第四話 夕暮れ
放課後の校舎は、少しだけ騒がしかった。
文化祭まで、あと一週間半。
廊下には段ボールを運ぶ生徒がいて、遠くの教室からは笑い声も聞こえる。どこかのクラスがスピーカーの音量確認をしているのか、低い雑音まで廊下へ漏れていた。
その全部の下に、別の空気が混ざっている。
『また暴走出たらしい』
『うちの学校大丈夫かな』
細いノイズが、あちこちから滲んでいた。
瑠美音は窓際の席へ頬杖をつく。
夕焼けが赤い。
「白峰さん」
後ろから陽花がプリントを差し出してくる。
「これ生徒会に持ってってーだってさ」
「なんで私」
「もちろん、私一人で行きたくないから!」
「理由弱い」
「あ、あと九条先輩ちょっと怖いし」
ついでみたいに、陽花は普通に言った。
その横で、陽太が小さく笑う。
「まぁわかる」
「御影くんでも思うんだ」
「なんか圧あるだろ、あいつ」
「それ」
陽花が首をブンブン縦に振りながら頷く。
二人の様子を見ながら、瑠美音は少しだけ考えて立ち上がった。
「……行くだけ」
「やったー!助かるー!」
◇
生徒会室は校舎三階の端にある。
廊下は静かだった。
窓の外では、運動部の声が遠く響いている。
「なんかさ」
歩きながら陽花が言う。
「最近みんなピリピリしてない?」
「そんな気はする」
「文化祭前だからかな」
「文化祭前ってピリピリするの」
瑠美音は窓の外を見る。
グラウンドの隅に、対策課の車両が止まっていた。
黒い車体。
赤灯は消えているのに、それだけで空気が重く見える。
陽花も気づいたらしい。
「あれ、今日もいるんだ」
少しだけ声が小さくなる。
『怖い』
『また何かあった?』
『近づきたくない』
廊下ですれ違った生徒の感情まで流れ込んできた。
最近、学校全体のノイズが濃い。
みんな少しずつ疲れているのだ。
歩いていると、いつのまにか生徒会室前へ着いていた。
陽花が一回深呼吸した。
「そこまで緊張する」
「なんかさ、生徒会室って入りづらくない?」
そう言いながらも、陽花は普通にノックをして
「失礼しまーす」
と、扉を開けた。
部屋の中は、紙とコーヒーの匂いがした。
机の上には大量の書類。
壁際には積まれた段ボール。
プリントアウトされた文化祭配置図。
その真ん中で、九条透がパソコンへ向かっていた。
「文化祭資料持ってきました」
「ああ、そこへ置いてくれ」
九条は顔を上げる。
一瞬だけ視線が合う。
瑠美音は少しだけ目を止めた。
疲れている。
ネクタイが少し緩い。
目の下もうっすら暗かった。
「九条先輩、ちゃんと寝てます?」
陽花が普通に聞く。
あんなに生徒会室を前に緊張してたのに。
九条は数秒止まってから、
「寝てる」
と言った。
「嘘っぽい」
「陽花」
「いやでも絶対寝てない顔ですよ」
さっきの緊張がまるで嘘のように会話している。
九条は小さく息を吐いた。
「最近......少し、問題が多いだけだ」
静かな声だった。
でも。
『足りない』
『抑えろ』
『間に合わない』
ノイズが軋む。
瑠美音は小さく眉を寄せた。
九条は表情を変えない。
なのに感情だけがずっと張っている。
「対策課の人、最近ずっといますもんね」
陽花が言う。
「ああ」
九条は短く頷く。
「暴走件数が増えている」
部屋が少し静かになる。
窓の外で風が鳴った。
「……そんなに危ないんですか」
陽花の声が少し小さい。
九条は少しだけ視線を落とした。
「まだ学校側で抑えられている」
その言葉の途中で、一瞬だけ間が空く。
「だが、いつまで持つかはわからない」
静かな声だった。
その静かさが逆に怖い。
『止めろ』
『壊れるな』
『文化祭までは』
ノイズが細く響く。
瑠美音は無意識に耳へ触れた。
最近、こういう感情が増えている。
学校中が、少しずつ軋んでいた。
「……文化祭」
九条がぽつりと呟く。
「せめて、あれくらいは無事に終わらせたい」
その言葉だけ、少し高校生っぽかった。
陽花が何か言いかけて、やめる。
部屋の時計が小さく秒を刻んでいた。
◇
帰る頃には、外はかなり暗くなっていた。
校門の向こうに、対策課の車両が止まっている。
赤灯だけが静かに回っていた。
「なんか怖いね」
陽花が小さく言う。
さっきまでの元気が少し薄い。
「最近ずっとあんな感じだしな」
陽太が校門を見る。
いつの間にか合流していた。
瑠美音は夜の校舎を振り返る。
窓のいくつかにはまだ灯りが残っていた。
その中の一つが、生徒会室だった。
「九条先輩」
瑠美音がぽつりと言う。
「壊れそう」
陽太は少し黙った。
夜風が吹く。
遠くで、サイレンの音がした。
「……誰でも壊れるよ」
静かな声だった。
「無理し続ければ」
瑠美音は何も言わなかった。
校舎の灯りを見上げる。
放課後はまだ続いている。




