第16話:市場町探索
商品が全部売れた。台の上は空だ。
まだ日は高い。帰るには早い。
「ゲルハルト、市場を見て回ってもいいか」
「勝手にしろ。俺はまだ仕事がある」
ゲルハルトは自分の荷台で布や薬の商売を続けている。こっちはこっちの仕事だ。
ユーリを連れて、市場町ハルテンを歩いた。
---
まず、食い物屋を片っ端から見た。
パンを売る台が五つ。どれも同じような丸い黒パンだ。硬くて重い。味は塩だけ。バターも油もつけずに、そのまま齧る。
野菜を売る台が七つ。カブ、豆、根菜。種類は少ない。鮮度もバラバラだ。だが、量は多い。この辺りの土壌は村ほど痩せてはいないのだろう。
干した果物を量り売りする店がある。甘みのある干しぶどうのようなもの。これは保存が効く。だが値段が高い。銅貨十枚で一握り。庶民の贅沢品だ。
穀物の店もある。黒麦、白麦、豆。俵に詰めて売っている。単位はバケツ一杯でいくら、という計り方だ。
一通り見て回って、わかったことがある。
食料は豊富だ。飢えている感じはない。だが、料理の種類が恐ろしく少ない。
パンはパン。野菜は煮るか生で食う。穀物は粥にする。味つけはほぼ塩だけ。少なくともこの街では、ほとんどが焼くか煮るかで、炒めている店は一軒も見当たらない。揚げ物なんて影も形もない。
「ユーリ、この街の人間は普段何を食ってるんだ」
「パンと豆の煮込みが基本だな。あとは季節の野菜を塩で煮たやつ。祭りの日には蜂蜜をかけた焼き菓子が出る。それが一番の贅沢だ」
蜂蜜の焼き菓子が贅沢。
聞くまでもないが、あえて聞いてみた。
「……肉を扱ってる店は、やっぱりないのか」
ユーリが少し声を落とした。
「あるわけないだろ。禁忌だ。魚は川の近くの街なら食べる連中もいるが、ここは川から遠い」
つまり、タンパク質は豆だけ。動物性の食材は一切なし。油脂も植物性のものだけ。バターもラードもない。
これは、チャンスだ。
料理が発達していないということは、「味」に対する需要が満たされていないということだ。塩しか知らない人間にドレッシングを食わせたら飛ぶように売れた。今日がその証拠だ。
もっと種類を増やせる。もっと違う味を出せる。この世界の人間がまだ知らない「旨さ」が、いくらでもある。
---
市場の奥に、種と苗を売る店があった。
小さな店だ。老人が一人で座っている。木の箱に種が種類ごとに分けて入れてある。
「何を探してるんだい」
「新しい作物の種が欲しい。今まで見たことのないやつがいい」
老人が首を傾げた。「変わった客だな」と言いながら、箱をいくつか出してきた。
「これはラッケルだ。根が太くて粉っぽい。煮崩れしやすいから嫌う農家もいるが、焼くと旨い」
丸い茶色の根菜だ。じゃがいもに似ている。握りこぶしほどの大きさで、皮がざらざらしている。
心臓が跳ねた。
じゃがいもだ。正確にはじゃがいもじゃないだろうが、特徴がそっくりだ。粉っぽくて煮崩れする。焼くと旨い。揚げたらどうなる。
「これをくれ。全部」
「全部? 二十粒もあるぞ」
「全部だ。いくらだ」
「銅貨三枚でいいよ」
安い。この種から何が生まれるか、この老人は知らない。
他にも見て回った。甘みのある根菜の種。葉物の種。香草の苗。片っ端から買った。
ユーリが後ろで籠を抱えている。
「テッペイ、種ばっかり買ってどうするんだ」
「畑に蒔く。新しい作物を育てて、新しい商品を作る」
「ドレッシングだけじゃ足りないのか」
「ドレッシングだけじゃダメだ。同じ商品ばかり売っていたら、いつか飽きられる。黒田精肉店がそうだった。コロッケだけじゃなく、メンチカツも唐揚げもトンカツも作った。商品は常に増やさなきゃいけない」
「トンカツって何だ」
「……今はいい。そのうちわかる」
---
市場の通りを歩いていると、ユーリが足を止めた。
「テッペイ、あれ見ろ」
指差した先に、大きな建物があった。石造りの立派な構えで、扉の上に鷹の紋章が彫られている。
「バイエル家の紋章だ」
ゲルハルトが教えてくれたのと同じ紋章。
「あれは領主の出張所だ。徴税と治安維持を管轄している。裁判もあそこでやる」
ユーリが声を落とした。
「あの建物には近づくな。領主の役人は平民の商売に目を光らせている。許可なく高額な取引をすると、目をつけられる」
「高額ってどのくらいだ」
「銀貨五十枚を超える取引は届け出が必要だと聞いたことがある。それ以下なら黙認されている」
今日の売上は銀貨二十二枚。ギリギリ届け出の半分以下だ。だが、毎月来て同じ額を売り上げれば、いずれ目立つ。
「気をつけないとな」
「ああ。テッペイ、この街は便利だが、自由じゃない。村とは違う」
村のようにはいかない。ここには、俺たちの知らないルールがある。
---
夕方、ゲルハルトの宿に戻った。
買った種を籠に詰め直しながら、頭の中で整理した。
この世界の食文化は、はっきり言って貧しい。素材はあるのに、調理法が限られている。味つけは塩だけ。油で炒めるという発想がない。揚げ物なんて誰も知らない。
だが、素材自体は悪くない。ラッケルは揚げれば絶対に旨い。ポテトチップスが作れるかもしれない。甘い根菜は砂糖代わりに使えるかもしれない。
問題は、何を「村の商品」にするかだ。
ドレッシングはダンコルが必要で、それはガルドがいないと採れない。俺とガルドだけに依存する商品では、村は自立できない。
村のみんなが作れて、日持ちがして、持ち運べるもの。それが必要だ。
「ユーリ、明日の朝、帰るぞ」
「了解。でもテッペイ、一つ聞いていいか」
「何だ」
「この街で食ったもの、全部味が薄かった。パンも、煮込みも、焼き菓子も。村で食ってるものの方が、ずっと旨い」
ユーリが真面目な顔で言った。
「俺、初めてわかった。テッペイが作る飯は普通じゃないんだ。この街の飯を食って、初めてそれがわかった」
「そりゃそうだ。俺は三十年、旨い飯を作ってきた男だからな」
「その旨い飯を、もっと多くの人に食わせたいと思わないか」
思う。それが肉屋の本能だ。旨いものを作って、客に出す。喜んでもらう。それだけで三十年やってきた。
だが、俺が本当に旨いと思う飯には、全部肉が入っている。コロッケも、メンチカツも、豚の生姜焼きも。肉屋が作る飯だから当然だ。その肉が、この世界では使えない。
肉抜きで、どこまでやれるか。
「ユーリ。帰ったら、新しいものを作る。肉を使わないで、旨いものを」
「肉を使わないのか」
「外で売るものはな。村の中は別だ」
ユーリが頷いた。
帰り支度を済ませて、宿の窓から夜の街を見た。明かりが点々と揺れている。商売の街だ。金が動き、人が集まり、物が流れる。
この街に、毎月来よう。新しい商品を持って。そのたびに客を増やして、名前を覚えてもらって、信用を積み上げる。
精肉店と同じだ。一日に一人、常連を増やす。それを何年も続ける。
明日は帰る。帰ったら、ラッケルの種を蒔く。




