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放課後ノイズの終わらせ方  作者: 甘めの鯨肉
放課後戦争編
10/11

第九話 戻れない放課後



 朝倉が休んだ。


 朝のホームルームで担任がそう言った瞬間、教室の空気が少し止まった。


「体調不良だそうだ。以上」


 それだけ言って、担任は出席簿を閉じる。

 教室はすぐにざわつき始めた。

 でも、そのざわめきはどこか薄い。


 昨日のことを、みんな覚えている。


 窓が震えた音。

 床が軋んだ感覚。


 一瞬だけ、教室そのものが呼吸したみたいだった。


 誰も口にはしない。

 でも、何人かは朝倉の席を見ていた。


 俺もその一人だった。


 机の横に、黒マジックが転がっている。

 昨日、文化祭準備で使ってたやつ。


 キャップが外れたままだ。


「……なんか変」


 前の席で陽花が小さく言った。


「静か」


 瑠美音が静かに呟く。


「一人いないだけだろ」


「いや、その、朝倉くんうるさいし」


 陽花が言った。


「悪口?」


「違う違う」


 陽花は笑う。


 でも少し無理やりだった。


 その時。


 ジジ、と教室のスピーカーが小さく鳴った。


 ノイズ。一瞬だけ。

 でも教室の何人かが反射みたいに顔を上げる。


「……最近多くない?」


 誰かが後ろで言った。

 誰も返さない。


 白峰は窓の外を見ていた。

 

 曇り空。

 雨が降りそうで降らない色。


 最近、また瑠美音の顔色が悪い。

 たぶん昨日のことを引きずってるんだろう。


 あいつは、平気そうな顔してる時ほど危ない。


     ◇


 昼休み。

 いつもの四人席が、一人分空いている。


 それだけで妙に広かった。


「今日、放課後どうする?」


 陽花がパンの袋を開けながら言う。


「文化祭準備」


 白峰が短く返した。


「いや、まぁそうなんだけどさ」


 陽花は少し視線を落とす。


「昨日のあと、なんか行きづらくない?」


 わかる。

 昨日の空気はかなり気まずかった。


 でも、朝倉本人が一番きついと思う。


「……まぁ来るだろ、あと一週間しかないし」


「だよねぇ」


 陽花は笑う。


 でも、そのあと少しだけ黙った。

 笑い疲れたみたいに。


 白峰は、まだぼんやり窓際を見ていた。


「白峰」


「……なに」


「また頭痛?」


「なんで毎回わかるの」


「顔」


「最悪」


 でも少しだけ口元が緩む。

 最初より表情が増えた。


 前はもっと、人と距離を置いてた気がする。


 その時。


 廊下を歩いてた生徒が急に立ち止まった。

 窓の外を見たまま動かない。


 数秒して


「……え?」


 と、小さく呟いて、そのまま歩き去る。


 陽花が少し眉を寄せた。


「今の何」


「知らん」


 でも。


 最近、ああいうの増えてきた。

 ぼーっとしてるやつとか、急に黙るやつとか、理由もなく泣いてるやつとか。


 学園全体が、少しずつ変になってる。

 そんな感じがした。


     ◇


 放課後。


 教室へ向かう途中、廊下で九条先輩に呼び止められた。


「御影」


 窓際に立ってる。

 夕方の光が長く床へ落ち、九条先輩の影が伸びている。


「朝倉の件だが」


「……はい」


「対策課から経過観察が入る」


 静かな声。


「場合によっては、文化祭準備から外す」


「まぁ……そうなりますよね」


 昨日のあれは完全に危険だった。

 納得するしかない。


「本人には伝えてある」


「何て言ってました?」


「了承した」


 でも、九条先輩は少しだけ目を伏せた。


「納得は......していないだろう」


 いつもの威厳が、少し崩れている気がする。疲弊が見えるその顔と、溜め息を抑え込んだようなその声が、それをより強く見せてる。


 その時。


「会長、顔怖いですよ」


 後ろから声がした。

 振り向く。


 桐生先輩だった。

 カフェオレ片手に立ってる。


「後輩が怖がってるじゃないですか」


「怖がらしているつもりはない」


「いつも無自覚ですよねぇ」


 桐生先輩は笑う。


 でも次の瞬間、少しだけ真面目な顔になった。


「御影くん」


 こちらへ近づいてくる。


「はい」


「白峰さん、今日かなりしんどそうだから」


 軽い口調のまま続ける。


「ちゃんと見ててあげて」


 俺は少し黙ってから頷いた。

 桐生先輩はこういうのよく気づく。


 空気とか。

 無理してるやつとか。


 俺が歩き出す。


 その背中へ視線を感じた。


 九条先輩じゃない。

 もっと、重い。


     ◇


「随分気にかけるんだな」


 低い声だった。


 九条はゆっくり振り返る。


 人気の無い廊下の奥。

 黒いコート姿の男が立っていた。


 神代黎司かみしろ・れいじ


 異能対策課監査局長。


 夕方の光が、その横顔だけを白く照らしている。


「生徒ですので」


 九条は淡々と返した。

 神代は無言のまま歩いてくる。


 コツ、コツと、革靴の音が響く。


「朝倉蓮......《共鳴レゾナンス》の暴走兆候は危険域だ」


 圧のある声。


「隔離しろ」


「文化祭直前です」


「感情論か?」


 短い。が、重い。


「九条の息子。お前は理解しているのか」


 九条は黙ったまま視線を下げる。

 神代は九条を睨む。


 曇った空。

 夕方。


 世界が段々と暗くなる。


「……問題は《共鳴レゾナンス》だけじゃない。白峰瑠美音。奴は異常発生地点と行動範囲が一致しすぎている」


「偶然でしょう」


「本気で言っているのか?」


 神代の声が低くなる。


「《否定ソニト》は世界干渉型だ」


 空気が止まる。


「十年前を忘れたか」


 沈黙。


「《世界歪曲災害ノイズクラック》。一人の異能者から始まった事件」


 夕方の光が、長く廊下へ伸びていた。


「あの日から、世界にヒビが入った」


 神代の視線が冷たい。


「そして今も、その歪みは残っている」


 九条は何も返さない。

 返せない。


「......理解する前が、一番危険だ」


 神代は続ける。


「特に、世界へ触れる識能はな」


 遠くで放送ノイズが鳴った。

 ジジ、と短く。


「御影陽太との接触頻度も増えている」


 神代の目が細くなる。


「《無響シレン》は異常だ」


 断定だった。


「異能へしか作用しない識能など前例がない」


 九条は圧に押されながらも、小さく言う。


「......安定しています」


「今は、だ」


 即答だった。


「九条の息子。お前の識能でも、止められないものがある」


 九条の指先がわずかに動く。


 神代はそれを見逃さない。


「お前は、自分だけ守られている側だと理解しているか?」


 廊下が静かだった。

 静かすぎた。


「必要なら、こちらで処理する」


 その瞬間。

 パッ、と廊下の照明が一瞬落ちる。


 神代は眉一つ動かさない。


「甘さは破綻を呼ぶ」


 それだけ言って歩き去る。


 九条はしばらく動かなかった。


     ◇


 教室へ入る。


 文化祭準備の道具は昨日のままだった。


 黒布。

 ペンキ。

 段ボール。


 でも。空気だけが違う。


「……静かだね」


 陽花が言う。


 朝倉がいない。

 それだけなのに妙に広い。


 白峰は朝倉の席を見て、それから視線を逸らした。


 頭を押さえる。


 最近また増えてるんだろう。


 “声”が。


 俺は椅子へ座る。

 窓の外はもう暗くなり始めていた。


 その時。


 白峰が小さく顔を上げる。

 何かを探すみたいに。


「……どうした」


「今」


「?」


「誰か、泣いてた」


 教室は静かだった。


 誰も泣いてない。


 でも白峰はしばらく動かなかった。


 何かを聞いてるみたいに。


     ◇


「そういえばさ」


 帰る準備をしながら陽花が言う。


「入学した時の自己紹介、覚えてる?」


「あー……」


 異能者を集める歪門学園では、入学時に簡単な識能申告をする。


 でも、みんな自分の力を理解してるわけじゃない。


 できることを、なんとなく知ってるだけだ。


「白峰さん、“人の声みたいなの聞こえます”って言ってたよね」


「やめて」


「教室めっちゃ静かになってた」


「そりゃあなるわな」


「でも、“慣れてるので大丈夫です”って」


「全然大丈夫じゃないけどな」


「……うるさい」


 少しだけ笑う。

 その笑い方が前より自然だった。


「陽花はなんだっけ?」


 俺が聞く。


「“空気悪いとなんとなくわかります”」


「あったな」


「今思うと意味わかんなくない?」


「実際ふわっとしてるし」


「否定できない!」


 陽花は笑う。


 でも、そのあと少しだけ黙った。


「……御影くんは?」


「俺?」


「なんて言ってたっけ」


 少し考える。


「……覚えてない」


「本人が?」


「なんか、“近くにいると落ち着くらしいです”みたいな」


 陽花が吹き出す。


「雑すぎるでしょ」


「俺もよくわかってないし」


 その時。

 白峰が静かにこっちを見た。


 何か言いたそうだった。


 でも結局、何も言わなかった。


     ◇


 夜。


 寮へ戻る途中、自販機前に人影が見えた。


 朝倉だった。

 ジャージ姿で、缶コーヒーを持ってる。


「……何してんの」


 声を掛けると、朝倉は少し笑った。


「眠れなくて」


 顔色が悪い。

 昨日より悪い。


 でも普通に笑ってる。


 それが逆に怖かった。


「教室来なかったな」


「まぁ、ちょっと」


 朝倉は缶を揺らす。


「今戻ると、空気変になりそうだし」


 軽い言い方。

 でも、本気だった。


 俺は少し黙る。


 廊下の向こうで誰かが笑ってる。

 その笑い声が、途中でノイズみたいに掠れた。


「御影さ」


「ん?」


「昔から変だったよな」


「悪口?」


「違うって」


 朝倉は少し笑う。


「お前いると静かになるんだよ」


 自販機の低い駆動音だけが残る。


 昔から言われることはあった。

 落ち着くとか。

 頭痛が減るとか。

 暴走が収まるとか。


 でも俺自身はよくわかってない。


「……なんかさ」


 朝倉がぽつりと言う。


「お前の近くいると、ちょっと楽」


 その声は少し掠れていた。


「頭の音、減るから」


 パッ、と廊下の電気が明滅する。


 一瞬だけ暗くなる。


 白い光が戻る。


 その瞬間。


 どこか遠くで、

 誰かが泣いた気がした。

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