで、異世界に飛ばされた。それだけだ。魔法も、特殊能力も、ステータス画面も、何一つない。
魔法と魔物がいる世界に、素手で放り出されたのか。神様とやらは、随分と不親切だ。
だが。
手のひらを見た。包丁ダコがある。十八で親父の店に入って、三十年。肉を切り続けてできたタコだ。
俺には魔法はない。だが、肉を焼く腕がある。旨い飯を作る知恵がある。客を呼ぶ声がある。
異世界の勇者にはなれない。だが、異世界の肉屋にはなれる。
「……まあいいか」
立ち上がって、手についた土を払った。
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種を蒔き終わって、焚き火の前で考えた。
市場町で売れたのはドレッシングと調味料だ。どちらもダンコルやグリュンベーレの油を使っている。これらは森の奥で採れるもので、ガルドがいないと採りに行けない。
つまり、今の商品は俺とガルドに依存している。俺が倒れたら、ガルドがいなくなったら、村の商売は終わる。
商売を持続させるには、村のみんなが作れる商品がいる。
じゃあ、何を作る。
村にあるものを整理した。
畑の野菜。魔物肥料で育った高品質の作物。量もある。だが、生の野菜は輸送に向かない。ゲルハルトに断られたのが証拠だ。
加工すれば持ち運べる。乾燥野菜。漬物。粉にして保存する。だが、この世界にはそういった加工食品の文化がほとんどない。市場町を見て回って、それがよくわかった。
逆に言えば、加工食品を出せば独占できる。
もう一度、この村で手に入るものを整理しよう。
「ユーリ、この村の周りで採れるもの、もう一回教えてくれ。今使ってるもの以外で、昔採っていたものとか、育てていたものでもいい」
ユーリが腕を組んで考えた。
「昔か……。カブと豆と黒麦は今と同じだ。あとは、婆さんたちが裏手の林でなんかの実を拾って炒って食ってたな。固くて不味いから、最近は誰も採らなくなったが」
「実? どんなやつだ」
「こぶしくらいの大きさで、殻が硬い。中に白い種が入ってて、炒ると食えなくもない。ただ、歯が折れそうなくらい固い」
何かが引っかかった。
「ユーリ、それを見せてくれ」
ユーリに案内されて、村の東側の林に入った。ガルドが後ろからついてくる。散歩気分だ。
林の中に、こぶし大の実をつけた木が何本かあった。実を割ると、中に白い種子が入っている。齧ってみた。脂っこい。ナッツだ。油分が多い。
「これだ。これを搾れば油が取れる」
「マジか。この実は固すぎて誰も食わなくなったやつだぞ」
「食うんじゃない。搾るんだ。グリュンベーレと同じ要領で」
木は村のすぐ近くにある。森の奥まで行く必要がない。ガルドに頼らずに採れる。村の女や年寄りでも収穫できる。
これなら、村のみんなで油を搾れる。油が安定して取れれば、揚げ物も量産できる。
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翌日から、ナッツ油の搾油を試した。
グリュンベーレの時と同じ、石臼で潰して布で絞る方法だ。ナッツは硬いから、まず火で炒って柔らかくしてから潰す。
最初の搾油は失敗した。火加減が強すぎて焦がした。二回目は水分が多すぎて油と混ざった。三回目で、ようやく澄んだ黄色い油が布から滴った。
匂いを嗅いだ。香ばしい。グリュンベーレの油より癖がない。
舐めてみた。まろやかで、後味にほんのり甘みがある。
これは使える。
「ユーリ、カイル、この作業を覚えてくれ。ナッツを炒って、潰して、絞る。手順はグリュンベーレと同じだ」
二人に搾油の手順を教えた。コツは火加減と、潰す時の力の入れ方だ。三日もやれば慣れる。
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ラッケルが芽を出したのは、種を蒔いて五日目だった。
普通なら二週間はかかるだろう。魔物肥料の力は本物だ。
十日目には、土の中に小さな芋ができ始めた。掘ってみると、親指ほどの大きさのラッケルが三つ。まだ小さいが、形はしっかりしている。
二十日目。拳ほどの大きさまで育った。
一つ掘り出して、洗って、切ってみた。中身は薄い黄色で、粉っぽい。包丁を入れた感触が、じゃがいもにそっくりだ。
心臓がどきどきした。
まず、焼いた。焚き火の灰の中に埋めて、じっくりと火を通す。じいちゃんが子供の頃にやったと言っていた、焼き芋の方法だ。
三十分後、割ってみた。中はホクホクで、湯気が立っている。
一口食べた。
旨い。
粉っぽいが、ほんのり甘みがある。バターがあればもっと旨いだろうが、なくても十分だ。素材として申し分ない。
次。薄く切って、ナッツ油で揚げてみた。
油が少ないから、小さな鍋で少量だけだ。薄切りにしたラッケルを油に入れると、ジュワッと音がして泡が立つ。
この音だ。この匂いだ。揚げ物の匂い。
きつね色になったところで引き上げた。塩を振る。
パリッ。
口に入れた瞬間、音がした。薄くてパリパリで、塩気があって、油の香ばしさがある。
ポテトチップスだ。
完璧じゃない。厚さがバラバラだし、塩の量も適当だ。だが、この食感と味は間違いない。
「テッペイ、何を作ったんだ」
ユーリが寄ってきた。一枚食べさせた。
ユーリの目が見開かれた。
「何だこれ。パリパリする。止まらない」
「だろう。もう一枚食うか」
「くれ」
三枚、四枚。ユーリの手が止まらない。
「テッペイ、これはヤバい。売れるぞ」
「だろうな。しかもこれは肉を使ってない。ラッケルと油と塩だけだ。堂々と市場で売れる」
ユーリが何かに気づいたような顔をした。
「ラッケルは村の畑で育つ。油は裏手のナッツから搾れる。塩はゲルハルトから買える。全部、村の中で揃うじゃないか」
「そういうことだ」
ガルドに頼らない。俺がいなくても作れる。村のみんなが作れる商品。
ようやく、一つ見つけた。




