09_甘味の後には苦いものを
「うむ! 満足である!」
ファミレスを出た帰り道。ノワールは上機嫌で日向子の前を歩いていた。
「よかったねぇ、ノワ君」
「パフェなるものは美味であったぞ。明日も食いたいのである」
「毎日はちょっと身体に悪いからなぁ。あ、でもチョコならいいよ」
「チョコとはなんだっ」
「うーん、それは明日のお楽しみっ!」
さっきまでの修羅場が嘘のように、二人の間には穏やかで温かい空気が流れている。日向子はにこにこと笑いながら、ちょこちょこと前を歩くノワールの姿を追いかけた。
「ね、ノワ君。明日もお留守番させちゃうけれど……ごめんね」
突然の日向子の謝罪に、ノワールは首をころんと傾げた。日向子は不思議なことを言う。勝手に押しかけているのはこちらなのに、何を気負うことがあるのか。
「構わぬのである。ヒナコにはヒナコのすべきことがあるのだろう?」
「うん。お金は稼がなきゃだもん」
お留守番で寂しい思いをさせてしまった分、楽しい思いをたくさんして欲しい。そのためには頑張ってお金を稼がなければならない。
「でも、ノワ君に寂しい思いをさせちゃうからさ」
「……うむ。たしかに、ヒナコがおらねば張り合いがないな。テレビとやらは楽しいが」
ノワールは立ち止まり、日向子の傍に歩いてくる。彼は日向子を見上げて、ニッと笑った。
「ワガハイは、ヒナコと過ごせるだけでうれしいのである」
「ノワ君……」
(ヒナコには生活を続けるためには、基盤を整えてもらう必要がある。仕事を続けてもらわねば困る!)
完全に偽りの言葉を言うほど、ノワールは野暮ではない。まだ三日ほど共にすごした女ではあるが、ノワールは日向子のまっすぐさを気に入っていた。
「ありがとう、ノワ君。あのね、私、ノワ君と一緒にいるの楽しいよ」
「む。ワガハイもであるぞ。ヒナコはユカイなのだ」
「そう? 楽しいかぁ。よかったよかった」
日向子はノワールのまっすぐな言葉と健気な姿に、胸がぎゅっと締め付けられた。彼の頭を帽子の上から撫でてて、再度決意を固めた。
「よし、明日もお仕事頑張るぞ!」
「その意気である!」
日向子の意気込みに、ノワールも元気よく応える。二人は自然に笑い合い、寄り添って帰路を歩いた。
だが、その平穏は、突如として切り裂かれる。
「見つけたぞ、日向子」
街灯の届かない暗がりの路地裏から、ぬうっと現れた影。
「朝比奈君……なの……?」
日向子は息を呑んだ。そこにいたのは朝比奈透だった。しかし、その姿は明らかに異常だった。
彼の肌はどす黒く変色し、目からは赤黒い不気味な光が漏れ出ている。何より、彼の背後からは、あの謎の女と同じ「濃厚なバラとユリの香り」が、どろりとした殺気と共に立ち込めていた。
「下がるのだ、ヒナコ!」
ノワールは日向子の前に飛び出し、守るように立つ。ノワールにとって日向子は都合の良い隠れ蓑。彼女を失うわけにはいかないと、反射的に身体が動いたのだ。
「お前が俺を拒絶するからだ……! 俺の言う通りにしていればいいものを、そんなガキと馴れ合いやがって!」
朝比奈が咆哮すると、彼の影が生き物のように蠢き、巨大な黒い獣の腕へと形を変えた。彼は人間の嫉妬と醜い独占欲を増幅され、異形の悪役へと変貌している。
「ノワ君は関係ないでしょ!」
日向子は震える腕でノワールを抱き寄せ、朝比奈に叫んだ。
「もう私たちは恋人同士じゃないの。どうして分かってくれないの!」
かつて日向子は朝比奈を愛していた。それでも日が経つにつれてすれ違って、彼の期待に応えられなくなって逃げ出したのだ。それなのに今更、しかも悪役に堕ちてまで追いかけてくるなんて思わなかった。
「違う……お前は俺の所有物だ! 日向子!」
凄まじい風圧と共に、朝比奈の影の爪が日向子たちへ振り下ろされた。
「ひっ……!」
あまりの恐怖に足がすくみ、日向子は目を瞑ることしかできなかった。
「調子に乗るなよ、下等生物が。我が獲物を狙うとは、身の程を弁えよ」
地を這うような、冷酷で圧倒的な声が響く。
次の瞬間、ノワールの体から、夜の闇すら飲み込むほどの漆黒の魔力が爆発的に吹き荒れた。
ドクン、と世界が脈打つ。
日向子が恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
翻る漆黒のマント、夜空を映したような美しい黒髪と、全てをひれ伏させる冷徹な紅き瞳。その頭には、世界を滅ぼすと言われた禍々しくも美しい、漆黒の双角が完璧な姿でそびえ立っていた。
それは、子供のノワールではない。かつてこの国を恐怖に陥れた真の姿、ノワール・ラグナロクだった。
「な、なんだお前は……!?」
悪役化した朝比奈が、その圧倒的なプレッシャーに本能的な恐怖を感じて動きを止める。真の姿を取り戻したノワールは、表情一つ崩さず、ただ静かに右手を朝比奈へと向けた。
「消え去れ。日向子は吾輩のものだ」
魔王の指先から、一筋の黒い雷光が放たれる。
それは朝比奈の放った影の爪を瞬時に消滅させ、彼の身体を真っ直ぐに貫いた。
「くっ……!?」
凄まじい衝撃波と共に、朝比奈の体から赤黒いオーラが弾け飛ぶ。悪役の力は、魔王の一撃によって完全に粉砕されたのだ。朝比奈は元の哀れな人間の姿に戻り、そのまま地面に倒れ込んで気絶した。
勝負は、わずか一秒。
「……はぁ、はぁっ……!」
直後、周囲に満ちていた圧倒的な魔力が霧散する。
大魔王の姿は、陽炎のように揺らめき、次の瞬間には元の小さなフリルシャツ姿のノワールへと戻っていた。無理に本来の力を引き出した反動か、ノワールは膝をつき、激しく肩で息をしている。
「ノワ君! 大丈夫!?」
日向子が慌てて駆け寄り、その小さな体を抱きしめる。ノワールは青ざめた顔で、しかしふんすと鼻を鳴らして日向子を見上げた。
「無事か、ヒナコ」
(ふむ……まだ、力は完全に戻っておらぬか。やはりもう少し時間が必要だな)
ノワールは日向子に身体を預けて、甘えるようにくっついた。日向子は先程見た男の姿とノワールの姿が結びつかなかった。しかし先程見たのは、紛うことなきノワールの姿だ。
「ヒナコはワガハイが守ってやる」
それだけ言うと、ノワールは緊張の糸が切れたように、日向子の胸の中で意識を失ってしまった。
「ノワ君! しっかりして!」
気絶した元カレと、自分を助けて眠り倒れたノワール。静まり返った夜道で、日向子はノワールを強く抱きしめながら、これから始まる波乱の予感に小さく身震いするのだった。
「大丈夫ですかっ!?」
頭上から、軽やかな声が聞こえてきた。月夜に浮かぶのは可憐な魔法少女の三人。彼女たちはそれぞれの武器を手に駆けつけてくれたのだった。声を掛けてくれたのは、ドリーム・ピンクだ。
「ドリーム・トリニティ……!」
「小鳥遊さんっ!」
ドリーム・ピンクは日向子に駆け寄って、手を差し伸べてくれた。
「こちらに悪役の反応がありました。なにかご存知ありませんか?」
「えっと……」
「その子は、お子さんですか?」
ドリーム・ブルーの問いかけに、日向子は言葉を詰まらせた。彼女はドリーム・ブルーの視線がノワールに向かっているのがわかっていた。ノワールは怪人、つまり魔法少女の敵組織である。ノワールの正体を知られてしまったら、きっと捕まってしまうだろう。
「悪役は怪人によって変異させられた一般人です。そして怪人は、人間の魂を食らう悪の存在。私たちには、人々を守るために怪人を倒す使命があるんです」
ドリーム・ブルーは静かに、しかし厳しい口調で日向子に詰め寄った。角を見られてしまった以上、誤魔化しきれる自身はない。でも、ノワールを守るためなら、嘘を突き通す覚悟はあった。
「この子は……」




