05_おつかれ、ゴロッと野菜のカレーライス
第5話です。
キャリアウーマンは激務に追われるタイプの社会人です。
翌日の日曜日。日向子は日が傾き始めた頃合にオフィスを飛び出した。
(あぁ、もう。トラブル対応で休日出勤になっちゃった。今日はせっかくノワ君とのお休みだったのに!)
ノワールは悪の親玉を自称しているけれど、まだまだ小さな子供。ひとりでお留守番をさせるのは心苦しいので、今後週に何回かリモートワークができるように調整してもらった。
(でも、ちょうど良かったかも。この機会に、必要なものぜんぶ買っちゃおう)
日向子はオフィスを出たその足で、駅直結のショッピングモールに走った。向かう先は、これまで立ち入ったことのなかった子供服エリア。これまでは他人事と思っていた商品たちが、今では宝物の山に見える。目に入るかわいいものを片っ端から手に取り、レジに置いた。
「これ、ぜーんぶくださいっ!」
レジ係のマダムが輝かしい笑顔で『ありがとうございます』とこたえて、とても丁寧に梱包してくれる。今日初めて日向子は衝動買いという概念を知ったのだ。
「たっだいまーっ! ノワ君、ちゃんとお留守番できたかなー?」
「おそいのである!」
玄関を開けるとそこには、カーペットにちょこんと座った天使が一人。天使には似つかぬ黒いツノすら愛らしい、そんなノワールを日向子はガバッと抱きしめた。
「ノワ君〜ッ! 待っててくれたの! いい子だねぇ! かわいいねぇ!」
「気安く触るでないっ! はなれろっ!」
そういいながらも、ノワール小さな腕では日向子の腕を振りほどけない。日向子はノワールのもちほっぺに頬ずりをしながら、休日出勤の疲れを癒した。
「ヒナコ、ワガハイは腹が減ったのである。さっさと今日の供物をよこすのだっ!」
「そうだよね。遅くなっちゃってごめんね」
日向子はノワールから離れて、その小さな頭をひとなでする。まだ少しゴワゴワしているのは、大人用のシャンプーを使っているからだろう。でももう大丈夫。今日からは子供用のシャンプーにするから。
「今日は、ノワ君のお洋服とかいっぱい買っちゃったんだ〜」
「ふむ、ちゃんとワガハイに相応しいものを選んだのであろうな?」
「もっちろん! 絶対ノワ君にピッタリなはずだよ!」
子供服のショッパーを見せながら自信満々な日向子の答えに、ノワールも満足そうに頷く。
「じゃあ、まずはお風呂に入ろうねぇ」
「げっ! ワガハイ、お風呂には入らぬ! 汚れてなどおらぬ!」
「ダメダメ。ちゃんと毎日入らなきゃ」
抵抗も虚しく、ノワールは日向子によって風呂場に連行された。その後も買ったばかりのシャンプーとボディーソープによって泡もこの刑に処されたノワールは、ゲンナリした顔で脱衣所にうずくまる。さらに頭を悩ませたのは、日向子がショッパーから出した、ピンク色のモコモコパジャマだ。
「ノワ君、かわいい〜ッ! 天使!」
「天使ではない! ワガハイは、誇り高き悪の組織エクリプス団のノワール・ラグナロクである!」
そんなノワールをよそに、日向子はそれはもうご機嫌に、ノワールの髪をブラッシングしている。ノワールといえば、ふわふわモコモコのピンク色、しかもフードにはハムスターの耳が着いているパジャマを着た己の姿をいまいましげに見ていた。
「屈辱である……」
「あらら。おへそ曲げちゃった。じゃ、お風呂を頑張ったご褒美に、美味しい夕ご飯作るからね」
『ごはん』と聞いた途端、ノワールがぴょこんと顔をあげる。そしてそれに応えるように、彼の小さな腹がぐうぅと大きく鳴った。日向子はクスクス笑いながらブラッシングの手を止めると、夕飯の準備をするためにキッチンに向かう。その後ろ姿を、ノワールはソワソワしながら見ていた。
キッチンでは、日向子がじっくりと煮込んだカレーが鍋の中でくつくつと音を立てている。
「さぁ、お待たせノワ君! 日向子特製・はちみつリンゴと甘口カレーだよ!」
目の前に置かれたのは、湯気を立てるチョコレートブラウンのカレーライス。隠し味は蜂蜜漬けのリンゴとビターチョコ。リンゴは甘さを引き立てて、ビターチョコはカレーのコクを深くする……と、インスタグラマーの友人に教えてもらったのだ。
ノワールは、ハムスターの耳がついたフードを揺らしながら、恐る恐るスプーンを手に取った。その鼻をヒクヒクとさせながら、カレーを覗き込んでいる。
「これが、今日の供物か。芳しい香りだ、わるくない」
「でしょ? どうぞ、めしあがれ」
ノワールは意を決したように、おおきく口を開けてかぶりついた。瞬間、彼の緋色の目が、限界まで見開かれる。
「……ッ!? なんだこれは! 舌の上で、甘みと旨みが爆発する! 」
「ふふ、ちゃんと玉ねぎを飴色になるまで炒めたからね」
「玉ねぎとやらがなにかは知らぬが、このオレンジのものが気に入った。形もよい」
そう言って見せたのは、星型にくり抜かれたニンジンだった。この子は、日向子か特にこだわった部分を的確に評価してくれる。
「おいしい?」
「うむ! うまいぞ、ヒナコ。ほめてつかわす!」
夢中でスプーンを動かし、もぐもぐと頬袋を膨らませるノワール。その口の端にカレーがついているのを見て、日向子は笑いながらティッシュで拭いた。最高な反応を示してくれる、この小さな生き物は本当にかわいい。この姿を見るだけで、休日出勤の疲れがとろけていく。
明日は何を作ろうかな、なんて思いを馳せながら日向子は自分のカレーライスを口に含んだ。
翌朝。日向子はハイヒールを高らかに鳴らしながら、オフィスビルへと足を踏み入れた。ノワールに一人でお留守番させるのは心苦しいから、今日は絶対に定時で帰るという強い意志で燃えている。
チーン、という音と共に玄関ホールのエレベーターの扉が開いた。
(午前はプレゼン資料作成、午後から客先との打ち合わせ……そのまま直帰したら、スーパーによって夕飯の買い出し。夕ご飯、なににしようかな?)
そんなことを考えながら、エレベーターに乗り込もうとした日向子の前に、壁のように立ちはだかる男がいた。
「日向子」
「げっ」
日向子の口から濁った声が溢れてしまい、慌てて抑えた。面倒事の予感がして、背中に冷や汗が浮かぶ。
「お、おはよう。朝比奈君」
そこにいたのは、同期の朝比奈透だった。一年前まで、彼とはいわゆる恋仲と呼べる関係だった。しかし朝比奈のあまりの独占欲と細かさに愛想を尽かして別れたのだが、彼は未だに日向子を「自分のもの」だと思っている節がある。私たちはもう、とっくに終わった仲だというのに。
日向子は目を合わせず、朝比奈を避けてエレベーターの奥へと進んだ。しかし、朝比奈は降りるどころか、そのまま日向子の横に並んで扉を閉めた。
密室。上昇を始めるエレベーターの中で、トオルの視線がじりじりと日向子の横顔を這う。
「昨日、駅前のモールにいただろ」
「買い物くらいしますけど」
(今度から会社の近くでノワ君の買い物するの、やめとこう)
心の中で己を戒めながら、心を無にして返事をする、
「有名子供服ブランドのショッパーを、両手いっぱいに抱えて歩いてた」
「それがなにか?」
朝比奈が一歩、日向子との距離を詰める。鏡張りの壁に、逃げ場を失った日向子の動揺が映り込んだ。朝比奈は日向子の肩を掴み、その耳元で、獲物を追い詰めた獣のような声で呟いた。
「お前、隠し子いるだろ」
「……はい?」
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次回も引き続きよろしくお願いいたします
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※次回第6話『波乱万丈の予感!? 焼豚チャーハン』の更新は4月26日18時です




