第13話:売れない理由
一ヶ月が経った。
搾油は軌道に乗った。ユーリともう一人、カイルという若い衆が手伝うようになり、毎日安定して瓶二本分の油が搾れるようになった。
ドレッシングの在庫は二十瓶を超えた。調味料セットも十セット揃えた。万全だ。
畑も順調だった。魔物肥料のおかげでカブは拳三つ分の大きさまで育ち、黒麦は穂が重くて茎がしなっている。ユーリが見つけてきた野草の種も蒔いてみた。葉が柔らかくて生でも食べられる。サラダ菜に近い。こいつも魔物肥料で驚くほど早く育った。
収穫量は村の八十三人が食べても余る。余った野菜を乾燥させて保存用にした。
あとは、ゲルハルトの報告を待つだけだ。
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その前に、新月が来た。ゴブリンも来た。
二十匹ほど。前回より数は少ないが、今度は北と東の二方向から同時に来た。柵を修繕した箇所を避けて、弱いところを狙ってくる。頭が悪いようで学習はしている。
ガルドが北側を抑えている間に、東側を弩で迎え撃った。前回壊れた二丁はヘルマンが直してくれた。引き金の金属がやはり摩耗しやすいが、今回は予備の部品も用意してある。
二時間かかった。怪我人は出なかったが、楽勝とは言えない。ただ、前回のような恐怖はなかった。村人の手際が違う。誰が何をすればいいか、もう迷わない。
ゴブリンを追い払った翌日、柵の修繕をしながら思った。これを毎月繰り返すのか。弩の部品が摩耗するたびにヘルマンに直してもらい、柵が壊れるたびに木を切って組み直す。消耗戦だ。
もっとまともな武器がいる。鉄の矢先。石壁。だが、どれも金がかかる。
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ゲルハルトが来た。先月の取引から一ヶ月。売れたのか、売れなかったのか。
荷馬車から降りて、商品の瓶を確認して、数を数えて。それから、俺の顔を見た。
表情が暗い。
「テッペイ、正直に言う。先月の分は、あまり売れなかった」
「なぜだ」
「ドレッシングというものを、市場の人間が知らない。瓶に入った液体を見せても、何に使うのかわからん。説明しても、実感が湧かない」
ゲルハルトは腕を組んだ。
「俺は商人だが、市の卸売りが専門だ。仲買人に品物を卸す。だが、仲買人もドレッシングを知らない。知らないものは買わない。ダンコルや香辛料を単体で売ることはできるが、ドレッシングという加工品は、どう売っていいかわからんのだ」
ドレッシングは新しすぎる。この世界に存在しない商品だ。存在しない商品を、説明だけで売るのは無理がある。
肉屋の経験でわかる。コロッケだって、最初は「肉屋で揚げ物を売るのか」と不思議がられた。だが、試食で一口食べさせれば、翌日から行列ができた。
食い物は、食わせなければ始まらない。
「ゲルハルト、市場町ってのはどんなところだ」
「月に三度、市が立つ。近隣の村や街から農民や職人が品物を持ち寄って売る。仲買人が巡回して、良い品を買い付けていく。日用品から食料、布、革製品まで何でもある」
「一般の客も来るのか」
「もちろんだ。市の日は街中から人が集まる」
「その一般客に直接売ったことは」
「ない。俺の仕事は卸だ。一般客への小売りはやらん。面倒だし、効率が悪い」
頭の中で、何かが引っかかった。精肉店時代にやったことがある。あれだ。あれが使えるかもしれない。
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「ゲルハルト。次に市が立つのはいつだ」
「十日後だ」
「俺も行く」
ゲルハルトが目を丸くした。
「お前が市場町に来るのか」
「現場を見なけりゃ始まらない。売れない理由は、現場にしかない」
ゲルハルトはしばらく俺を見つめていた。それから、商人の顔に戻った。
「いいだろう。だが、市場町は村とは違う。人が多い。貴族の目もある。気をつけろ」
「貴族? なんだそれは」
「お前、この国の仕組みを知らんのか。……まあいい、道中で教えてやる」
ガルドが横で起き上がった。こいつも行く気満々だ。
「お前は留守番だ。街にA級魔獣を連れて行ったら大騒ぎになる」
ガルドは不満そうに唸った。
「帰ったら肉を焼いてやるから」
尻尾が一回だけ揺れた。肉と聞いた時だけ反応する。本当に食い意地の張ったやつだ。
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出発の前日、準備をした。
ドレッシング十瓶。パン用オイル五瓶。調味料セット五つ。全部、背負い籠に詰め込む。
それだけじゃない。
サラダ菜を二束。黒パンを薄く切ったもの。小さな木の器を二十個。
「テッペイ、野菜まで持っていくのか。萎びるぞ」
ユーリが首を傾げた。
「二日で着くなら持つ。ちょっとした仕掛けに使う」
「仕掛け?」
「まあ、見てりゃわかる」
精肉店時代にやったことが、頭の中で形になりつつあった。あの時も最初は誰にも信じてもらえなかった。
「テッペイ、こっちに来い」
ベルントが俺を呼んだ。
村の門の前で、ベルントは声を落として言った。
「市場町に行くなら、一つだけ忘れるな。肉の話はするな」
「肉?」
「村で肉を食っていること。魔物の肉を肥料にしていること。絶対に外に漏らすな。この辺りの領主は肉食禁忌に厳しい。密告されれば、村ごと潰される」
ベルントの目が真剣だった。
「調味料と油だけだ。肉のことは、一切口にするな」
「わかった」
そうだ。村の中では当たり前になっていたが、外の世界では肉食は禁忌だ。俺たちがやっていることは、この国の法に触れるかもしれない。
背筋が冷えた。
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八日後の朝。市場町まで二日。ちょうど市の前日に着く計算だ。ゲルハルトの荷馬車の隣に、ドレッシングと試食用の食材を積んだ背負い籠を担いで、俺は村の門を出た。
初めて村の外に出る。
街道は、村の柵の向こうに真っ直ぐ北へ伸びていた。両側に背の高い草が揺れている。遠くに山の稜線が見える。空が広い。
黒田精肉店の裏口から見えた景色は、隣のパン屋の壁だった。今、目の前には地平線がある。
「行くぞ、テッペイ」
ゲルハルトが馬車を出した。
俺は深呼吸して、歩き始めた。
肉屋のおっさん、初めての営業回りだ。




